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勇者じゃなかった俺の地方再建生活  作者: 犬山三郎丸


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魔王が討たれた日

魔王が討たれた日


 俺が魔王を倒す三日前、魔王は死んだ。


「魔王が、討たれたらしい」


 その言葉が酒場の奥から聞こえた瞬間、俺は手にしていた木杯を止めた。


 ここは中継都市ラグナ。

 王都と魔王領を結ぶ街道の途中にある、冒険者と傭兵と商人でごった返す街だ。


 魔王城を目指す者。

 魔王軍から逃げてきた者。

 戦争が終わったあとの儲けを見込んで荷馬車を走らせる者。


 そういう連中が集まる酒場は、今日もひどく騒がしかった。


 つい先ほどまでは。


「おい、今なんて言った?」


 槍使いのダリオが、肉を刺したフォークを持ったまま顔を上げる。


 ダリオ・グランツ。

 大柄で、声がでかくて、考えるより先に身体が動く男だ。

 俺たちのパーティでは前衛兼荷運び役で、酒場ではいつも真っ先に飯を頼む。


 そのダリオが、食いかけの肉を皿に戻していた。


 ただの噂なら、笑い飛ばして終わる。

 だが今の声には、そうできない響きがあった。


 酒場の入り口近くに立っていた男は、旅装束のまま肩で息をしていた。

 泥に汚れた外套。汗に濡れた髪。

 ただの酔っぱらいではない。


 伝令か。

 あるいは、王都から来た行商人か。


 男は酒場中の視線を浴びながら、震える声で叫んだ。


「魔王が討たれたんだ! 王都から正式な通達が出た! 神器を携えし真の勇者が、魔王城で魔王を討伐した!」


 次の瞬間、酒場が爆発した。


「本当か!?」


「ついにか!」


「魔王が死んだぞ!」


「戦争が終わった!」


「勇者様に乾杯!」


 椅子が倒れる。

 杯がぶつかる。

 誰かが泣き、誰かが笑い、誰かが神の名を叫んだ。


 その歓声の中で、俺だけが動けなかった。


 魔王が討たれた。


 神器を携えし真の勇者によって。


 その言葉だけが、頭の中で何度も反響する。


「……嘘だろ」


 自分の声が、やけに遠く聞こえた。


 俺たちは魔王城を目指していた。

 あと三日。

 山を越え、黒霧の谷を抜ければ、魔王城の外縁にたどり着く。


 そのはずだった。


 俺、レオン・アスター。

 僧侶のセリア。

 魔法使いのロイド。

 槍使いのダリオ。


 四人でここまで来た。


 魔狼の群れを斬り抜けた。

 呪毒を吐く沼竜を退けた。

 黒牙の魔狼を一人で仕留めた時、ギルドの連中は俺を見て言った。


『あいつが勇者なんじゃないか』


 俺も、そう信じていた。


 幼い頃から剣だけは誰にも負けなかった。

 村の大人たちは言った。


 お前はいずれ勇者になる。

 魔王を倒すのはお前だ。

 この国を救う男になる。


 その言葉を疑ったことはなかった。


 手の皮が裂けても剣を振った。

 骨が軋んでも立ち上がった。

 仲間を守り、魔物を斬り、魔王城へ向かって進み続けた。


 すべては、魔王を倒すためだった。


 俺が勇者になるためだった。


「神器……か」


 隣でロイドが小さく呟いた。


 ロイド・ファルク。

 魔法使いで、俺たちの中では一番頭が回る。

 皮肉屋で、何かにつけて理屈を並べる癖があるが、その理屈に何度も命を救われてきた。


 ロイドは細い指で眼鏡を押し上げた。

 いつも通り冷静な仕草だった。


 けれど、その指先がわずかに震えているのを、俺は見逃せなかった。


「王国の古い伝承では、魔王の魂は通常の武器では完全に滅ぼせない。魔王を討つには、神代から伝わる神器が必要だとされている」


「そんなもん、ただの伝説だろ」


 ダリオが低く唸る。


「俺たちはこれまでだって、魔王軍の幹部を倒してきたじゃねえか。なあ、レオン。お前の剣で、何度も道を開いてきた」


 ダリオは俺を見る。

 信じている目だった。


 今までと同じように、俺が「大丈夫だ」と言えば、それだけで前に進めると信じている目。


 俺は何も言えなかった。


「幹部と魔王は違う」


 ロイドの声は静かだった。


「そして、神器は真の勇者にしか扱えないとも伝えられている」


 真の勇者。


 神器。


 その二つの言葉が、胸の奥に鈍く突き刺さった。


「やめろ」


 俺はロイドの言葉を遮った。


 聞きたくなかった。


 その先を、分かっていたからだ。


 もし魔王を倒したのが神器を持つ真の勇者なら。

 もし神器が真の勇者にしか扱えないなら。


 俺は最初から、魔王を倒せる人間ではなかったことになる。


「レオン」


 セリアが俺の名を呼んだ。


 セリア・リュミエール。

 白い外套をまとった僧侶で、俺たちの傷を何度も癒やしてくれた仲間だ。

 無茶をする俺を叱るのは、いつもセリアの役目だった。


 その彼女が、今は胸元の聖印を握りしめている。


 祈りの言葉なら、セリアはいくらでも知っている。

 傷を癒やす術も、痛みを和らげる術も、彼女は誰より知っている。


 けれど今の俺に届く言葉だけは、見つけられないようだった。


「まだ、詳しいことは分かりません。ギルドで正式な通達を確認しましょう。もしかしたら――」


「何を確認するんだ」


 俺はセリアを見ずに言った。


「魔王が本当に死んだか? 神器を持った本物の勇者が本当にいたか? 俺が勇者じゃなかったことか?」


「レオン、私は……」


 セリアが一歩近づこうとして、足を止めた。


 いつもなら、俺が怪我を隠していても強引に袖をまくる。

 無理をしていれば、怒ってでも休ませる。


 だが今だけは、触れていいのか分からないという顔をしていた。


「悪い」


 口から出た謝罪は、ひどく乾いていた。


「少し、外に出る」


 返事を待たず、俺は酒場の扉へ向かった。


 途中、何人かの冒険者が俺に気づいた。


「あれ、レオンじゃねえか」


「黒牙の魔狼を斬ったっていう?」


「あいつが勇者じゃなかったのかよ……?」


 聞こえた。


 聞こえてしまった。


 悪意はなかったのだろう。

 ただの驚きだったのだろう。


 けれど、その言葉は刃より深く刺さった。


 あいつが勇者じゃなかったのか。


 そうだ。


 俺は勇者ではなかった。


 扉を押し開けると、夜風が顔に当たった。


 外も騒がしかった。

 通りには人があふれている。宿屋の窓から身を乗り出した客が叫び、商人たちは早くも祝い酒を売り始めていた。


 遠くの教会から鐘が鳴る。


 魔王討伐を祝う鐘。


 世界が救われたことを告げる鐘。


 俺にはそれが、自分の終わりを告げる音に聞こえた。


「勇者様が魔王を倒したんだって!」


 通りの真ん中で、子供たちがはしゃいでいた。


「すげえ!」


「俺も勇者になる!」


「馬鹿、勇者様は神器に選ばれた人だけなんだぞ!」


 神器に選ばれた人だけ。


 その言葉に、足が止まる。


 腰の剣に目を落とした。


 旅の間、何度も命を救ってくれた剣だ。

 刃こぼれし、研ぎ直し、魔物の血を吸ってきた。


 けれど、これは神器ではない。


 ただの剣だ。


 そして俺も、ただの男だった。


「……っ」


 胸の奥で何かが崩れた。


 怒りなのか。

 悔しさなのか。

 惨めさなのか。


 分からない。


 叫びたかった。

 誰かに嘘だと言ってほしかった。

 魔王はまだ生きていると、俺が倒すべき敵はまだ残っていると、そう言ってほしかった。


 だが、そんな願いはあまりに醜い。


 魔王が討たれたことは、喜ぶべきことだ。


 魔王軍に村を焼かれた者がいる。

 家族を殺された者がいる。

 故郷に帰れなかった者がいる。


 その長い戦いが終わった。


 世界は救われた。


 なら、笑うべきなのだ。

 杯を掲げるべきなのだ。

 勇者を称えるべきなのだ。


 なのに。


 俺の胸には、祝福の言葉など一つも浮かばなかった。


「レオン」


 背後から声がした。


 振り返ると、セリア、ロイド、ダリオが酒場から出てきていた。


 セリアは泣きそうな顔をしていた。

 ロイドは口元を結び、何を言うべきか考えている。

 ダリオは乱暴に頭をかいたあと、俺の前に立った。


「納得できねえなら、確かめに行こうぜ」


「……何をだ」


「魔王城だよ」


 ダリオは本気だった。


「魔王が死んだってんなら、この目で見りゃいい。神器だか真の勇者だか知らねえが、俺はお前がここまでしてきたことを見てる。噂一つで終わりにできるかよ」


 その言葉は、ダリオらしかった。


 理屈ではない。

 慰めでもない。

 ただ、仲間だから隣に立とうとしてくれている。


 だが俺は、その真っすぐさに応えられなかった。


「ギルドで確認してきた」


 ロイドが静かに言った。


 ダリオが振り返る。


「早えな、お前」


「こういう時こそ、まず事実を確認すべきだからね」


 ロイドはいつもの調子で言った。

 だが、その声には少しだけ苦さが混じっていた。


「魔王討伐は事実だ。討伐者は、聖剣型神器ルミナスに選ばれた勇者。名前はまだ王都以外には伏せられているらしい」


「……そうか」


 俺は短く答えた。


「魔王軍の主力は壊滅。各地の残党は騎士団と領軍が処理する。冒険者ギルドにも、今後は討伐依頼から復興支援へ方針を切り替えるよう通達が出ている」


「そうか」


「レオン」


 ロイドが少しだけ声を強めた。


「君が勇者じゃなかったとしても、僕たちの旅が全部無駄だったわけじゃない」


 その言葉に、胸が軋んだ。


 優しさだと分かっていた。

 慰めだと分かっていた。


 ロイドは理屈で俺を支えようとしている。

 旅の意味を、成果を、残ったものを並べて、崩れた俺の足場を作り直そうとしている。


 だからこそ、苦しかった。


「無駄じゃないなら」


 俺はロイドを見た。


「俺たちは何のためにここまで来た?」


 ロイドは答えなかった。


「魔王を倒すためだろ。世界を救うためだろ。俺が勇者だって、そう信じてたからだろ」


「レオン、それは……」


 セリアが一歩近づく。


 今度は、途中で止まらなかった。


 彼女は俺のすぐそばまで来て、けれど手を伸ばすことはできず、聖印を握ったまま言った。


「あなたが勇者かどうかだけで、これまでの全部が決まるわけじゃありません」


「じゃあ、何で決まる」


「それは……」


 セリアの声が震えた。


「それは、あなたが誰を守ってきたかで……」


「守った先に、魔王がいたんだ」


 俺は言った。


「俺はそのために剣を振ってきた。勇者になるために、生きてきた」


 セリアが唇を噛む。


 彼女は癒やしの術を持っている。

 だが、砕けた自尊心を治す術は持っていない。


 そして俺は、それを彼女に突きつけてしまっていた。


「俺は、勇者じゃなかった」


 口にした瞬間、その言葉が現実になった。


 俺は勇者ではない。


 魔王を倒す者ではない。

 世界に選ばれた人間ではない。

 ただ途中まで歩いてきただけの、勘違いした男だ。


 誰も俺を責めなかった。


 セリアも。

 ロイドも。

 ダリオも。


 それが余計に惨めだった。


 いっそ笑ってくれればよかった。

 馬鹿だと言ってくれればよかった。

 お前は最初から勇者なんかじゃなかったと、そう言ってくれればよかった。


 けれど仲間たちは、ただ黙って俺を見ていた。


 その沈黙の優しさが、一番痛かった。


 俺は北の空を見た。


 黒い山影の向こうに、魔王城がある。

 俺がたどり着くはずだった場所。

 俺が剣を掲げるはずだった場所。


 もう、行く理由はない。


 その日、世界は救われた。


 人々は笑い、杯を掲げ、鐘は夜通し鳴り続けた。


 そして俺の旅は終わった。


 魔王と戦うこともなく。

 神器に選ばれることもなく。

 勇者になることもなく。


 ただ、自分が勇者ではなかったと知っただけで。


 この時の俺はまだ知らない。


 魔王を倒せなかった俺が、魔王のいなくなった世界で誰かの明日を救うことになるなんて。


 ましてや、その始まりが――。


 畑の野菜を盗もうとした、一人の少女との出会いになるなんて。

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