第42話 戦いのあと――敵だった者と
「大浴場の盟約」の二人と別れた後、祇園は一人きりになった部屋の中で、俵田の帰りを待っていた。
そわそわと落ち着かない彼女は、しきりに、扉の方を窺う。
――そろそろかな? と思ったとき、それと呼応するように扉がノックされた。
「俵田くん? 入っていいよ」
しかし、返ってきた声は、祇園の期待を裏切るものだった。
「下郡です。新生徒会長、お話があってきました。私も中に入っていいですかね?」
それを聞いた祇園は、舌打ちをこらえるような声で応じる。
「下郡保健委員長。今、あなたと話すことのできる寛容さを、あいにくと私は持ち合わせていないんだけどね……」
投票のときに協力の約束を破った裏切り者に、かける言葉は冷たいものだった。
しかし……。
「……というのは冗談だ。入りたければ、勝手にどうぞ」
入室した下郡の表情は謹厳な――少なくとも、そう取り繕ってはいるものだった。
その彼女に、祇園は、まず一撃を放つ。
「下郡委員長、最初に言っておこうか。私に敬語を使うのはやめてくれ。たしかに、私は生徒会長になって、それにあなたも合わせているんだろうが……正直、そのように話しかけられると、気味が悪い」
「な!? ……分かったわよ。これで満足?」
素直に口調を改めた下郡に、祇園は微笑む。
「結構。それで、話というのは? 先ほどの件に対する謝罪なら、不要なんだが」
「ええ。あなたたちに協力すると嘘を言ったことに、謝りはしないわ。あれは、会議における、正当な戦法だから」
「……私から見れば、かなり卑怯な策に思えるんだけどね」
下郡がおこなった「正当な戦法」あるいは「卑怯な策」とは、祇園に協力すると嘘を伝え、彼女を一度きりの勝負に走らせるというものだった。そして、その勝負の瞬間に祇園を裏切り、投票しない。そうなれば、祇園は過半数の票を得られず、清川会長に反逆が発覚し、追放される――というシナリオだ。
その策に、先ほどの祇園は嵌まってしまったのだった。
単純な罠だが、「過半数の票を得られる」という強烈な魅力のある餌に、祇園は釣られてしまった。
「……しかし、分からないことがある。なんで、私を陥れようとした? そもそも、あなたは清川会長陣営と戦っていたはずだが」
「あなたの部下――俵田だっけ? 彼が私のところへ交渉に来て、あなたの支持者が増えてきていることを聞いたのよ。望陀風紀委員長や雨城文化委員長が清川陣営から寝返った、と。それで思ったの。あなたを会議から追放すれば、もはや清川会長の下に戻れない彼女たちは、わた……小櫃委員長を頼ろうとするんじゃないかってね」
「……今、小櫃委員長を下の名前で呼びかけたな。『渉』って」
「う、うるさいわね!」
下郡をからかう祇園は、既に、先ほどの裏切りに対する溜飲を下げていた。
これは祇園が生徒会長になるという夢を叶えたことによるところが大きいだろう。その達成感と充足感の前では、下郡の背信など、些末なことだったのだ。
そうした祇園に対して、下郡は表情を引き締めて告げる。
「……本題に入るわ。私が、あなたのもとを訪れた理由」
「小櫃か?」
「よく分かったわね。私が言いたいのは、あの裏切りに、小櫃はまったく関係していないということよ。今朝、彼があなたに『私を委ねる』とか依頼したそうだけど……あれは本心からの言葉だったと思う。少なくとも、罠や策ではないわ」
「彼に罪はない、と?」
「そうよ。だから……あなたが私を恨んで、どう処断しても構わないけど。小櫃には何もしないでほしい」
「ずいぶんと殊勝なことだな。どう処断されても構わないと言うが……あなたは、もっと、野心と権力欲のある女だったはずだ。もう少しは足掻くと思ったが」
祇園の少し揶揄をこめた言葉にも、下郡の反応は薄かった。
彼女は、嘆息して応じる。
「小櫃が敗北した以上、もう、権力に未練はないわ」
「…………」
「私は、小櫃と一緒に、この学校の頂点に立ちたかったのよ。彼が、部下の総務委員たちからの突き上げに悩まされることもなくなって、思うままに振る舞ってほしかった。それを私は側で見たかった。だから、彼が生徒会長になれなくなった今、もう、私は……」
「……なら、小櫃の依頼も、あなたにとっては不本意なものだったろうな」
「そうよ。私は、彼を生徒会長にしたかったのよ。他の誰でもない彼を。――その気持ちに気づかないで……本当に、どうしようもない朴念仁」
苦くつぶやくと下郡は、また表情を引き締めた。真剣な瞳を祇園に向ける。
「でも、悪い人間じゃない。本当に、彼は、あなたに敵意なんて抱いていないのよ。だから、彼だけは……」
下郡の言葉と態度の底には、恐怖があるようだった。
おそらく彼女は、あの清川会長の影を、祇園に見ているのだろう。昨年、会長就任直後から、内務委員会をはじめとした敵を排除してきた清川会長の影を。
それを察した祇園は、下郡に宥めるような言葉をかけた。
「心配しなくていい。たしかに私は清川会長を尊敬しているが……それでも、あの人のやり方をすべて踏襲するつもりはないよ」
下郡に優しげな言葉をかけるとは、少し前の祇園なら信じられなかっただろう。
しかし、今の祇園は、下郡を味方にしたいと考えていた。祇園が生徒会改革をおこなうには、下郡と小櫃、両委員長の協力も欠かせないのだ。
「下郡。あなたには、これからも引き続き、保健委員長でいてもらう。無論、小櫃も総務委員長のままだ」
「……なにか、思惑があるわね」
「鋭いな」
普段の調子を回復したらしい下郡に、祇園は満足の微笑を向ける。
「あの清川会長がいたときなら、総務委員たち――というより、復権を目指す旧内務委員たちも、比較的おとなしくしていた。清川会長の存在が、彼らの重石になっていたわけだな」
「しかし、清川会長が引退し、あなたが新生徒会長になれば、状況は変わる。旧内務委員たちも動き出すかもしれないわね」
「そう。だから……あなたと小櫃、二人で協力して、旧内務委員会の蠢動を抑えてほしい」
「『抑えてほしい』と言われてもねぇ……」
調子を回復すると、途端に、下郡は渋りだした。
自身の立場にまだ価値があることを知って、それをできるだけ高く祇園に売りつけようというのだろう。
そうした態度の彼女に、祇園は、にやりと悪辣な微笑を向ける。
「あなたとしても悪い話じゃないと思うけどね。二人で協力する……しかも、これまでのように政権奪取の陰謀なんかに余計な労力と時間を浪費しないとなれば、より、小櫃と親密になれるかもしれない。関係を、〝幼なじみ〟から一歩先へ進められるかもしれないよ」
「な!?」
「今日日、ツンデレなんて流行らないと思うけどねー。もう少し、素直になればいいのに」
下郡が小櫃へ〝幼なじみに対する以上の好意〟を抱いていることを、祇園が知っている。
それに下郡は驚いたようだが……祇園からすれば、火を見るよりも明らかなことだった。
「もちろん、このことは彼に言っていないよ。……今のところは」
「うぅ……分かったわよ」
弱みを握られた――そう下郡は思ったのだろう。
それは彼女の勝手な解釈だが、祇園としては好都合なことだった。
「では、これから、よろしく頼むよ。下郡保健委員長」
やや強引ながらも、こうして、祇園は下郡を従わせることに成功したのだった。
次回
最終話
前生徒会長と新生徒会長――始まりの終わり




