11、ハヤサキとAAA医療財団
イヌイ シンイチは、パキスタン・フンザを最後に家族と連絡を絶っていた。実は、アフガニスタンに不法入国してしまう形となり、現在首都カブールに滞在していた。家族の心配はどうなるのか。
診療所の助手アブドゥルと共に、カブールからインターネットでメール連絡を試みるシンイチ。そして、日本人ハヤサキ ミツオと出会う。
明らかに俺より年上で落ち着きがあったが、言葉は丁寧でハヤサキは自分のことを「ぼく」と言っていた。しかし、見た目どうみてもアフガニスタン人にしか見えない。
俺は、名刺のようなカードを見せてもらい、旅行者ではないことをまず認識した。
ポットの紅茶を、シンイチ用のカップに注ぎながら話を続けている。
「ぼくたちは日本に留学したい医学生や看護学生を選び、日本で学んでもらう仲介のような仕事をしています。ブローカーではありません。交流事業の一貫です。アフガニスタンは、1970年代までは近代化が進み、カブールは東京に劣らずファッションや思想面で西欧化していたようです。若い女性はスカートで通りを歩き、市内にはトロリーバスが縦横に走っていたようですよ。」
「本当ですか。」
俺は、ホテルから煤けたガラス窓越しに見える通りを感じながら、信じがたいような気持ちで話を聞く。
今は、戦火の跡が生々しく残り、街中、砂塵だらけじゃないか。女性が外出していることは極端に少なく、ブルカという全身を布で覆い、目の部分だけ網目のようになっている民族服を着せられている。
「グレートゲームの生贄になっているのですよ。この国は。」
1970年代終わりからソ連が介入。撤退した後には、勢力間争い。そしてビンラディンがやってきて、9.11テロを起こし、アメリカによる空爆。その程度なら俺も大学で詳しく勉強した。
「今は復興途中ですが、市民生活の安定には程遠い。地方では干ばつによる水・食料不足、貧困と病気といった生きるか死ぬかの農村生活が続いています。子供の死亡率がどのくらいか知っていますか。5歳までに4人に1人が死んでいくのですよ。」
「ぼくたちの仕事は、若い医師、看護師を育て、一度日本に来てもらい勉強して、この国で活躍してもらうという橋渡しの役割なんです。立派に思うでしょう。この仕事自体。大変さも尽きないですが、やりがいを感じています。」
ハヤサキは、こんなことを日本人の前で言いたかった呈で、長々とまくしたてていた。
アブドゥルがブースから出て、ロビーに一度やってきた。
ハヤサキがすぐに立ち上がり、アブドゥルを握手をし、ペルシャ語で何か会話した。
俺は、ハヤサキが地元の言葉に堪能で、只者ではない、ということを悟った。風貌からしてアフガニスタン流ではあったが、現地の言葉も使いこなせる。どのくらいこの国に滞在しているのだろう。
カブールでは、ダリ語というペルシャ語のアフガニスタン訛りのような言葉が通用していることを俺は知っているだけだ。
アブドゥルは俺に、
「今度は車の中で待っていますから。どうかゆっくり日本の故郷の話でもしていて下さい。」と言ってその場を離れた。
ハヤサキは、自分の宿舎がすぐ近くにある、紹介したい人がいるのでぜひ立ち寄って欲しい、と言った。
俺はハヤサキに言われるまま後を付いて行くこととした。片手杖で歩いた。俺たちが歩いている姿は、現地の普通の市中の男、そのものだった。
ホテルを出て、2~3分、裏通りのすっかり古びた2階建ての元々は商店だったような戸口の前で、ハヤサキは、
「どうぞ、ここですよ。」と。
俺は、うっすらと暗がりの中、好奇心の赴くままに進んでみたが心中は不安でいっぱいだった。室内も埃っぽかったが、目を細めてよく見ると、あちらこちらに、現地の地図や写真、中央アジアを題材にした絵画など掲げられており、イスラム細密文様の壺や食器が置かれている。長テーブルと電話が一台。使い古しの事務所のような印象だ。
「これは全部、上司のムラオカさんの趣味なんです。え~と、今は。」
ハヤサキは大きな身体を揺らし、階段を上がり、ドアを開けた。俺は、ハヤサキの背後から荷造りをしているような一人の男とチラッと眼が合った。
「なんだ。ハヤサキ君か。急な来客だと思ってびっくりしたよ。で、後ろにいるのは、医学生候補かい?」
「来客ですが、彼は日本人ですよ。」
ムラオカという男は、片手杖の俺を見てまさか日本人だとは思わなかったらしい。40歳代に見えるその男も、すっかりアフガニスタン風に髭を伸ばして、顔の彫りも深い。声のトーンがゆっくりと低い。
威厳のありそうな声に押されて、俺は自分から、
「突然失礼します。イヌイ シンイチと言います。単なる旅行者です。わけあって地方の診療所で静養している者です。今日初めて、カブールに来て、それでハヤサキさんと知り合って。」
と切り出した。
しかし、ハヤサキが余計なことはあまりしゃべるなと言わんばかりに、話を遮り、
「こちらは、上司のムラオカさんです。」と紹介した。
「どうぞよろしく、ムラオカです。...ところで、どうして彼を。」
「街中で知り合っただけですけど、久しぶりに日本の若い方とお会いしたので。」
「そうか。ゆっくりしていきなさい。私は今週、ここを経ちますので。」
ムラオカという人もこの国と日本を行き来しているベテランのようだ。声に貫禄があり、穏やかそうな立ち振る舞いからゆとりが感じられる。危険でもあるカブールに数回、短期間来ただけで醸し出される雰囲気ではなかった。
AAA医療財団のカブール事務所だという1階に降り、壁に掲げられた写真やポスターを見ていると、俺は、実家の「西域ラーメン店」の店内を思い出した。同じように、砂漠地帯をキャラバンしているラクダの隊商の絵が飾られている。そして、俺が幼い頃から見慣れたシルクロードの地図。川や砂漠や、都市の位置を俺は正確に記憶している。
「ずいぶん関心があるようですね。中央アジアの骨董品のような物ばかりですが。ムラオカさんは、うちの学生対策局の局長なのですが、仕事の合間に、アフガニスタン各地で掘り出し物を見つけては、買い取って、それを日本で売っているようです。もちろん歴史や考古学の知識も豊富ですよ。ぼくは、そういう分野に関しては疎いのですが...」
とハヤサキは話した。
「ムラオカさんが、今週いっぱいで帰国するので、ぼくはその後は単独で活動をしなければなりません。来年の3月までが任務です。カブールの冬を越すのは、並大抵ではないですよ。」
ハヤサキは、俺の身の上などお構いなしに話を続けていた。
「AAA医療財団の理事長が、アフガニスタンからの研修医学生養成に力を入れているのです。理事長が若い頃、まだソ連との戦争前、全土が平和だった頃、この国の医学生と交流していたようで、その感謝として活動を始めたのです。」
ハヤサキの話によると、AAA医療財団の理事長が、若き医師時代にアフガニスタンからの青年医師との研修過程を忘れられないという。優秀な彼であったが、帰国し活躍し始めた頃、ソ連との戦争が始まり、ソ連が去った後のカブールが壊滅するまでの内戦のさなかに銃撃に合い、殺されてしまったという。ソ連との戦争の間は、まだ首都カブールは平穏で診療にも影響なく、理事長も青年医師や医学生と連絡を取り合っていたようだ。それが内戦になると、たちまち市内が主戦場となり、官邸や博物館周囲で銃撃戦となっていた。カブール大学内も例外ではなく迫撃砲の標的にされていた。市街戦では、近代建築物がアジトとなりバリケードともなる。青年医師は、亡命せず、砲弾のさなかにも診療を続けていたとのことだ。
「うちの理事長は、心底、敬愛すべき人物ですよ。」
とハヤサキは言った。
「なのにムラオカさんは...」
ハヤサキは、ムラオカという上司が重荷であるかのように、声を落として言った。
「ムラオカさんもこの国のことについてはずいぶん精通しています。それは学者のようですよ。...そう学者...ムラオカさんは、考古学者崩れで、この仕事をしているから、医師や医学生の養成なんかにはあまり積極的になっていないんです。暇を作って、アフガニスタン各地で骨董品を拾ってくる。ぼくには、価値もわからず、変わった置物や焼き物くらいにしか見えないのですが。」
どうやら、この2人はアフガニスタンという言わば現代の極限の地に派遣されながら、あまりうまくいってないらしかった。
ところで、ハヤサキは、このカブールで毎日の生活をどう送っているのか、どうやって厳しい冬を越すのか、俺の関心は尽きなくなっていた。そしてAAA医療財団そのものについても、この困難な国アフガニスタンと関わりを持ち続けている日本の組織についても知りたくなっていた。