6/5、6/6「安楽椅子探偵はいない」
6/5
僕と舞游は僕に割り当てられた部屋のリビングにいた。舞游は荷物を全部持ってきて、南館でそうしていたように此処を僕との相部屋にすることに決めていた。僕の荷物は有寨さんか杏味ちゃんかは分からないけれど南館から回収してきてくれたようで、食堂から戻ったときに部屋の前に揃って置かれていた。
いまは、部屋にひとしきり用意があったので紅茶を淹れ、僕がソファー、舞游がアームチェアに腰掛けてそれぞれカップに口をつけているところだ。
「なんだかアームチェア・ディテクティブの気分。編み物とかしてミス・マープルでも気取ろうかな」
舞游は沈んだ空気を申し訳程度に明るくしようとするように、そんなことを云った。
「安楽椅子探偵ってやつか? どんなものかは知らないけど」
「自らは現場に赴いたり聞き込みをしたりなんてしないで、こんなふうに椅子に腰掛けたまま聞いた事件を解決するような探偵のことだよ」
正直、ミステリ小説の話は食傷気味だったのだけれど、そうも云っていられないのだと僕は気付く。
アームチェアに腰掛けているのは舞游だが、そんなのは関係ないことで、いま探偵を演じなければならないのは他でもないこの僕なのだ。
環楽園理論を完成させろ……僕は有寨さんにそう云われている。
「なあ舞游、お前はこの環楽園の仕組みみたいなもんについて、どのくらい教えられてるんだ?」
そう訊いてみると、舞游の表情は少し曇った。
「……ほとんどなにも。たぶん私は觜也の味方だから、情報をリークできないようにされてるんだと思う」
「そうか。いや、ならいいんだ」
云いつつ、僕は有寨さんに怒りを覚える。ろくに事情を説明もしないで自分の妹にあんな恐ろしいことをさせるなんて、許されない行為だ。けれど僕のこんな反駁は、彼らからしてみれば低俗な、軽蔑の対象なのだろう。下らない常識、植え付けられた倫理観に囚われ、大衆に迎合する愚か者と映るのだろう。
「觜也がそんなに悩む必要なんてないんじゃない?」
「ん?」
「だってもう事件は終わりでしょ? 腑に落ちないところがあるにしても、觜也はそれについて責任を負う義理なんてないと思う。お兄ちゃん達の云うことを真に受けて悩む必要もないんじゃないかな」
「ああ……そうか」
なぜ、こんな簡単なことを見落としていたのだろう。いつの間にか僕はまた有寨さん達によって都合良く翻弄されていたのだ。
〈環楽園の殺人〉は終わった。それでいて、殺された人達も皆こうして生きている。僕も舞游も生きているのだ。一連の事件が皆の自作自演であったなら、もう脅威も存在しない。なら、もう良いじゃないか。環楽園理論なるものを詳らかにしないでも、この滞在はもうしばらく待てば終わり、僕らは帰れる。四日間を僕らは八日間として生きなければならない(〈四日目〉と〈五日目〉が結合して一日となったので正確には六泊七日か)ために予定が少し伸びたけれど、この異常な世界は所詮この〈八日間〉だけなのである。この屋敷を出れば、僕はまた唯物論によって支えられた正常な世界に帰還できる。此処での生活は今後一生忘れられそうにないが、考えてみれば失ったものも特にないのだ。
「そのとおりだよ、舞游。……ありがとう。助かった」
「ううん、お礼なんていいよ。お互い様だもん」
舞游の笑顔が、僕に圧し掛かっていた重圧をすっと取り除いてくれる。若干のモヤモヤは残るものの、僕は憑き物が落ちたような気持ちになった。
有寨さん達に太刀打ちできるわけがない。しかし、それならば勝負をしなければいい。そんな試合放棄が敗走だとは承知しているけれど、僕は元より負けず嫌いな性格でもないし、自分の能力というものに折り合いをつけている。舞游が生きてさえくれているならば、僕は負けたって一向に構わない。
6/6
僕と舞游は午後を他愛ない雑談に費やし(随分と久しい平和な時間だった)、杏味ちゃんが僕らの部屋まで夕食の時間だと知らせに来たときには午後八時となっていた。
「部屋のカーテンは閉めたままにしてありますのね」
「え? ああ、そうだね。でもこの北館は昼でも全部のカーテンが閉められてるじゃないか」
だいたいカーテンを開けたところで外は猛吹雪であり、陽光もほとんど差し込まないのだ。それがこの環楽園のおぞましく重苦しい雰囲気の一因となっているのは間違いない。
「って云うより、もう八時なんだから閉めてて当然じゃない?」
舞游がそう付け加えると、杏味ちゃんはなに食わぬ顔で「そうですわね」なんて云って身を翻し、さっさと食堂に行ってしまった。
遅れて僕と舞游が食堂に到着すると、既に支度は整えられていた。久々に霧余さんが腕に縒りをかけたらしく、一流店にも引けを取らない見栄えの中華料理がテーブルの上に並んでいる。
皆で和気藹々と会話しながら、という気はやはり起きなかったけれど、環楽園について考え込まなければならないという気負いがなくなったおかげで僕も心にゆとりを持って食事することができた。有寨さんと霧余さんと杏味ちゃんに対する畏怖は依然として変わらないが、反感みたいなものはほぼ消えていた。とても正気の沙汰とは思えない犯罪に手を染めた彼らとはいえ、少なくともそれは社会的には裁きを受けるべき類のものではないのだ。
四人が殺されたのも本当……だけど四人が生きているのも本当。かつ、犯人はすべてがこの四人だった。つまりは集団自殺未遂みたいなもので、明るみに出ることもない。きっと四つの死体も決して発見されないように処理するつもりだろう。人里離れた山奥である此処なら、いくらでも隠匿のしようがある。
夕食が終わって部屋に戻ってきた僕は、寝間着や下着の類をキャリーバッグから引きずり出した。
「僕はシャワーを浴びてくるよ。浴場ってどこにあるんだ?」
それどころではなかったので仕方ないが、思えば僕は昨日シャワーを浴びないで寝てしまったのだった。死臭の漂う場所にいたり嫌な汗をかいたりしていたので、においが気になる。
「一階の、えーっと、室内プールの隣なんだけど……」
そこで舞游はなにかを思い付いたらしく「あ」と云ってニヤニヤし始めた。
「どうしたんだよ」
「ねえ觜也、一緒に入ろっか」
「本気で云ってるのか?」
聞いてみればそう意外でもなく、いかにも彼女が提案しそうなことではあったけれど。
「なに、嫌なのかよー」
「嫌ではないけど」
「やらしいこと考えてる?」
「考えてない。からかうと入ってやらないぞ」
「わ、ごめんなさいごめんなさい」
舞游は愉快そうに笑いながら、自分もパジャマ等の準備を始めた。




