13.ふさわしい男
ああああああ・・・・。ホルストは体を震わせ、呆然とスクリーンを眺めている。口からは涎が垂れていた。皇帝ユリウスⅢ世の長男、ボルドー大公ホルスト・アレクサンダーは生まれてから一度も死の恐怖、それどころか挫折すら味わったことがない。なのに気がつけば突如死神が目の前に現れ、自分に向かって大鎌を振り下ろそうとしているのだ。
シュヴァルツヴァッサー(SW)艦隊が迎撃の務めも果たさず戦場から逃亡した後、ホルスト艦隊は慌てて本隊に属する戦列艦1,000隻を回頭させ迎撃しようとした。しかしその回頭が終わるよりも早く、ランヌ、ダヴー両戦隊合わせて2,500隻から発射された何万発ものミサイルが戦列艦を襲い、あっという間に800隻以上が屑鉄になった。
左翼では敵フリゲート戦隊が正面の帝国艦隊を撃破し、ホルスト艦隊の本隊を側面から攻撃している。他方、SW艦隊が抜けた穴からはフェメニーノ提督の戦隊の一部が入り込み、これも右側面からホルスト艦隊の戦列艦部隊を包囲していた。オクシタン軍の包囲網は徐々に狭まりつつあり、旗艦ザーゲの周りでも僚艦が次々爆発炎上している。
「殿下! 司令官! ご指示をっ!」
ベッケンバウアー幕僚本部長の叫び声もホルストには届かない。彼は罠にかかった猛獣のようにうろうろと歩き回って意味不明の言葉を発している。しかし、何の啓示だったのか、彼の目にスクリーン上に映る一筋の光が飛び込んできた。彼はベッケンバウアーの腕を掴んで唸り声を上げた。
「あ、あ、あれだ! あそこから逃げようっ!」
ホルストに比べればまだ正気を保っていたベッケンバウアーはオペレーターに向かって叫ぶ。「方位2-2-0、機関全速! 全艦、旗艦を、殿下をお護りしろ!」敵艦隊の面前でホルスト艦隊全艦は急回頭し、彼が示した方向へと殺到し始めた。その間にも帝国軍艦船は剥き出しとなった横腹に敵の主砲やミサイルの直撃を受け、急速に数を減らしていく。
「敵戦列艦約70隻が包囲を突破しました!」
ゲクランはスクリーンをみてちっ、と舌打ちをした。両軍の艦艇が入り乱れる中で、包囲網にわずかな隙間ができていたらしい。あの70隻のどれかに敵の総司令官ホルストがいるはずだ。追撃の部隊を出す必要があるが、一番適任のエーグル戦隊は既に4分の1の艦艇を失っており疲労の極にあるだろう。最前線中央で敵攻勢を受け続けたダルトワ戦隊は論外だ。左翼のフェメニーノ戦隊は未だ正面の敵約600隻に苦戦中だ。仕方なく、ゲクランは旗艦エペイストの艦橋上で忙しく立ち働いている幕僚のジョセフ・アンリ大佐を呼んだ。
「アンリ、君に戦列艦100隻とコルベット100隻を預ける。あの逃走部隊を追え」
「はっ」
旗艦の艦橋を大股で去っていくアンリをちらりとみただけで、ゲクランはまた髭をしごき始めた。時刻は6時半を回ったところだ。さっさと目の前の敵残存部隊を片付けて艦隊の補給と再編成をしなくてはならない。
「総旗艦ザーゲの位置情報が・・・・消失しました!」
オペレーターの報告を聞いても、ボルトハーゲンは司令官席に座って腕を組んだ姿勢のまま目をつぶって微動だにしない。敵の予備戦力がボルドー諸侯艦隊を襲撃した時から、既に左翼艦隊の壊滅は避けられぬ運命だった。
彼は今、自らの来し方を思い返していたのである。(あの小僧・・・・)ホルストをバックアップしてきたのはボルトハーゲン自身だったが、それは致し方のない選択だった。なぜなら彼を産んだのはボルトハーゲンの縁戚の女であるミレディ皇后だったのだから。ライバルであるヴェスターブルグの娘にレナード王子が産まれてからはなおさらだった。しかし必要以上に彼を、ホルストを甘やかしすぎたようだ。彼はあまりに自信過剰に育ち、最近ではボルトハーゲンの言うことさえまともに聞くことは少なくなっていた。いずれ彼が皇帝に即位したとしても、ボルトハーゲンが彼を操縦するのは苦労しただろう。
(あの男は・・・・)ボルトハーゲンは皇帝ユリウスⅢ世の顔を思い浮かべる。皇帝が長男であるホルストをいつまでも皇太子に指名しないのは、我がボルトハーゲンに対する面当てだとしか思っていなかったが、もしかするとホルストの本質を見抜いていたのだろうか。
そこでボルトハーゲンは想いを振り払うように頭を振った。済んだことをいつまでも振り返っている暇はない。まだ終わらぬ。こちらにはまだ1万隻を超える艦艇が残っている。
「シュベルツドルフ艦隊に連絡せよ。フェルゼン要塞を盾にしつつ、我が艦隊の左方に展開せよ。敵右翼艦隊の攻勢に備えるんだ」
シュベルツドルフ侯爵は帝国の所謂“3侯爵”の1人で、先のオクシタン戦役で戦死した前宇宙艦隊司令長官シュブレムベルグ侯爵とともにボルトハーゲンの古くからの盟友だ。その彼が長男ギルベルトに付けて寄こしたのは3,000隻と、少々不満な数ではあったが、未だ戦闘に参加せず無傷の艦隊は今では何よりも貴重だ。
シュベルツドルフ艦隊が所定の位置についたのを確認すると、ボルトハーゲンは命じた。
「前進せよ。総攻撃に移る」
ボルトハーゲン艦隊の前方では、敵左翼艦隊とボルトハーゲン諸侯艦隊、ナルヴィク艦隊が戦闘を続けている。今は敵右翼艦隊がこちらの背後に進出する前に、正面の艦隊を撃破することが急務だった。




