【6】思うところ② *クライブ視点
学園時代のフォスティーヌを思い出そうとしたが、そもそも記憶に入っていなかった。
フォスティーヌとの婚約は、暗殺された父である前国王が取り決めたものだ。フォスティーヌの父のバーネット侯爵は、実直な人物だという。
父である前国王は放蕩の限りを尽くす自分の側室を棚に上げて、私の婚約者を決める際には本人だけではなく父親も家中の者も徹底的に調べ上げて、愛人がいる者や腹違いの子どもを持つ者などを排除して決めたと言った。
これまで自分にまったく興味を持たなかった父が、たとえすべて部下にやらせたとはいえ、初めて父らしいことをしてくれたともいえる。
バーネット侯爵はその中でも特に身持ちが固く、奥方を亡くしてから再婚もせずに三人の子どもと暮らしている真面目な男だと言われていた。一つ年下のフォスティーヌは学園でもトップクラスの成績を取っていたという。
父ですら扱いに手を焼く側室の血を汲む私の婚約者に優秀な令嬢を選んだことが、せめてもの贖罪だとでもいうように。
それならば自分の相手に次兄の婚約者としたブリジットを選んで欲しかった。
幼い頃から交流のあった一つ年上のブリジットが初恋の相手だ。
次兄マーヴィンの婚約者になった直後に、ブリジットはマーヴィンによって婚前であるのに無理やり純潔を奪われたと私の前で泣いた。
兄マーヴィンに詰め寄ると、どうせ結婚するのだからそれが少し早まったからといって問題ないと、ニヤニヤ笑いながら言ったのだ。
ブリジットは『純潔を奪われた』と泣いていた。
いつか次兄を殺してやると胸に閉じ込めた感情を、異母兄である長兄に気づかれていた。
そのことが私の命を救ったことになったのは皮肉だ。
マーヴィンに怨みを抱える自分が、マーヴィンと結託する訳が無いと判断されたおかげで自分まで投獄されずに済んだ。
父親の身持ちが固く本人の学業の成績がよかった、ただそれだけの理由でフォスティーヌを妻としなければならなかったことは忌々しかったが、長兄の言うことに逆らうことはできなかった。
この別邸は一階も二階も天井が高く作られている。
この館を作った何代か前の領主はこの別邸を、美術品を収めるために作ったという。
それで大きな絵画や彫刻が映えるように、本館よりも豪奢な作りになっている。
質実剛健といった感じの本邸から少し距離があり、さらに木々に囲まれている。
本邸よりも南に位置し日当たりもよく前庭も広い。
ブリジットが車椅子で庭を散策できるように、道を広く緩やかに作り変えブリジットが好きな花をたくさん植えた。
「クライブ様の瞳の色のような青い花、わたくしはこれが一番好きですわ」
まだ子供の頃のブリジットの言葉を忘れたことはなかった。
この部屋の北側の窓からは本邸が見える。
本邸はほとんど人がいないので、夜はいつ見ても暗い。
あの暗い窓のどこかにフォスティーヌが居ると思うと、その存在を消すようにカーテンをぴっちりと閉めた。
***
別邸のクライブ様のところから戻りながら、アーサーは考え事をしている。
奥方様に実際に聞いたことと、自分の目で見たもの以外は旦那様に報告するつもりはなかった。報告にアーサー自身の所感を入れることはしない。
奥方様が探していた青色のインクは、旦那様の瞳の色だろうということは報告する必要はなかった。
アーサーがそうだろうと勝手に思い、アーサーの知るクライブ様の瞳の色に近いインク瓶を差し出した時に、奥方様の目がパッと見開かれたことも単なるアーサー個人の感想にすぎない。
見たもの以外は報告をしないが、この目で見ても報告しなかったこともあったなと思う。
奥方様が、帽子店で仲睦まじく笑い合っていた旦那様とブリジット様を見て立ち尽くしていたことについては、旦那様に報告しなかった。
そして、王国を揺るがした日が奥方様の誕生日だったとは……迂闊にも頭で『事実』がバラバラに置かれていて旦那様の前で失態を犯した。
それにしても、奥方様が気の毒だった。
これではこの先、奥方様の誕生日を祝うことはできない。
奥方様は、平民でも誰もが持っている『皆に祝われる特別な日』を王国の悲劇の日に奪われてしまったというのか……。
クライブ様のあのご様子では、この先何度奥方様の誕生日がやってきても、祝いの言葉を伝えることはないだろう。
その夜は考え事が頭の中を駆け巡り、なかなか寝付くことができなかった。