第20話 友人との対話
友人同士が対峙したのは、十七時五十五分、祇園の部屋でのことだった。
ドアをたたいた望陀に、祇園ははじめ、硬質の声をかける。
「お前の方から、訪ねてくるとはな」
「ええ。未来の生徒会長閣下に、ご足労いただくわけにはいきませんので」
軽やかに言ってのけると、望陀は白銀色の髪の友人をじっと見つめる。
「なんだか、ずいぶん久しぶりに話すような気がしますねー」
「……そうだな」
これには、つい、祇園も頷いてしまった。
その実感が、彼女にもあったのだ。
久しく話していないという感覚は、それだけ、二人の心の距離が遠くなってしまったからだろうか……。
遠ざかってしまった友人。それでも、まだ諦められない。
なんとか繋がろうとする、思いをこめて、祇園は友の名を呼んだ。
「望陀」
「はい、祇園ちゃん」
黒赤二色の髪の友人は、確かな声で応えてくれた。
安堵の気持ちが心に湧いてくるのを実感する。それでも祇園は、声を引き締めて告げる。
「さっき私は、清川会長と二人で話した。それで、改めて心に決めた。私は、清川普青の新生徒会長就任に協力する。……だから、お前も、もう諦めてくれ」
「ふふ……嫌ですよ。絶対、嫌です」
弱く微笑みながらも、その拒絶の言葉には、望陀の強い意志が載っていた。
「私は、絶対、祇園ちゃんを生徒会長にするって決めたんですから」
「どうして、お前はそんなに……」
「理由は、いろいろありますけどね」
望陀は、口調を微かに皮肉なものへ変化させてから、一つ尋ねる。
「祇園ちゃん、聞いたことあります? 私の噂」
「……『望陀委員長の赤髪は、校則違反者の血で染められた』ってやつか?」
「ええ。ひっどいですよねー、年頃の女の子に向かって。……私、この髪、けっこう気に入ってるのに」
望陀は前髪の赤い一房をつまんで、ぼやいた。
彼女に祇園は指摘する。
「そんな噂が流れるのは、お前の風紀委員会の取り締まりが過酷にすぎるからだろう。それとも……なにか? お前は、好きで取り締まったんじゃない、とでも言うのか?」
そう問われると、望陀は溜め息をついてから、静かに答える。
「いえ、そんなことはありません。風紀委員会の活動は、多くが清川会長の命令によるものでしたがね。それでも、この仕事には誇りと、やりがいをもって取り組みましたよ。私の仕事は、たしかにこの機枢高校の秩序を守るものだった――と自負しています」
望陀は言いきったが、その口調は、直後に弱々しくなってしまう。
「でも……それでもね、祇園ちゃん。清川会長の命じるままに反対勢力を弾圧して、そのせいで、多くの生徒たちから怖れられ、忌避されるというのは……けっこう、つらいんですよ」
「望陀……」
「友だちといえるような人も、祇園ちゃんの他にはいませんし」
「……いや、それは、風紀委員長の仕事とか関係なく、お前の性格の問題だと思うが」
「…………」
祇園の指摘に、望陀は苦笑した。
「まあ、私個人の性格の話は置いておきましょう。……話を続けても?」
「うん」
「……それで、あるとき、考えたんですよ。このまま、清川会長やその妹の下で働き続けていいのか、って。……清川会長は偉大な人だと思いますがね。それでも、私の仰ぐべき人じゃない」
「…………」
「私の上には、やっぱり、祇園ちゃんが立つべきです」
――そういえば、こいつは「自分の上に立つ人間には拘る」奴だった、と祇園は思い出す。
しかし、望陀の言葉を受け入れることはできない。
「……どうして、私なんだ」
「だって、祇園ちゃんって……変わってるんですよね。他の人とは違う」
「変わってる? 私は、自分を平凡な女子高生だと思っているが」
「いやいや。祇園ちゃんみたいな女子高生、他にはいませんよ。その話し方もそうですし……入学したときも、すぐ機枢高校の校風に不満を抱いて、『この学園を私が変えてみせる!』とか大言壮語しちゃってましたし」
「……その話は、やめて」
恥じらいと、それ以上の苦さを込めて、祇園は友人の言葉を制止しようとする。
しかし、望陀は止まらない。
「この話、嫌ですか? 祇園ちゃんにとって、黒歴史ですか。封印したい過去ってやつですか?」
「ああ、嫌だね。そんな、もう終わってしまったこと、今さら……」
「終わってなんかいません」
祇園の言葉を断ち切るように、望陀は言い放った。
その強い口調に驚いた祇園の目を見つめて、彼女は続ける。
「だって、祇園ちゃん、今も苦しんでるじゃないですか。諦めてしまった夢と、自分の現状とに、悩んでるじゃないですか」
「私は、べつに……」
「祇園ちゃん。そうやって自分に嘘をついてもね、私の目は欺けませんよ。何年、あなたの友だちをやってきたと思ってるんですか」
友人の目から放たれる、まっすぐな視線が、祇園の心の奥まで見通すようだった。
その視線と同じ、まっすぐな声で望陀は断言する。
「祇園ちゃんは、終わってなんかいません。祇園ちゃんの夢は、今も、あなたの心にある。だから、あなたは苦しんでるし、悩んでる。……私はね、友人の苦悩する姿ってのが見たくないんですよ」
「…………」
黙ってしまった祇園に、望陀は今度、口調を穏やかなものに変えて説く。
「祇園ちゃんってね。責任感はあるし、常に落ち着いているし、目下の人には優しさをもって接する、下の立場から見れば基本的に頼りがいのある人なんですよ。だけど、じつは、けっこう繊細なところもあって、たまに感情を吐露したり、弱いところを見せたりする」
「…………」
「二面性っていうんですか。少なくとも、単純な性格ではないでしょうね。それが祇園ちゃんの『変わってる』ところだと思いますし、そこが魅力に感じますよ。人の上に立つ者としての魅力。俵田君が、祇園ちゃんになつくわけですよ」
祇園の忠実な部下の名前を挙げてから、望陀は張り合うように告げる。
「もちろん! 私も、祇園ちゃんが好きですが」
「……お前から好きって言われても、あまり嬉しくはないね」
友人からの告白に、祇園は皮肉で応じたが、それは素直になれないからだ。
内心では、やはり嬉しい。
そうした祇園の心情も望陀は理解しているようで、にやにやと「そういうツンデレなところも好きなんですよねー」と言いたそうな表情を浮かべている。
二人の間に、ひととき、温かい空気が対流した。
しかし、すぐに祇園は気を引き締めて、冷ややかな声で指摘する。
「望陀。私に『人の上に立つ者としての魅力』があるというがな。私は、そうは思わない」
「なぜですか?」
「お前が言ったとおり、私が『弱い』からだ。人の上に立つには、やはり、強くなければならない――清川会長のように。あの人のような強さは、私にはない」
「そうですかね。たしかに、清川会長は偉大な生徒会長でしたが、あのような在り方がただ一つの正解ってこともないでしょう。祇園ちゃんには、祇園ちゃんなりの生徒会長像というものがあると思いますが」
「…………」
再び、祇園は黙ってしまった。
それを見ると、望陀は話をまとめようとする。
「祇園ちゃん。私が祇園ちゃんを生徒会長に推すのはね、一つには、私がもう清川会長たちの下で働きたくないから。もう一つは、祇園ちゃんの心に残ってる夢をかなえて、あなたを苦悩から解放してあげたいから。そして、あなたには、人の上に立つ魅力があるから――」
「……その三つが理由か」
「まあ、付け加えれば、前に言ったように、いちばんの友だちが学園の頂点に立つ姿を見てみたい、っていうのもありますがー」
望陀が自分を生徒会長に推す理由を聞いても、やはり、祇園には、それを受け入れることができなかった。
「いや、やっぱり、私に生徒会長は無理だ。私には、才能がない。資質がない」
「才能? 資質? なに言ってるんですか、祇園ちゃん。中学校では、あんなに立派に生徒会長を務めあげたじゃないですか」
指摘の言葉は、むしろ、祇園の記憶に訴えかけようとする。
さらに、望陀は語を継いだ。――大切にしまっておいた何かを、慎重に取り出そうとするように。
「中学の生徒会。祇園ちゃん、おぼえてますか? 私は、おぼえてますよ。あなたの下で働けて、本当に楽しかった。あなたも楽しそうでしたよ、祇園生徒会長。やっぱり、あなたは生徒会長に向いているし……その下で、また私は働きたい」
かつて、二人が同じ中学校に通っていたとき、そこで祇園は生徒会長を務め、望陀はその下で副会長として働いていた。
その記憶が、祇園のなかで蘇る。
「……懐かしいな」
「いい思い出でした。とても、いい思い出。しかし、しょせんは過去の思い出です。新しい未来は、あなたと私とで、また創っていくとしましょうよ」
言うと、望陀は顔をほころばせた。
その温かい笑顔は、祇園の内にある抵抗を、緩慢ながらも確実に解かしていくようだ。
やがて祇園は、ぽつりぽつりと語りだす。
「……先ほど、清川会長と二人で話した、と言ったな。じつは……そこで会長から、こう言われたんだ。――私には委員長たちを統率する力がある。望みさえすれば生徒会長の地位も手にすることができる、と」
思わず、祇園は話してしまった。
――望陀にほだされてしまったのか?
祇園は自問する。
――話してどうなる?
あるいは、清川会長による評価を望陀に否定してもらうことで、自分の未練に決着をつけようとでも思ったのだろうか。
――愚かしい。
望陀が自分を否定することなど、決してありえないというのに。
祇園が思ったとおり、望陀の反応は、肯定と承認……さらに、扇動だった。
彼女は火を煽るように、熱っぽく口説く。
「妥当で真っ当な評価です。私は全面的に支持しますよ。しかし重要なことは、誰がどのように評価するか、ではありません。あなたがそう評価されてどう思うか、ですよ。祇園ちゃん……あなたは、清川会長から認められて、なにも心境に変化が起きなかったんですか?」
「私は……」
「なにも思わないはずありません。あなたは、そういう人です。あなたを何年も近くで見てきた親友の私が言うんだから、間違いありません。今のあなたの内には、一つの欲求が生まれているはずです」
有無を言わせない、というように望陀は断言した。
祇園が否定の言葉を放つよりも速く、望陀は畳みかける。
「あなたの内に生まれた欲求が何というものか、教えてあげますよ。それは、野心というものです。生徒会長になりたい、という強い野心です」
「野心……」
その言葉が、祇園の内で反響した。
今まで、決して自分にはないと思っていたそれが、いつの間にか――いや、おそらく、清川会長と二人で話した後に生まれていたのだ。
清川会長にとっては皮肉なことだが、彼女が自身の妹に協力させようとして言ったことが、祇園の野心を目覚めさせてしまった。
「野心」
今まで曖昧だったその心は、名を教えられたことで、祇園の内側に確かな形をもって現れる。
「……望陀、お前はそう言うがな。私は、もう、清川会長に約束してしまった。清川普青に協力すると。私には……やはり、あの人を裏切ることはできない」
祇園の答えには、既に、以前の自己否定は存在していなかった。
あるのは、清川会長への義理、ただ一つだけ。
それが、祇園の心にある障壁の、最後の一枚であることを、望陀は見逃さなかったのだろう。
彼女は、最終攻勢に出た。
「祇園ちゃん。清川普青に生徒会長が務まると、本当に思いますか?」
「それは……」
「思いませんよねー。彼女の器量では、あのまま生徒会の書記でいるのが、いちばん好ましい。無理に生徒会長になって、その責任と権力の重量に押し潰されるよりも、その方が彼女にとっても機枢高校にとっても最良のことです」
「清川普青と、機枢高校にとって……最良」
「ついでに言えば、清川会長のためにもなる。祇園ちゃんのような人に会長職を継承することができれば、あの人の偉大な事績も完成する、というものです」
それは、祇園にとって画期的な発想だった。
清川会長のためになる――ならば、彼女への義理に背くこともないのではないか。
自身の野心を正当化するための思考が、祇園のなかで、急速に構築されていく。
そうした様子を見て取ると、望陀は攻勢を強める。
「祇園ちゃん。あなたが生徒会長になれば、まず、機枢高校のためになる。委員長たちも、強権的な清川政権の継承よりは、あなたを歓迎するでしょう。清川普青も、あなたの下で引き続き生徒会書記として用いれば問題ない。そして、あなたを推す私の願いが叶い、他にもあなたを支持する人が報われる。なにより……」
一度、呼吸を整えてから望陀は親友に、最後の一撃を放った。
「なによりも、あなたの内にある欲求が満たされる。遠慮することはありません。あなたには、その資格と資質がある。周囲からの支持もある。あとは、あなたの意志しだいです」
「…………」
「ここまで揃っても、何もできないと言うなら……もう、あなたに話すことはありません。どうぞ、いつまでも生徒会長の下働きを続けていればいい」
言い終えると、後はただ、望陀は祇園の目を見つめるだけだった。
彼女の言葉どおり、言うべきことはもう言い尽くしたのだろう。
祇園も見つめ返し、無言のままでいる。
沈黙が、しばらく続いた。
それは、実際の時間では一分にも満たないものだったかもしれない。
しかし、この二人の少女にとっては、密度の高い時間だった。
一方の少女は、親友の決心をただ願い、もう一方の少女は、その願いに正面から向き合っている――。
やがて、祇園は……失笑した。
それは、そのまま、苦く、しかし柔らかい微笑へ変化する。
「ふふっ……ああ、あのときもお前は、こんなふうに熱っぽく口説いてきたなあ」
「あのとき……ですか?」
「中学時代。お前が私に、生徒会選挙に立候補するよう勧めたときだ。あの頃から、本当に、お前は人を煽るのが上手い。いや……お前に煽られる私が、単純な人間であるだけか」
「そ、それじゃあ……!」
望陀は、歓喜に瞳を輝かせた。祇園が説得に応じたと思ったのだろう。
しかし、喜びを爆発させそうな彼女に、祇園は片手で制止する。
「待った……少し、考えさせてほしい」
「ぎ、祇園ちゃん! ああ、もしかして……前の仕返しのつもりですか?」
急降下した感情を露骨に顔へ表しながら、望陀は呻くように言った。
彼女は、かつて第二回投票の直前で祇園に決断を保留し、結局、裏切っていた。そのことを思い出したのだろう。
しかし、祇園に、そのことへの報復の意図は少しもなかった。
「違う。本当に、ただ考えさせてほしい。迷っているんだ、私は」
「祇園ちゃん……」
「お前には、必ず返答する。だから、今は考える時間をくれ……」
その思いを、望陀は酌みとってくれたようだ。
一つ頷くと、それ以上の説得を控えてくれた。
「分かりました。今は、退きましょう。……ですが、明日の会議までに返答してもらわないと困りますよ」
「それは大丈夫だ。そうだな……あそこで、また話そう」
一瞬だけ思考を巡らせると、祇園は、ある場所を指定した。それを聞くと、望陀も笑みを溢す。
「あそこですか……ふふっ、たしかに、胸襟を開いて話すには絶好の場所ですね」
先ほど降下させた感情は、もう回復したらしい。
望陀は笑顔のまま、親友の部屋を出ていったのだった。
……望陀を見送ると、祇園は、その余熱が漂う部屋のなかで一人、溜め息をついた。
そして、自身の腕時計に目をやる。
このとき、十八時六分だった。
――俵田くんが来るまでには、まだ時間があるな……。
そう考えると、祇園は、今朝に持ち込んだボストンバッグを開ける。
中から取り出した物は、一冊の本だった。
ただ、その本は、一般的に書店で並ぶ書籍よりも装丁が簡素で、新書サイズだが百ページほどの薄いもの。
その薄い本を手に、祇園は椅子に腰掛ける。
そして、表紙から十ページほど進んだ所を開き、そこから読み進めた。
それは、幼いときからの、祇園の習慣だった。
なにか重大な思考を巡らすとき、まず本に向かい、精神を落ち着け、意識を研ぎ澄ませる。
もっとも、このとき祇園が読書を始めた理由は、彼女の習慣だけではない。
この薄い本には、今の彼女が知っておくべきことが書かれている……かもしれなかったのだ。
知るべきことを知ったうえで、決断しなければならない。
生徒会長を目指すかどうかを。
そして、生徒会長になれたとして、この学園をどうするのかを。
祇園は、ひとり静かに自分の心と向き合った。
次回
第21話
十九時五分四十一秒の決意




