13、シンイチ、診療所をあとにし、カブールへ。
ハナオ...「西域ラーメン店」の亭主。進行性ガンとの診断を受けてしまう。
ミキ子...妻、女亭主。
シンイチ...長男、西アジアで行方不明中。大学4年生。
ジロウ...次男、中古自動車の搬送の仕事に勤しんでいる。
カズミ...大学受験勉強中。高校3年
ユキコ...シンイチとは幼馴染。近所に住む看護師。
アキヤマ...シンイチの大学の友人。バンド仲間でもある。
アブドゥル...アフガニスタンで知り合う医師を目指す青年。今は、助手。
ハヤサキ...アフガニスタンで知り合う日本人青年。AAA医療財団職員。
ムラオカ...アフガニスタンで知り合うハヤサキの上司。
以上、登場人物。これから展開がどうなるのか、筆者ながら楽しみです。
......
俺は、その日当然、診療所に戻らなければならない。まだ、入院生活は続いていて今日はたまたま外出中というだけだ。アブドゥルに待ってもらっている。
「一度帰らないといけない。よければまた連絡していいですか。」
「ぜひとも。」
名刺のようなカードに事務所の住所と電話番号が明記されている。そう約束し、シンイチは事務所を出た。ハヤサキも2~3分程のホテル前まで一緒に歩いて送り届けてくれた。
「ところでその杖、どうしたのですか?」
今更ながら俺の身の上が気になったようで、話を聞いてきた。ハヤサキも一方的な男だ。
「銃撃にあった。アフガニスタン北部で。ゲリラ風の仲間にチトラルで誘われて来たところで。まだ診療所に入院中。」
「そんなことってあるのですか?」
「俺がうかつにゲリラ風の仲間に付いて行ったのが始まりだった。」
「退院後はどうするのですか?」
何も決まっていなかった。退院になっても行くあてもなく、第一この国から出国できるかもわからない。俺はビザなしの不法入国なのだ。
「わからないし、決まっていない。」
「うちに来て下さいよ。来週、ムラオカさんが帰国します。ベッドも空きます。ぜひ、いいですよ。」
と。
その言葉を聞いて、ハヤサキと別れた。アブドゥルがホテル前で約束通り待ってくれていた。ホテルの警備員と思われる男と怒鳴り合うように大声で話していたが、俺を迎えるとすぐに車を出発させた。
「ホテル前なんかに駐車していたから爆弾でも積んでいるんじゃないかと疑われたんです。トランクを開けて見せてくれと。全くそんなことはないのに。爆弾テロなんてほんの一部の人間のしわざですよ。普段はカブールは平穏です。」
アブドゥルと俺は、検問所をいくつか通り抜け、その日も暮れた頃、診療所に辿り着いた。車も俺たちも砂埃まみれとなっていた。
数日入院生活は続いた。俺は毎朝、杖で診療所の庭を行ったり来たりした。10月。朝の空気はすでに身を切るような冷たさだ。雪山が見える。冬の気配も近づいている。アフガニスタン北部の桃源郷のような美しい季節は短く、その短さがより一時期の可憐さを増す。だが、11月になれば、大地に雪が舞い始め農地は荒れた寂しい不毛の土地と化すようだ。
左大腿の傷も癒え、化膿することは間逃れた。毎日の抗生物質のおかげだろうか。アブドゥルとオマール医師が代わる代わる丁寧に消毒してくれたからだ。そして、アブドゥルは食事の合間に、収穫したばかりの果物を毎日持ってきてくれた。ザクロやイチジク、アンズ、そしてリンゴ、ブドウや数種類のドライフルーツも。日本ではあまり食べる機会のない果物を俺は喜んで食べた。
診療所には、幼い子もそして、付き添うように母親もいる。戸外ではブルカで全身がすっぽりと覆われ謎めき、うつむいて複数で歩いているのに、屋内ではチャドルと呼ばれる布を髪の毛をまとめるようにかけるだけで、顔がはっきり見える。この国の女性は、ドキっとする程美しく艶やかだ。ここはヨーロッパとアジアが混在している世界だ、と女性の表情から伺える。幼な子に語りかけ、食事を与え、絵本の読み聞かせをしている。母親同士、おしゃべりだ。どこの国を旅行しても女性は屋内で、秘めた力を発揮する。
俺は、そろそろ退院を考えなければならない。カブールでは今週末、AAA医療財団のムラオカさんが日本に帰国するため、ベッドが空くと。カブールに一人残るハヤサキを頼るしかない。俺は、電話してみた。
週末の夕方、カブールの例の事務所に行くことになった。荷物を一式持って、それからはハヤサキの元、居候する形となる。俺はまず、アブドゥルに相談した。
「退院したい。しばらくカブールに滞在することになる。」
「どうぞカブールでのひとときを楽しんで下さい。今では西欧風のカフェもあるし、ダンスホールもあります。映画館も再開されています。もう安全ですよ。私たちは内戦で苦しんできたから、今新しいものには貪欲なんです。開発がどんどん進められています。」
「いつまでもここにいるわけにはいかない。いずれは日本に帰らないと。」
「そうですか。いつかまたあなたが自由にこの地を訪れることができますように。」
「そうとも。バダクシャーンにはまた来たい。春の桃やアンズの花が咲き誇る季節に。」
「道行く人は、皆、お客様です。大歓迎ですよ。」
アブドゥルは誇らしげに話し、週末に再びカブール市内まで送ってもらうことになった。
診療所、退院の日、オマール医師に丁寧にお礼の言葉を告げると、
「お気になさらずに。全てはアラーの神の思し召しです。幸運あれ。」
と、朗らかな笑顔で送り出してくれた。
いつかまた診療所を訪問したいと話すと、
「その時は、もっときれいな大きい病院になっています。」と大声で笑っていた。
アブドゥルが運転しながら、
「タリバンがカブールから去ったと言われてから、政府も医師と工学技術者の育成には力を入れています。病気と貧困の問題は、この国の大きな課題です。特に地方の農村部です。地雷が残る限り、手足が飛ばされてしまう子供たちも減りません。干ばつが続く限り、農民は貧しく飢えは無くなりません。医師は、人々を治療し未来を与えてくれます。技術者は、井戸や水源を作り、荒れた大地や砂漠に緑を与えてくれます。私は、立派な医師となって、子供たちにも夢をもっと持ってもらいたいと思うのです。」
と、真剣に語る。
俺は、アフガニスタンの人々の平均寿命がたった40歳程度である、ということを思い出した。ハヤサキもこの国では、4人に1人が5歳まで生きられないということを言っていた。貧しい農家の若者は、飢えを癒すために軍隊に入る。仕事を求めてタリバンの兵士になることもある。地方の若者は、遊牧か農作業をするか、戦場へ行くか、それとも夢を持って、医師や技術者を目指すか。
平均寿命が国の活力として評価されるとは限らない。活気ある若者が街をたむろし、やがて経済、文化、産業に火をかざせば、国は好転していくはずだ。時間はかかるだろう。まだ、アフガニスタンは内戦が終わったばかりなのだ。平和は確実に訪ずれている。一部テロ組織と言われている集団が国際ニュースで取り上げられているだけだ。その報道ばかりが注目されてしまうが...。
*この物語は全てフィクションです。