聞いていない
「あむっ。――これで健康おさかな生活も3日目かぁ。べつにマズいってわけじゃないんだけど、そろそろ他の食べ物も恋しくなってきちゃうよね……」
拾った枝を削ってこしらえた串に刺さる香ばしい匂いの魚にかぶりつき、セラはパチパチと弾ける焚き火をぼんやり見つめながらぼやいた。
「さすがに何の味付けもない素焼きの魚を3日ともなればな……。とはいえ、安全に食える物が見つかっただけでもありがたい話だ。もしそこの川に当たっていなければ、空腹と喉の渇きに耐えかねて、今ごろ意を決してあの見るからに怪しげな実にでも囓りついていたかもわからん……」
ヒューガもはらわたと骨を避けて身の厚い部分を食みながら、周囲の木々に実る毒々しい極彩色の小さな果実に視線を送った。
「あんな立派に生ってるのに鳥がつっついてる様子も全然なかったもんねぇ……絶対食べたらヤバいやつだよ、アレ」
見知らぬ土地で、ましてや野生の動植物を口にするというのは、想像以上に勇気と覚悟を必要とする。軽い食あたりでさえ薬もなければ何かの拍子に命取りになりかねない。
今こうして口にしている川魚も、鵜が丸呑みにしているのを見て初めて食べても問題なさそうだと判断したくらいに、ヒューガは慎重になっていた。
「はぁ……」と、ふたつのため息が重なった。
セラのポータルで未知の世界に転移してから、早くも三度目の夜を迎えていた。
ふたりが降り立ったのは様々な広葉樹が鬱蒼と生い茂る深い森の中。
セラ曰く、突然街中にでも転移して周囲の人々を驚かせないように、自動的に人里から距離を置いた場所に座標を合わせる設計になっているのだという。
とはいえ……。
――いきなりこんな大森林の奥深くに放り出されなんて話は聞いていない……。
転移初日、微かに聞こえたせせらぎの音を頼りに運良く清流を見つけ、どうにか飲み水を確保することには成功した。
そのまま川岸に沿って下流へと進めばいずれ人里に当たるかもしれない、そう期待して歩くこと早3日。未だに川幅もろくに広がりを見せず景色も代わり映えしなければ、集落どころか狩猟者のひとりにすら出くわす気配もない。
ひとつ幸いだったのは、セラがかなり旅慣れしているということだ。さすが冒険好きを自称するだけはあると、ヒューガは感心すると同時に安堵した。
もし万が一、見た目どおり子どものように不平不満を喚くようであれば早くも旅が頓挫しかねないところだったが、それは完全に杞憂で済んだ形だ。
実際は不満を漏らすどころか、絹のようにしなやかな自らの髪を器用に撚り合わせて一本の長い糸を作り、ヒューガの胸の勲章を留めていたピンを折って鉤に変えると、それをヒューガに切ってもらった先端のよくしなる丈夫な木の枝へ一繋ぎにして、意気揚々と釣りを始めてしまったくらいだ。
おかげで空腹に喘ぐことなく、こうして3日目の晩も無事ささやかな夕餉を囲むことができている。
捕食を終え飛び立とうとする鵜を石で仕留めてどうにか魚を掻っ攫うつもりでいたヒューガには、自分よりむしろこの小さな元女神の方がクレバーでたくましく感じられた。
「――さて、明日も早い。食べ終わったらさっさと寝るぞ。日が出ているうちに少しでも歩を進めておきたいからな」
「明日こそ、おいしいごはんが食べられますよーにっ!」
揃って川の水で口を濯ぐと、ふたりは辺りで一番立派な木の下に移動した。
足元には枝から落ちた木の葉が天然の絨毯を形成する。今日の寝床はここに決まりだ。
「……それで、今日もこれでないと駄目なのか?」
「これでないとダメなのだ」
ヒューガの問いに、セラは口真似で答えた。
ヒューガが幹に寄りかかり片膝を立てて座り、そこに小さな背中がもたれかかる。体格差のせいか、ちょうど親が子どもに絵本の読み聞かせをするような姿勢だ。
「だってヒューガのマントあったかいんだもん」
「だから、寝るときくらい貸してやると……」
「これが一番あったかいのっ!」
そう言ってヒューガが身につけたマントの両端を掴むと、自分ごと包み込んで満足そうに振り返る。
「ねっ?」
こうも無邪気で愛らしい笑顔を向けられてはヒューガも閉口するしかなく、これで3日目となるやりとりも小さな元女神に押し切られる形で決着した。
「そ・れ・に、だよ。ヒューガはもっと光栄に思うべきだと、ボクは言いたい」
「藪から棒になんだ?」
「男神たちを虜にした神界一の美少女女神さまと、こーんなにピッタリくっついてるんだよ? もっと嬉しそうにしてくれたっていいじゃん!」
「……自分で言うな、元女神」
ヒューガはセラの頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。
本来の女神であった頃の姿をどう想像してみても、美しさと愛らしさが同居するとんでもない美少女になってしまい、なんだか無性に腹が立った。
「ひゃわっ!? ――こっ、こども扱いするなよぉ!」
「私は、ちゃんと嬉しく思っているぞ」
「えっ……?」
「私一人きりでは、一刻も早く姫を助け出したい焦りとままならない現実の板挟みに苛まれ、夜も眠れぬまま消耗していたかもしれん」
「ヒューガ……」
「呆れ返るほど冷静なお前の姿を見せつけられたおかげで、私も逸る気をどうにか静めることができた。……その点については感謝している」
預けられたこの小さな背中が、今はとても大きく感じられる。
見た目は幼くとも、中身はやはり悠久の時を生きる存在なのだと。
「ふふん、ボクが一緒でよかったでしょ? ま、これでも下界に落ちてからに無駄にいろんな経験だけはしてきたからね。君が焦る気持ちは十分わかってるつもりだけど、だからこそ急いでるときこそ冷静になって、まずはボクたちが無事生き抜くことを考えないとね!」
「……ああ、そうだな」
せっかく拾った二度目の命だ、無茶を働いてむざむざ散らすようなことなどあってはならないのだから。
「……で?」
「『で?』……とは?」
「それって単純にボクが相棒として頼もしそうって話じゃん! 肝心の、ボクのカワイさについてのコメントは? ねぇねぇ、どうなのさぁ? クールな顔してホントは毎晩ムギューってしたくてたまんないんじゃないの~?」
「素直になっちゃいなよ~?」と、ヒューガの頬に頭を押しつけニヤニヤと生意気な声が問う。
――め、面倒くさい……。
夜の闇は等しく人間の不安を煽り、否応なくネガティブな感情を喚起させる。
自分が夜な夜な静寂の中で思いつめたりしないように、わざと賑やかに振舞って気を遣ってくれているのはヒューガにも理解できるのだが……それにしても、この自分の容姿への絶対的な自信は見習えるものならば見習いたいくらいだと、逆に感心してしまう。
「つまらないことを言ってないでさっさと寝ろ、よい子はねんねの時間だ」
ヒューガは金色の頭をマントの中にムギューっと押し込むと、すかさず出口を塞いでしまった。
「――ぷはぁっ。こども扱いするなってばぁっ!」
モゾモゾとモグラみたいに顔を出した元女神は、柔らかそうな頬を目一杯膨らませて猛抗議の様子。
やはり中身も子どもかもしれない。なんだかおかしくなってしまい、ヒューガは思わず頬を緩ませた。
「昔から言うだろう?」
「???」
頭に疑問符を浮かべ、かわいらしく小首を傾げる元女神。
ヒューガはそんな彼女に見えるようにマントから右手を覗かせ、わざとらしく人差し指を立ててみせた。
「寝る子は育つと」
顎に頭突きを喰らわされた。
その晩、ヒューガは目蓋の裏に浮かび上がった満天の星空に向かって、明日こそは人里を見つけ出して状況が進展することを祈りながら眠りに就いた。




