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夏がきた。
太陽の光が容赦なく庭を照らしている。だが負けじと花々は咲き誇り、夏らしい極彩色の花々が庭を彩っていた。
その日もいつものようにティーパーティーが開催されていた。人数も結構な規模になり、屋敷の中まで賑わう声が聞こえてくるほどだ。
「あぁ、旦那様」
「なんだ、ラルフか」
廊下の窓から様子を眺めていると、珍しく屋敷の中でラルフと顔を合わせた。なんでも、流石にパーティー中は庭いじりをするわけにもいかず、屋内の仕事の手伝っているらしい。
「賑やかですねえ。手塩にかけた花があんな風に喜んでもらえると、こちらもやりがいもあるってものです」
「そうだな」
「ねぇ旦那様。今年もまた、月下美人の季節がやってきましたよ」
「……もうそんな時期か」
「はい。今夜あたり、今季初めての花が咲きそうなんです」
奥様を誘って見に行かれては?と言外に言われた気がした。ティーパーティーに勤しむステラを見つめながら、どうしようかと思考を巡らせた。
今日のティーパーティーは大盛況だったらしい。
ステラは後片付けに追われ、食事も別々になってしまった。手伝いを申し出たかったが、あいにく自分も急務が舞い込んでしまい、そういうわけにもいかなかったのだ。
就寝の準備が全て整うころには、すっかり深夜になっていた。月下美人は咲いているのだろうか。窓から見ることができれば良いのにそれも叶わない。体は疲れていたが、なんとなく気になってしまい、見に行くことにした。
ステラを誘うか少し迷って、結局やめた。昼間とは打って変わって静まり返る庭を1人で歩く。だがラルフの勘は外れたのか、月下美人はまだ蕾のままだった。
仕方ない。植物なのだ、人間の力でどうこうできるわけではないからな。踵を返し、部屋に戻ろうとしたときだった。前方からステラが歩いてきたのは。
「……ステラ?」
「……イヴァン様?」
私の姿を認めるなり、ステラが小走りでやってきた。湯浴みが終わってすぐなのだろうか、石鹸の良い香りが鼻をくすぐる。
「ラルフが今夜咲くかもしれません、と言っていたので見にきたのですが……」
「私も同じだ。……が、あいにく今夜ではなかったらしい」
蕾を指差す。ステラも、あぁ、と残念そうに眉根を下げた。
「けれどあの様子なら、明日には咲きそうですね」
「そうだな」
屋敷に戻るまでの短い道のり。ぽつぽつと会話を交わす。
「……イヴァン様さえよろしければ、明日、ぜ、ひっ……、っくしゅっ……!」
会話の途中。肩を大きく揺らし、ステラがくしゃみをした。
夏とはいえ、夜はまだ冷えることもある。湯浴みしてすぐならば尚更だろう。幸い自分は薄手の上着を羽織っていたので、すぐにそれをステラの肩にかけた。
その折、ステラの肩に手が触れた。小さな肩だった。
「……夜は冷える。これをかけておけ」
「…………申し訳ありません」
ステラの肩が震えている。その震えが、寒さからのものでないのを私はもう知っている。
「…………ステラ。君が良ければ、明日、また一緒に見に来ようか」
ぱっとステラが顔を上げた。
「ぜひ、イヴァン様さえよろしければ……」
「……明日はちゃんと着込んでくるんだぞ」
「わかっていますとも」
照れたようにステラがはにかんだ。その笑顔が眩しくて、私は、思わず目を逸らしてしまった。
*
翌日、予想していたように月下美人は大輪の花を咲かせた。
一輪だけとはいえ、その存在感は堂々たるものだ。ステラと2人、一年ぶりのその花に見惚れてしまう。
「やはり綺麗だな」
「えぇ、本当に」
月下美人の芳香に誘われ、一年前のことがゆっくりと、脳裏を流れていく。一年前のあの日。月下美人を見たあの夜。セレーネの日記をいつぶりかに読み返した夜。あの夜がきっかけとなり、ステラのおかげで、セレーネの日記を最後まで読むことができた。
「……ステラ。幸せとはなんだと思う」
だからだろう。ステラであれば。セレーネの日記のことを知る彼女になら、突如降って湧いたそんな問いかけをしても良い気がしたのた。
「……、……セレーネ様の日記のことですか」
「……あぁ」
「そのままの意味でよろしいかと。セレーネ様は、旦那様に幸せになられてほしいのです。だから旦那様の思う幸せを追求すれば良いのではありませんか?」
「……私もそう思うんだがな、……あまり、幸せかどういうことなのかわからないんだよ」
今までの自分の人生は、セレーネありきの人生だったのだ。セレーネに一目惚れして人生が変わった。この人のために生きようと思った。だがその人は死んだ。であれば、自分の幸せとは一体なんなのか。どこにあるのか。
「君はどういうときに幸せを感じる?」
ステラを見つめながら、静かに問う。ステラは、月下美人を見つめたままだ。
「…………私は、……そうですね、イヴァン様にドレス姿を褒められたときは、とても幸せに感じました」
「……ずいぶんちっぽけだな」
「私には小さくありません。今夜こうして、一緒に花を見ようと誘われたのも、幸せに感じました」
「……」
「幸せとは、そんなものではないでしょうか」
ステラの言葉を何度も何度も胸の中で反芻する。
ステラは、自分に褒められて、誘われて、幸せだと言った。そしてそんな風に言ってもらえた自分も、今まさに、胸の内に温かいものが広がっていたのだ。
ステラが笑うと目が離せなくなる。ステラが、私の言動で幸せだと思うのならば、胸が温かくなってしょうがない。それは、それが、幸せというものなのだろうか。
やはり答えは見つからないままだった。だが確かにその夜、なにかを掴みかけたのだ。




