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夏の話 14


 帰宅する頃にはすっかり夜になっており、ほっとした気持ちと渋る気持ちで自宅の近くまで来ていた。おじいさんの家でしっかり泣いて安心したのも束の間、また叔母のいる家に戻らなくてはならない。

 彼女の帰る家はもうそこしかないのだ。


「……」


 足が止まる。

 どうしても入る勇気が出ず、三咲がうろうろしていると、背後から突然声をかけられた。


「ねえ」

「はっはいっ! え、と……」

「ぼく。声で分かんないの」


 へ? と振り返ると、夜風に金髪を躍らせた従弟が、不機嫌そうな様子で立っていた。そう言えば昨日のお礼も言っていない。


「あ、蓮くん、昨日は、ありがとう……ごはん……」

「は? なにそれ、ぼく知らないし」

「……あれ?」


 蓮からではなかったのだろうか。また恥ずかしいことをしてしまった、と赤面する三咲に、蓮はぶっきらぼうに言葉を続ける。


「今日は母さん、職場の飲み会でいないから、早く家入ったら」

「あ……」


 蓮も自身の母親の気性は理解しているらしく、目立った抵抗はしない。三咲が当たられている時も、仲裁に入れば一層風当たりが酷くなることを知っているから、けして割り入ってはこない。それだけはとてもありがたかった。

 昔のようにお姉ちゃんと呼んで慕ってくれることはないが、三咲が家に入りづらいのではないかと気にしていたのかもしれない。


「ありがとう……」

「別に。たまたまコンビニに行くのに外出ただけだし」


 そう言うなり、さっさと歩き去ってしまった蓮の姿に驚きながら、少しだけ笑いがこぼれる。最近亘理も帰ってきて、なんだか昔の頃を思い出すことが増えた。

 まだ両親とこの家に住んでいた頃。

 亘理と、時々遊びに来ていた蓮とよく遊んでいた。三人で街中を走り回って、どこにでも探検に行った。あの頃のままなら、自分も二人と気軽に話せたかもしれない。


(でも、ダメだ……)


 二人は立派になった。

 女性なら誰でも好きになってしまいそうな、素敵な男性に変貌している。


 でも自分は?

 学校にも家にも馴染むことが出来ない。叔母の気に入る言葉一つ言えないし、未だに冬木たちに抵抗すること一つ出来ない。

 情けない、と心に沈めたまま、叔母が帰ってくる前に、こっそりと自分の部屋へ戻っていった。





 それから数日、麻中との試験対策と日々の石段上りで忙しく日々は流れた。

 麻中は見た目以上に地頭がいいらしく、教えるとスポンジが水を含むかのように習得していく。これだけ出来るのであれば、授業だけでも大丈夫では、と聞くと「バイト入ってるときはがっこーさぼっちゃうから」と言われた。

 聞けば出席日数は毎年ギリギリらしい。


「やーもう助かったよー!」

「いよいよ明日から追試だね。よもちゃんならきっと大丈夫だと思う……」

「いやーみさきちのおかげだって! ほんとにありがとね!」


 筆記具を筆箱にしまい、いそいそとカバンに教科書を詰める。ちゃり、と揺れた音に目を向けると、麻中の持ち物にしては幼い感じのテディベアがぶら下がっていた。


「よもちゃん、これ、よもちゃんの?」

「えっあーうん! 妹がむかーし誕生日にくれたやつでー」

「そうなんだ……かわいいね」


 だしょ! と麻中は満面の笑みを浮かべる。


「妹まじでかわいいからね~! 最近は全然会えないけど」

「ん、会えない……?」

「うち両親が離婚してさー。妹は母親側にいんだよね。今時珍しくもないけどさー」

「ご、ごめん、そんなこと聞いちゃって……」

「いーのいーの。じゃ、あたしバイトあるから!」


 じゃね、と明るく笑いながら帰る麻中を見送る。

 結局三咲が先生役を始めてから約一週間、麻中はほぼ毎日勉強に来ていた。これだけ頑張ってるのだからきっと追試もクリアするだろう。


(さて、私はこれから修行に行かないと……)


 よもちゃんが頑張っているのに自分だけさぼってはいられない。

 よいしょ、と重たい体を持ち上げる。


 最近、少し体を動かすのが楽になっている気がした。







 おじいちゃんに先日のお礼を兼ねてお菓子を持っていくと、当然のようにいらないよと突き返された。また話を聞いてもらいたいから、とお願いして何とか受け取ってもらう。


 あれから本当に、叔母は三咲の分だけ準備をしなくなった。

 台所を使うことに対してもうるさいので、最近では調理すら出来なくなっている。いつまでこの状態が続くのだろう。

 だが幸いにも高校三年。あと半年我慢すれば、住み込みの仕事でもなんでも出来る。

 それまでの我慢だ。それまでは買うなり、調理室を借りるなりするしかないだろう。


 神社の石段に向かうと、鳥居にもたれるようにして桐人がいた。上り下りの時は一切姿を見せないが、最近ではこうして終わり際だけ顔を見せるときがある。

 さすがに少し暑いのか、今日は白いシャツに黒のベストという出で立ち。シャツをまくりあげており、筋張った腕が見える。だが黒の革手袋だけは着けたままだ。


「なんや、まだおったん」

「あ、はい……」


 自分が石段修行に呼んでいるはずなのだが。むむむ、と思う気持ちを堪え、石段を下り始める。その三咲の背に「あんた」と声が届いた。


「最近、狐に会うたか」

「狐……は、特に見てないですけど……」


 狐。本物の狐か、神使としての狐のどちらだろうか。

 確かに桐人以外の狐にはまだ会ったことがない。考えてみれば桐人以外にも神使はいるだろうから、会ったとしてもおかしくはないか。

 その返事に桐人は黒い手袋に覆われた指を軽く握り、面に添わせる。何かを考え込んでいるようだ。


「最近、狐の匂いがする。あんたも気ぃつけ」

「気をつけるというと、エキノコックス的な……」

「あほ、浮気すんないうことや」


 浮気、の単語に一瞬動揺したが、よく考えたら自分以外の神使に気を付けろということだろう。彼女の修行無くして、桐人の神格アップにはつながらないのだ。

 ちょっと勘違いしそうな言葉を吐いても、相変わらず面の下の表情は見えない。


 黒く艶やかな短い髪だけが、ざあと風に揺れる。朱色の鳥居が夏の夕日に照らされ、面を留める赤く組紐が躍る。まるで映画のワンシーンのようだと三咲は見惚れた。


 私だけではなく、この神秘さで他にも女性にお願いすれば、意外とたくさん人が集まるのではないだろうか。縁結び神社とか言って。

 などと余計なことを考えていると、桐人が小さく言葉を吐いた。



「……なんや、裂くぞ」


 前言撤回。

 不機嫌になった桐人の声色を察し、「おつかれさまでしたー!」と言いながら過去最高の速度で石段を下り始めた。触らぬ神にたたりなしだ。




 

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