第三十五話 清水医師
__はぁ、くそっ。田舎なせいで虫が多くて嫌になる。
__いつになったら来るんだよ。金持ちだからって俺様を待たせやがって。
応接室に近づくにつれ、感じる悪意。
久々に感じる悪意の数々に辟易しつつも、顔に出さないように努めた。
「お待たせ致しまして、申し訳ありません」
有馬様と共に応接室に入る。
すると、清水医師は私の顔を見るなり一瞬顔を歪めるも、すぐに人の良さそうな笑みを見せながら立ち上がった。
「いえ、こちらこそ突然お邪魔してしまって申し訳ありません」
にこやかな顔で握手を求める清水医師に、応えるように手を差し出す有馬様。
そのままどうぞ席におかけください、と促すとお互い向かい合う形で着席した。
__この女、何でいるんだよ。
爽やかな人好きするような笑みを浮かべながら、私に対する悪意を流し続ける清水医師。そんな罵詈雑言を、私は聞こえぬフリをして澄ました顔をしていた。
「それで、いかがなさったんですか? 先生はお忙しいのでは……」
「えぇ、それが……たまたまこの近くのお宅に訪問診察していたのですが、ここのところ有馬さんが病院にお見えになってないことに気づきまして。経過はどうかと心配になりまして、失礼承知でお加減を伺いに参りました」
「あぁ、なるほど。そうだったんですね。わざわざお気にかけてくださった上、こんな田舎までご足労いただきましてどうもありがとうございます。実は、あれからおかげさまで無事に完治しまして。ですから、通院をやめたのです」
「え。完治……ですか?」
有馬様の言葉に、あからさまに動揺する様子を見せる清水医師。
__嘘だろ。何で完治してんだよ、クソが。ふざけんなよ……!
(どういうこと……?)
有馬様の病気が治ったら何か不都合なことでもあるような悪意。有馬様が苦しんでいたというのに、治ったことに喜ぶならまだしも悪態をつく様子に、私はますます不信感が募った。
__いや、ここで引き下がるわけにはいかない。金のためだ。わざわざ俺様がこんな虫が多いくっさい田舎に来てやったんだから、とにかく難癖つけてでもどうにかしないと。
流れてくる悪意にますます首を傾げるも、とにかく清水医師をこのままにしていては有馬様によくない気がする。
けれど、悪意を知ったからといって下手に口出しをして、以前のような失敗をするわけにはいかない。だから私は、清水医師の動向を伺うためにあえて今は何も言わず、大人しくなりゆきを見守ることにした。
「まさか、完治されていたとは……! いやぁ、それはよかった。完治してからは特に不調はございませんか?」
「えぇ、おかげさまで。この通り以前と比べて体力もつきまして、元気になりました」
「そうでしたか。それはさぞかしご家族もお喜びでしょう」
「はい。両親だけでなく、妻もかなり尽力してくれまして。ありがたい限りです」
そう言ってこちらを見てにっこりと笑ってくれる有馬様。私も合わせて微笑むと、グッと不快な気持ちを堪えながら清水医師にも笑みを向ける。
すると、清水医師は引き攣った笑みを浮かべていた。
「先日は無礼な態度をとってしまい、申し訳ございませんでした」
「いえ、お気になさらないでください。こちらも突然声を荒げてしまいまして、申し訳ありませんでした」
お互い、笑みを顔に張りつけながら微笑む。
清水医師の真意はわからないが、どうにかこのまま穏便に帰ってもらうようにしようと思考を巡らせる。
(では、そういうことですので。どうぞ、お帰りください……だなんて直球のことは言えないし。お出口はあちらです、も嫌味すぎるし……)
さすがにいきなり清水医師にだけ棘のある言動をしたら有馬様にも不審がられるだろう。できれば、このまま何事もなく引き下がってほしいと祈りながら黙ってなりゆきを見守る。
「ちなみに、どのようにして治ったか伺っても? 難病でしたから、ぜひとも今後の参考にさせていただきたいのでお話をお聞かせ願えないかと」
「えぇ、もちろん構いませんよ。あー、でも申し訳ありません。このあとは予定がありまして……」
「そうでしたか。それは残念です」
(っ! これはいい流れ!)
どうにか居座ろうとする清水医師に対して、有馬様が断っているのを見て、このまま穏便に帰ってもらえないかと期待に胸を膨らませる。
「であれば、ご予定が終わり次第お話を伺うのは構いませんか? 私はもう本日の予定はありませんので」
「それは構いませんが……お忙しい清水医師をお待たせしてしまうのは……」
「全然問題ありません!」
食い気味で返答する清水医師に、困惑する様子の有馬様。そのように言われてしまったら、優しい性格の有馬様が折れないはずがなかった。
「そうですか。では、申し訳ありませんが用事が済むまでお待ちいただければと。なるべくすぐに終わらせて参りますので、今しばらくお待ちください。真直、清水様へのおもてなしを頼む」
「……っ、かしこまりました」
(うぅ。やっぱりそうなるよね)
当初の思惑通りの流れにならず、意気消沈する。
結局、清水医師はその後遅い時間まで有馬様に病状などの話を散々聞いたあと、帰りの電車がなくなって帰れなくなったと言ったようで、私の祈りの甲斐なく今夜は泊まることになってしまったのだった。




