冬の話 3
ダァン、とテーブルを強く叩く音がしたかと思うと、先ほどまでとは打って変わった様子の叔母が立ち上がっていた。表情は険しく、怒りに震えている。
「恭一さんも、姉さんを! どうしてあんたたちばかり、選ばれて! あたしは選ばれないのよおお!」
「叔母さん、落ち着いて……」
「どうしてよ! なんであたしじゃないのよ! どうして!」
――狐憑きや、と桐人がこぼした。
「なんや臭いとは思ってたけど、ここもか」
「狐……? 叔母さんに、憑いてるの?」
「おまけに結構な年数ものや。昔からの妬み嫉みを食われとう」
狐は人間の中にある感情を好む。
叔母の中にいる狐は相当長い期間、彼女の中で悪意を蓄えていたようだ。
「いつだって、ねえサンが、キレイで、カワイクテ、えらばれて……ワタシハ愛されナクテ、」
「なるほど、若葉さんの妹か。あんたはそこを狐に憑かれたわけや」
豹変したその姿を見て桐人は変化を解いた。驚く三咲は同時に、何か強い違和感を覚えていた。何だろう。何かが、引っかかっている。
「桐人、戻って大丈夫なの」
「こなったら、もう狐に意識も食われとう。僕も変化しとう間は力が出せん。そのあいだに食われる方が面倒や」
改めて叔母を見る。鬼神が乗り移ったかのような顔つきに、肌はどす黒く変化している。冬木たちとは違う、まるでそのまま悪意に飲み込まれてしまったかのようだ。
叔母は変化を解いた桐人を見ると、ギャアともシャアとも形容しがたい、鳴き声を挙げた。
「何故お前がココニいる……!」
「……?」
すん、と鼻を鳴らした桐人が押し黙った。
その隙に叔母は台所にあった包丁を手に取り、三咲にその切っ先を向けた。
「この女は、アンタとアンタノハハオヤを憎んでる。ハハ、かわいそうにネエ。おれが手助けシテヤルよ」
そう言うと、刃物を腰に構えたまま三咲に向かってくる。逃げなければと後ずさるが、間に合わない。
あ、と三咲が目を瞑る。
だが寸でのところで、桐人が二人の間に割って入った。
そのまま凶器をもつ手を膝で蹴り上げると、カララと音を立てて包丁が床を滑る。両腕を片手で巻き込むようにして縛り上げ、床に倒れこんだ体を足で踏みつけると、叔母は苦し気に声をあげた。
「グッ……!」
「あんた、この匂い、もしかして……」
身動きのとれぬ叔母に問いかけるが、答える気はないようだ。
ただ楽し気に笑うと、叔母は歪んだ顔で桐人を見上げた。
「ハハ、ヒトキリの桐人。ついに子どもシマツしにきたカ」
「……」
「シカシ、よくカクシテいたものだ。なんだ? シラナイのか、そいつは」
そいつ、が自身のことを指しているのだと三咲は悟った。
物言わぬ三咲に気をよくしたのか、組み敷かれている叔母は更に口上を続ける。
「――尾崎三咲、コイツはお前の親をコロシタんだ」
桐人が親指で自身の面を押し上げた。
半分ほど押し上げられたその下からは、整った輪郭と薄い唇、そして白くこぼれる小さな犬歯が見えた。かと思うと、桐人はそのまま勢いよく、叔母の首元に噛みつく。
ぎい、という短い断末魔が響く。
あまりに一瞬であったのと、顔の半分は面で覆われたままだったので、桐人の顔は見えない。だが彼の口元からは赤い煙のようなものがうすらと立ち上っていた。
おそらく――食べたのだろう。
すぐに面を戻す桐人に、三咲は何か言葉をかけなければと思いながら、続く言葉が見当たらない。そのうちに桐人は、すぐさまその場を離れた。
三咲は恐る恐る、床に寝転ぶ叔母の傍にしゃがみ込む。幸い息はしているようで、今は肌も元に戻り、静かな寝息を立てていた。
叔母は狐に憑かれていた。
日々のきつい言動も、狐に支配されていた部分があったのかもしれない。
(どうして……)
三咲は立ち上がり、桐人の後を追った。
外に出ると既に星がいくつか見え始め、山の端が美しいオレンジ色に縁どられていた。
そのまま出てきてしまった三咲は、寒さに身を振るえさせるが、これ以上待っていたら桐人が探せなくなると辺りを見渡す。
周囲に姿が無いとわかると、今度はイチかバチか神社の方へと走り出した。枯れた小枝を踏み割ってしまい、ぱきりと音を立つ。よろめき、息が続かない。こんなわずかな距離なのに、石段上りより苦しいのは、どうしてだろう。
気づくと空から、白い結晶が散り始めていた。
道路や木々に白い雪が積もり、少しずつ姿を消していく。
(桐人……)
神社にたどり着く直前、鳥居の傍で桐人を見つけた。
慌てて声をかけるとぴたりと立ち止まる。その様子に三咲は安堵と不安を抱えながら、荒い息を整えるように吐いた。肩と髪から白く雪が落ちる。
「……あの、……えっと」
桐人は何も言わない。ただ静かにこちらを見ているだけだ。
三咲自身も何を言ったら、何から聞いたらいいのか分からず、言葉を探した。
「さっきは、ありがとう」
素直に出た言葉。
だが、その次に浮かんだのは、三咲の心に生じた小さな疑問と、狐が叫んだ最期の言葉。
きっと嘘だ。嘘。
「――桐人が、私の両親を殺したって、本当?」
嘘だ、と言ってほしかった。
だが同時に、三咲は違和感を拭い去れないままだった。
桐人は知らないはずだ。言ったことはなかったはずだ。
それなのにどうして彼は母の名前を――若葉、を知っていたのか。
その疑問を裏付けるように、桐人は三咲の望まない言葉を吐いた。
「ほんとや、いうたらどうする」
桐人の黒い髪が、白い雪の中恐ろしく美しかった。




