第1話 婚約破棄なら想定済み
「婚約を破棄させていただきますわ」
ほう。
やはり、そうきたか。
王立学院の中庭。午後の授業が終わり、生徒たちの声が遠ざかっていく中で、俺はうなずいた。
婚約破棄。
異世界に転生した以上、警戒しておくべき定番の1つだ。しかも俺は、借金まみれの男爵家の息子。婚約者は伯爵令嬢で、ここ最近、俺を見る目が露骨に冷たくなっていた。
条件がそろいすぎている。
もちろん、想定内だ。
「わかった。この婚約は解消しよう」
「今さら泣いてすがっても無駄ですわ。わたくしは、あなたなんかよりよほど将来性のある方から……えっ?」
シルヴィアの口が止まった。
風が吹き、艶のある茶色の長い髪が肩からこぼれる。青い瞳が大きく見開かれ、胸元の扇だけが、予定どおりにぱちんと閉じた。
シルヴィア・ラングレー。
ラングレー伯爵家の令嬢で、アルヴェイン王立学院でも1、2を争う美女だ。成績も優秀。
何事にも真面目で、他の生徒への応対も丁寧だ。ただし、俺に物を頼む時は命令形になる。
そして、俺と同じ高等部1年の同級生である。
父親同士が古くからの友人で、俺たちの婚約が決まったのは、家が借金を抱えるより前のことだった。
対する俺は、オスカー・エルフォード。同じく15歳。
家格は低い。実技の成績も低い。つい8日前まで、人前ではまともに声を張ることすらできなかった。
返事をしているのに、点呼で2度名前を呼ばれる程度には目立たない。はっきりと言えばモブだ。
家の借金だけが、驚くほど存在を主張している。
「……今、なんと?」
「婚約破棄を受け入れると言ったんだ」
シルヴィアは俺の顔をじっと見た。それから、すっと顎を上げる。
「ずいぶんと軽いお返事ですこと。わたくしとの婚約ですのよ?」
「相手は知っているよ」
「そういう意味ではありませんわ!」
扇の先が、俺の胸元へ向けられた。
以前の俺なら、ここで謝っていた。何が悪かったのかは、謝ったあとに考える。相手の機嫌が直らなければ、もう1度謝る。
『わたくしの婚約者なのですから、もっと堂々となさい』
そう叱られて俯き、俯くなとまた叱られる。
だが、前世を思い出した今は、彼女の目を見て話せる。言いたいことも、普通の声で言える。
「君は、簡単な気持ちで言ったわけじゃないんだろう?」
「当たり前ですわ」
「なら、俺もちゃんと受け止める」
シルヴィアは1度口を開き、扇を広げた。
「……ずいぶん、物分かりがよろしいのですね」
「ああ。これまで世話になった」
俺は一礼した。
昔から知っている相手だし、伯爵家にも世話になっている。別れるにしても、礼は伝えておきたい。
そのうえで、これからのことを決めればいい。
「では――」
「お待ちなさい。まだお話は終わっておりませんわ」
扇が、行く手を遮った。
「わたくしのお父様の支援がなければ、あなたの家は没落を免れませんのよ?」
次は、支援の話。
これも考えてある。
「支援が止まれば、今のままでは3か月で資金が尽きる」
「そこまで分かっているのなら――」
「だから、返済計画を立てた。別の方法で立て直す」
伯爵家からの支援が、婚約解消と同時に止まると決まったわけではない。だが、止まった場合のことは考えてある。
その時は、用意していたプランBへ切り替える。収入源を1つに頼りきるリスクは、前世で十分に学んだ。
家の収入が増えるまでの手順も、必要な道具も、ひと通り用意した。あとは動くだけだ。
「まあ、なんとかする」
「なんとかなるような額ではありませんわ!」
「知っている。帳簿を見た日の夕食は、味がしなかった」
その夜は、返済期限と担保を整理していたら朝になった。
父が遊び歩いて作った借金ではない。
水害で暮らしを失った領民を支え、橋と畑を戻すために父が背負ったものだ。家財を売って返済を続けながら、あの人は俺の前では笑ってくれる。
これまでは、心配することしかできなかった。
今は、その先へ進める。
「婚約破棄になったことと、俺のせいで支援が止まるかもしれないことは、父上には俺から伝えておく。伯爵様にも謝罪の手紙を送らせてもらう」
「……先程から、ずいぶんと話を進めるのがお早いのね」
「君も、引き延ばしたくはないだろう?」
「ええ、もちろんですわ。ですが、両家に関わるお話です。全てを勝手になさるのはおやめなさい」
「分かった。家同士の話は、父上たちに任せよう」
シルヴィアは扇を持ち直し、背筋を伸ばした。
「わたくしがいなくなってから、泣きついてきても知りませんわよ」
「ああ。自分でなんとかするよ」
そのために、この8日間、能力を確かめ、自分に何ができるのかを考え、稼ぐ方法を調べ、できる範囲で準備を進めてきた。
婚約がなくなっても暮らせるようにする。
おお、ちょうどいい。まだ日も高いし、今日のうちに一仕事できそうだな。
「強がっていられるのも今のうちですわ。いい機会ですから、新しい婚約者を紹介して差し上げます。侯爵家の――」
「いや、紹介はいいよ」
「まだ名前も申し上げておりませんわ!」
「相手が誰でも、君の幸せを願っているよ」
シルヴィアの瞳がハッと開く。
扇を握る指に、わずかに力が入った。
「ジュリアン様ですわ。オルブライト侯爵家の」
紹介を続行された。
名前には聞き覚えがある。上級生の侯爵令息で、以前から彼女へ花を贈っていたはずだ。
「今日は、都合がつかなかっただけですの。次の機会には、きちんとご挨拶なさい」
「分かった。会う機会があれば」
「……本当に、お会いになるつもりですの?」
「君が紹介するんだろう?」
シルヴィアは一拍置いてから、勢いよく扇を開いた。
「もちろんですわ。せいぜい、失礼のないようになさって」
「ああ。それじゃあ、今日はこれで」
「お待ちなさい」
また扇が出てきた。
まだ続くのか。
中庭の出口より、こちらの方が通りにくい。
「家を立て直すとおっしゃいましたけれど、危ない依頼に手を出すのはおやめなさい」
シルヴィアは俺を上から下まで見た。
「あなたの魔法では、焚き火をつけるのが精一杯でしょう。高い報酬につられて、大物の討伐へ出かけるなんて論外ですわよ」
「そのつもりはない。まずは、自分にできる仕事から始める」
「当然ですわ。無謀なことをしてよいのは、物語の英雄くらいですもの」
「忠告ありがとう」
「勘違いなさらないで。心配しているわけではありませんから」
「分かった。気をつけるよ」
俺がうなずくと、ようやく扇が下がった。
あの言い方でも、助言は的確だ。
しっかり準備して、できることから始める。
「それじゃあ、また明日」
「……明日?」
「同じ教室だろう」
婚約は解消する方向になったが、同級生まで辞めるわけではない。
明日は魔法実技の小試験だ。婚約破棄の翌日にも試験はある。異世界の学校も、そのあたりは容赦がない。
「せいぜい、今度こそまともな火を出してごらんなさい」
「ああ。練習の成果を見せられそうだ」
その準備も、もちろん済んでいる。
俺は片手を上げ、中庭をあとにした。
婚約破棄は想定内。支援が止まった場合のことも考えてある。父上には今日の話を伝えて、家の立て直しも始めなければならない。
上々だ。
こうして1つずつ、自分で動けるようにしていけばいい。
1人で稼ぐための能力はある。
必要な準備も、この8日間でできる限り進めてきた。
あとは、実際に試していくだけだ。
俺は足取りも軽く、実習棟へ向かった。
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『怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う』
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