最終話 前生徒会長と新生徒会長――始まりの終わり
祇園を次期会長とした、最後の第五回投票。
その投票結果の中に一つだけ、〝無効票〟というものがあった。
それ以前の第四回投票まで続いていた白票とは、違うものだろう。何かが書かれていたが、無効とされた票――。
その無効票を入れたのが、清川会長ではないか――と、祇園は考える。
祇園の獲得した七票の内訳は、彼女と俵田、望陀、雨城、平山、そして最後に味方してくれた清川普青と東田。この七人で間違いない。
他に、小櫃総務委員長に二票が入っていたが、これは彼と下郡によるものだろう。
そうなると、投票権をもつ者で残るのはただ一人――清川会長しかいない。
清川会長の投じた無効票に何が記されていたか、祇園にはなんとなく予想がついた。
妹の清川普青が祇園の支持を表明した以上、もう彼女の名前を書くことはできない。
ならば……おそらく清川会長は、誰の名前も記さなかった。
祇園に裏切られ、妹や他の生徒会役員たちにも背かれた怒りのままに、およそ意味を成さないものを書きなぐった。
それは、むなしい抵抗で、諦めの悪い振る舞いだったかもしれない。
しかし、それでも清川会長は票を投じた。投票権を棄てることなく、「私は誰も支持しない」という意思を示したのだ。
……これは祇園の推測で、清川会長が実際にそうしたとは断言できない。
それでも、清川会長なら、きっとそうしただろう――と祇園は信じるのだった。
しかし……直後に彼女は思う。
――それは結局、最後まで清川会長は私を次期会長と認めてくれなかったってことか。
当然のことではあったが、やはり、一抹の寂しさを覚える祇園だった。
そのような黙考に沈んでいるうちに、やがて、俵田が帰ってきた。
ドアを開けた彼に、祇園は少し繕った微笑で応える。
「悪いね、俵田くん。面倒なことを頼んでしまって。それで……清川会長の様子は、どうだったかな」
「そ、それが……」
ドアを開いたまま、まだその位置に立っている俵田が、恐る恐る背後を見た。
すると、その陰から、一人の人物が姿を見せた。
「私が気になるようなので、こちらから出向いてあげたぞ。新生徒会長」
「……き、清川会長!?」
予期せぬ人物の来訪に、祇園は驚愕するしかない。
数度、口を開閉させてから、彼女は声を絞り出した。
「……あ、あなたを裏切った私です。もう、会ってくださらないかと」
「私は、それほど狭量な人間じゃないよ。……いや、まあ、先ほどは見苦しい姿を見せてしまったわけだが」
その秀麗な顔立ちに微かな苦笑を浮かべて、清川会長は答える。
「那珂川に諭されてね。――私の生徒会は終わった、と」
「…………」
「それで諦めがついた……というわけでもないが。実際、最後まで私は君に投票しなかったのだし」
「……やっぱり、そうでしたか」
少し肩を落とした祇園に、清川会長は伝える。
「ああ。しかし、だね。会議が終わった後……あの狂熱から離れて、考えたんだ。これで私は生徒会長ではなくなるが、それでも、祇園にとっては先輩のままなんだ――と。ならば、最後くらい先輩らしく、格好つけさせてくれ」
「清川、せんぱい……」
声が詰まり、祇園の瞳からは熱いものがこぼれ落ちそうになってしまう。
「ああ、泣くな、泣くな。私を負かした君が、こんなところで泣くんじゃない」
穏やかに宥める清川会長は、いつもの余裕を表情に浮かべている。そこに、先ほどの激情は影もなく、祇園は安堵するのだった。
祇園が涙を拭いてから、清川会長は話題を変える。
「……それと、東田から聞いたのだが、彼女を新政権での議長にするつもりらしいな。那珂川も、珍しく喜んでいたよ」
「ええ。それと、新しい生徒会には、清川普青書記も残留してもらうつもりです。それで安心してください――と、私が言うのも厚かましいですが……」
「……いや、ありがとう、祇園。君のもとでなら……この私に勝利した君のもとでなら、きっと普青も大丈夫だ。これからも、妹をよろしく頼むよ」
清川会長からの――尊敬し、思慕し、畏怖し、そして反逆した人物からの温かい言葉に、もう一度、祇園は涙をこぼしそうになった。
それをなんとか堪えた彼女に、清川会長は告げる。
「祇園。普青と東田は、これまで私の生徒会をよく支えてくれた。彼女たちを上手く使えば、君がやろうとしていることにも役立つだろう」
そして、清川会長は、祇園の濡れた瞳を見つめて言った。
「生徒会改革。私に向かって言ったからには、やってみせることだ」
「はい! 必ず、実現してみせます」
精一杯に力強く、祇園は答えた。
「……こうして、これまで学校を守ってきた前生徒会長と、これから学校を変えようとする新生徒会長は、握手を交わした。この瞬間、清川会長の時代は終わり、祇園会長の時代が始まった。祇園会長の時代――機枢高校変革の時代。そのすべての始まりは、二日間の生徒会長選出会議だった。この会議に立ち会えたこと、この会議で起こったことは、僕の高校生活で最も思い出深いことの一つだ」
後になって、俵田宮一はこのように述懐する。
彼が祇園の忠実な部下だったこと――その主観を差し引いても、彼が言うとおり、この生徒会長選出会議が機枢高校史の転換点だったことに疑問の余地はないだろう。
その学園の中には、壁があった。
学園の生徒を、支配する者と支配される者とに分断する壁だ。
今回の生徒会長選出会議の結果は、ようやく、その壁に亀裂を入れるものだったろう。
この壁を破り、普通ではない学園を普通のものに変革するための祇園の戦いは、まだ始まったばかりだ。
今回で完結とします。
ここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございました。




