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流転の國 vol.8 〜桜色の都の救世主〜  作者: 川口冬至夜


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㊸海を臨む部屋

いまだ病の癒えぬマヤリィ。

そんな彼女を心配して玉座の間にやってきたのはまさかの…?

今日は午後から第7会議室の作業を手伝って欲しいとルーリに頼まれ、ラピスは部屋にいない。

タンザナイトは玉座の間での会議が終わった後で自由時間を言い渡され、部屋に戻るといつものように魔術書を広げたのだが、今日はなかなか解析が進まない。この間の夜に脳裏をよぎった心配事が今も消えないのだ。

(母上様は…大丈夫だろうか)

タンザナイトはマヤリィの病状が気がかりだった。

マヤリィの病に関しては、他の配下達と同じようにタンザナイトにも知らされている。

自分が造られる前のことだが、シロマが自傷行為のトリガーを引いてしまった件についても聞いている。

(分かってる。これは僕なんかが触れるべき問題ではない。だけど…)

マヤリィから特に『命令』がない限りは魔術師としての実力を高めることに時間を使うよう言われているホムンクルスの自分。

しかし、ナイトはマヤリィが抱える病の深刻さを重く見ていた。…もしかしたら他の配下達よりも強く。

(姉上は今日も嬉しそうに出かけた。疑いたくはないけど、用事があるのは本当に第7会議室なのかな…?)

例の夜、マヤリィを愛しているはずのルーリがラピスを呼び出し『魅惑』をかけたことがナイトには理解出来なかった。実戦訓練の時、ルーリ本人から聞いた言葉をナイトは正確に記憶している。

『「確かに、私が魅惑をおかけしたいのはマヤリィ様だけだ」』

(そうは言っても、ルーリ様はサキュバスだから誘う相手は一人ではないということか…?でも、女王様を差し置いて姉上を誘うなんて、やっぱり理解出来ない。もし女王様がこのことを知ったら悲しまれるとか考えないのだろうか…?)

マヤリィはルーリの浮気を知っても咎めないが、そのことをナイトは知らない。マヤリィがルーリとラピスの関係に気付いていることも、ナイトは知らない。

しかし、普通に考えればマヤリィを悲しませるかもしれない一件だし、これが病状に影響を及ぼす可能性だってある。

そんな考えが頭をかすめた時、ナイトは思ってしまったのだ。魔術以外に、僕が母上様の御為に出来ることはないのだろうか?…と。

無論、戦力増強の為のホムンクルスに過ぎない自分が女王様の心の支えになりたいなどと言うのは非常識なことだと分かっている。

分かっているが、タンザナイトは創造主であるマヤリィの予想を遥かに超えた知性と感性と理性を持っているがゆえに、本物の人間に等しい思いを抱いてしまったのだ。

…そう。母上様を救いたい、という思いを。


タンザナイトが『転移』したその時、扉の閉じられた玉座の間からはマヤリィとジェイの魔力が感じられた。

今ここに入ろうとしたら女王様はお怒りになるだろうか?

お二人のお話の邪魔になってしまうだろうか?

暫しの間タンザナイトは逡巡したが、意を決して扉をノックする。

「失礼致します、女王様。タンザナイトにございます」

彼女はとても緊張していたが、返ってきたのは明るい返事だった。

「どうぞ、入っていらっしゃい」

「はっ!失礼致します…!」

玉座の間には、魔力で感じた通りの二人がいる。

「こんな時間に貴女が来るなんて珍しいわね。何かあったの?」

「いえ、その……」

「…………?」

いつになく緊張した面持ちのナイトを見てマヤリィは首を傾げるが、

「…ジェイ。席を外して頂戴。タンザナイトと二人で話したい」

「はっ。畏まりました、マヤリィ様」

何かを察したらしく、ジェイを退出させた。

「…タンザナイト。ここに来たからには私に言いたいことがあるのでしょう?怒らないから、話してご覧なさい」

マヤリィは優しい声で言う。

「はっ。畏れながら、女王様。…僕は今から貴女様に対して、大変失礼なことを申し上げると思います。されど、言わずにはいられなくて参りました」

彼女はマヤリィの前に跪き、ゆっくりと話し始めた。

「畏れながら、僕も配下の一人として、貴女様から病について伺っております。その上で、聞かせて頂きたいのです。貴女様のご病気を治す為に、僕が出来ることはないでしょうか? 」

「っ……」

思わぬ発言にマヤリィは驚くが、平静を装って次の言葉を待つ。

「自分の立場を弁えぬ発言をしてしまい、申し訳ございません。僕如きが女王様の心配をするなど、烏滸がましいことにございますね…」

ナイトはそう言って頭を下げると、手を握りしめる。

「僕は流転の國の戦力となる為に造り出されしホムンクルス。『ミノリ様』を超える魔術師になれなければ僕の存在価値がないことは分かっております。…にもかかわらず、貴女様の病について伺った時から、心のどこかで考え続けておりました。たとえ『双極性障害』に白魔術が効かないとしても、僕はマヤリィ様をお救いする為の方法を見つけ出したいのです。どうか、お許し下さいませ」

タンザナイトは必死の思いで言葉を紡ぐ。その懸命な表情からも、彼女が本気でマヤリィを病の淵から救い出したいと思っていることが伝わってくる。

同時に、彼女の身体は僅かに震えていた。ホムンクルスである彼女は『命令』以外の行動を取ったことに対する罰を覚悟の上で、マヤリィの元まで来たのだ。

「ナイト……」

いつもは真顔で淡々と話す彼女がこんな風に喋ったというだけでマヤリィは驚いたが、それ以上に胸が熱くなるのを感じた。タンザナイトはもはや『人造人間』の域を超えている。自分と何ら変わりない、一人の人間としか思えない。

「傍に来て頂戴、ナイト」

彼女の気持ちを受け取ったマヤリィは、微笑みながら手を広げる。

「はっ。失礼致します、マヤリィ様」

ぎこちない様子で玉座に近付いたタンザナイトは、忽ちマヤリィが醸し出す優しい空気に包まれた。

「ふふ、やっと名前を呼んでくれたわね」

マヤリィはそう言うとタンザナイトを愛おしそうに抱きしめる。

「私の為にそんなに悩んでくれていたの?全然気付かなくてごめんなさいね」

優しく声をかけられ、優しく抱きしめられ、タンザナイトの身体は硬直する。

「マヤリィ様、どうか僕のような者に謝らないで下さいませ。貴女様は流転の國の女王にして、この世界の頂点に立つ魔術師でいらっしゃいます。本来ならばこうしてお話させて頂くことさえ畏れ多いというのに…」

「ナイト、今の言葉をそのまま返すわ。貴女は流転の國の女王にして、この世界の頂点に立つ魔術師の娘。そして、貴女自身も強大な魔力を持つ世界最高クラスの魔術師なのよ?」

「世界最高クラス…?」

不思議そうな顔をするナイトに、マヤリィは優しい声で話し続ける。

「ええ。貴女は目覚めたその時から自分の立場を理解し、流転の國の戦力となる為の努力を惜しまなかった。我が國の書庫にある膨大な魔術書を解析し、流転の羅針盤を使いこなし、隣国での任務も見事に果たしてきた。…貴女に自覚がなくても私は知っているわ。流転の國のタンザナイトは、間違いなく世界最高クラスの『書物の魔術師』。つまり、既に貴女はミノリを超えているの」

「っ…?」

その瞬間、タンザナイトの表情が揺らぐ。初めて感じる気持ちに戸惑いつつ、マヤリィの言葉を反芻している。

(僕が…世界最高クラスの魔術師…)

やがてそれを受け入れたタンザナイトは、マヤリィに認められたことを嬉しく思う自分に気付いた。今まで考えたこともなかったが、お褒めの言葉を賜ったのだ。

「母上様、僕は…貴女様のお役に立てているのでしょうか?」

初めての感情を知ったナイトは、無垢な瞳でマヤリィを見る。

「ええ、勿論よ。貴女は私の自慢の娘。私の手を離れた後、よくここまで立派に育ってくれたわね。まさか私の病気の心配をしてくれるなんて思ってもみなかったけれど、貴女の言葉は本当に嬉しかった。…いえ、今も嬉しいわ。…物凄く」

マヤリィがそう言って笑顔を見せると、ナイトも微笑んでくれた。

そんな彼女を見て、マヤリィは甘えた声を出す。

「…ねぇ、ナイト?もう少し私の傍にいてくれないかしら?確かに私の病気に白魔術は効かないけれど、大好きな貴女と一緒にいられたら幸せよ」

「僕が母上様のお傍に…?よろしいのですか…?」

「ええ。可愛い娘を連れて行きたい場所があるの。せっかく貴女が私の所へ来てくれたんだもの。まだ離れたくないわ」

宙色の耳飾りを輝かせ、マヤリィはナイトを強く抱きしめる。そして指を鳴らすと、一瞬で第3会議室に『転移』した。ここは、宙色の魔力を発動しなければ入れない特別な部屋である。

「…!第3会議室…!?」

流転の國の全ての情報は最初からタンザナイトの脳内に在る。

「ここがマヤリィ様の理想の光景を映し出す海辺の部屋…。まさか、僕が入らせて頂けるとは思いませんでした」

窓の外には美しい海が広がっている。

まだ明るいので、白い砂浜も見える。

全ては『宙色の魔力』によって生み出された幻だが、本物の景色にしか見えないとナイトは思った。

(この子の観察眼は相当なもの。もしかしたら私の『幻惑』魔術さえ打ち破ってしまうかもしれないわね…)

興味深そうに海を見るナイトの様子を可愛いと思いながら、マヤリィはそんなことを考えていた。

「…ねぇ、私に何か話を聞かせて頂戴。例えば、貴女とラピスは普段どんな風に過ごしているのかしら」

マヤリィはナイトと他愛ない話をしたいと思った。

…そう。仲の良い母娘みたいに。

「分かりました、母上様。そうですね…あの人の失敗談なら色々と思い出せますよ」

ラピスのことを思い出したナイトは真顔で言う。これが『いつものタンザナイト』だが、二人の間には確実に以前とは違う空気が流れている。

「特に面白くもない話ですけど、構いませんか?」

「ええ。出来れば面白くない話が聞きたいの」

マヤリィが真面目な顔でそう言うと、逆にナイトの頬が緩んだ。

「最近、姉上は巻き髪にハマっているらしいのですが、この間は失敗してコテで火傷をしてしまって…。慌てて僕が回復魔法をかけました」

「あら、貴女も慌てることがあるのね」

「はい。いきなり悲鳴が聞こえたものですから、何事かと思って焦りましたよ。軽傷で良かったです」

「ふふ、ラピスったら不器用なのね。…ナイトはどうなの?髪の毛、巻いてみる?」

「いえ、巻き髪はあまり…。それよりも僕は母上様のような髪型にしてみたいです。僕には似合わないかもしれませんが」

「そんなことないわ。貴女さえ良ければ、今度ジェイに頼んで切ってもらいましょう?彼、凄く上手なのよ」

ナイト自ら何かをしたいと言ったのは初めてだった。しかもそれが髪型のこととなれば、どうしたってマヤリィは叶えてあげたいと思う。

ナイトには、私と同じ苦しみを味わわせたくない。髪型も服装も、好きなようにさせてあげたい。…マヤリィは母として、娘の自由を願っている。

「…母上様?どうかなさいましたか?」

気付けばナイトが心配そうな顔で見ている。

彼女の言葉を聞いて、つい色々と考え込んでしまった。

「お具合が悪いのですか?何か、僕に出来ることは…」

「いえ、違うの。私は大丈夫よ、ナイト」

彼女の言葉を遮り、マヤリィは言う。

「少し、昔のことを思い出してしまっただけなの。心配かけてごめんなさいね」

そして、隣に座っているナイトを抱きしめる。

「タンザナイト、貴女は自由に生きるのよ。私のことも他の誰かのことも気にしなくていい。貴女の好きなように生きて、願いを叶えて、幸せでいて欲しいの。…私のお願い、聞いてくれる?」

急に重い話になったが、ナイトは素直に頷く。

「分かりました、母上様。僕はこの流転の國で自由に生きます。これから先もずっと、貴女様のお傍近くで生きていきます」

ナイトは可愛らしい微笑みを浮かべ、優しい声で告げる。

「母上様、僕は貴女様に自慢の娘と呼ばれて、もう既に幸せなんですよ」


母を大切に想う娘と、娘の優しさを嬉しく思う母。

二人は時間を忘れ、窓の外が暗くなり月が昇っても、波音の聞こえる部屋で話し続けた。

…しかし、その会話の中に彼女はいない。

マヤリィにとってタンザナイトは可愛い娘。

そんな彼女に突然「貴女様を救いたい」なんて言われたら、特別な部屋に連れてきて「私の傍にいて頂戴」とマヤリィが甘えるのも無理はありません。


「ナイトには、私と同じ苦しみを味わわせたくない」と思うマヤリィは、完全に母親の顔。創造主=母、ではなく心から娘の幸せを願うようになりました。


因みに、遅い時間まで楽しく話した後は、マヤリィが安心して眠れるようにナイトが特別な白魔術をかけたのだとか。

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