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冬の話 4


「あんたは知らんやろうけど、あんたの家は五摂家いう、天狐を出せる家やった」


 天狐とは、御先稲荷のトップに立つ存在。

 相当の修行年月はもちろん、五摂家と言われる家柄からしか出すことが出来ない。

 五摂家は各地の御先稲荷と強く関係している者のことで、彼らは天命を受けた後、天狐としての修行を積むようになるのだという。


「そしてあんたの親父さん……恭一さんは天狐候補やった」

「候補って……お父さんは、ただの人間だったと……」

「天狐になるのに大切なんは神威の強さや。狐も人も、今の世の姿は関係ない。恭一さんはオサキモチ言われる、狐憑きの生まれで、人一倍神威が強かった」


 五摂家の序列一位に選ばれた尾崎恭一。

 そんな天狐候補を守るため、序列第二位から護衛役が選ばれるのだと、桐人は呟いた。

 それが自分だった、とも。


「僕は恭一さんを守るために、あんたの家に行った。まだあんたが生まれる前からな」

「……そんな」


 最初は面白くなかった。

 当然だ。天狐になるべく修行してきたのに、いざ候補に選ばれたのはオサキモチとはいえ、今世では人間だ。生まれた頃から神威を高めるため、修行を続けてきた狐たちからすれば、不満も生まれる。

 桐人もその一人だった。


「最初はたまらんかった……でも、なん言うか、恭一さんの人柄にやられてしまったんかもしれん」


 不承不承仕えに来た桐人を、恭一は優しく出迎えてくれた。その妻である若葉――三咲の母と一緒に。

 一緒に過ごすうち、修行だけしか知らなかった桐人に、二人は色々なことを与え教えてくれた。友のように、二人の本当の子供のように。


 そしてしばらくして三咲が生まれた。長く生を受けた桐人にとって、ほんのわずかな時間。ただ桐人はその時間を、今も宝物のように覚えている。

 でも、と続く言葉は残酷なものだった。


「僕はどうしても、天狐になりたかった」


 他の狐たちより抜きんでた神威を持って生まれた桐人は、初めて扇森の家から天狐が出ると囃し立てられた。桐人自身もそれを疑ってはいなかったし、それが当然の道だと信じていた。


 だが現実に選ばれたのは、自分ではなかった。

 その羨望は知らないうちに桐人の心を蝕んでいた。

 三咲の父を殺し、その後釜につく。そう考えた時期は間違いなくあった。


「恭一さんの神威がこれ以上脅威になる前に、僕が殺した。……邪魔をしたあんたの母親と一緒にや」


 その言葉を、三咲は最初、うまく認識できないでいた。

 桐人が父を殺した。邪魔をした母と一緒に。父と。母を。


「せやけど下手うって、上に見つかった僕は、ささと扇森から縁を切られて、ただの野狐んなった、……後はひたすら、追われるだけの身や」

「そんな、でも、……」


 思考が回らない。突然のことに示された点と点が結びつかないままだ。

 一方で桐人の声は、穏やかでよく通る、普段のままだ。

 だからこそ、いよいよ彼の真意が分からなかった。




 言葉を紡げない様子の三咲を見、桐人は軽く首を傾げた。

 黒曜石色の髪から、雪の欠片が零れる。面の下の表情は相変わらず見えない。ただ、何故かその無機質な狐面がどこか悲しそうに見えた。


「……今日で契約は終いや」

「……え……?」

「あんたかて嫌やろ。自分の親殺しんために、汗かくなんて」

「……」

「僕のために動く【シタ】は、霊力が高い方がええ。……あんたの血にはオサキモチの血統が流れとう。神社の復興も嘘や。僕はあんたが知らんのをいいことに、修行に利用してただけ」


 嘘だった。

 死にそうになっていた三咲を助けたのも。みすぼらしい前髪を切ってくれたのも。神友祭で狐から守ってくれたことも。すべて。全て。

 すべては、三咲の持つ血と、その修行のための踏み台でしかなかったのか。


「あんた、意外と根性あってん。おかげでだいぶ力戻たわ」

「嘘だよね……桐人は、そんな……」

「僕は今までも、これからも、ずっとこんなや。……僕を憎んだらええ、……こんな僕のおる、狐の世界に入ってくんねや」


 動かない三咲に苛立ったのか、桐人は一歩、二歩とこちらへ足を踏み出した。

 その手にはいつも腰に佩いていた日本刀。すらりと輝く刃筋が見え、何かと思う間もなくその刃先が三咲の首筋に添えられていた。

 赤い線がすいと横に流れる。遅れて、氷を当てられたかのような冷たさが走った。


「――!」

「さよならや。――みさき」


 息の仕方を思い出せない。三咲はガタガタと震える腕を、足を、なんとか抑えようと力を籠める。その姿を見て、桐人はあてていた刃をそっと離すと、静かに鞘に戻した。

へたり、と座り込む三咲を残し、神社の本殿へと向かう。




 首筋が熱い。

 痛みと痒みと、ない交ぜになった感情が、外気の冷たさすら忘れさせた。

 

 それは白い雪の降る夕刻のこと。

 桐人は三咲の目の前から静かに姿を消した。


 ひらり、と青色の蝶が一羽、二人の間を舞って幻のようにいなくなる。

 世界から、一切の音が盗まれたかのようだった。




 

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