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環楽園の殺人  作者: 凛野冥
第二章:結鷺觜也の黙示録
30/40

6/4「真実は此処に発現する」

  6/4


 舞游によるとそろそろ食事の時間だということで、僕らは部屋を出た。この屋敷に到着した最初の晩以来の五人揃った食事となるようだ。僕は有寨さん、霧余さん、杏味ちゃんの三人とはあまり顔を合わせたくないと思っていたけれど、向こうはそんなこともないのだろうし、僕だけが意固地(いこじ)になって関係に亀裂を入れるのも上手くない……半ば仕方なく、受け入れることにした。

 北館の廊下の窓はすべてカーテンが閉められたままになっていて、昼間だというのに室内の照明に頼っているために、なんだか夜みたいに錯覚させられる。試しにカーテンをめくってみたけれど、外は猛吹雪で、どっちにしろ朝という感じはしなかった。向こうに見える北館の姿は霞んでいて、昨日いくらか弱まっていた勢いもだいぶ低くなっていた積雪も、もう元に戻っていた。

 いや……。元に戻っているとはレトリックではなく、本当にまったく〈同じ〉なのだ。

 僕は脳内に〈メビウスの帯〉をイメージした。その一点を起点として、赤、青、黄、白と順番に色をつけて一周させる。続いて、このセンターラインを切断する……アフガン・バンド・トリックによって倍の大きさになった帯は赤、青、黄、白、赤、青、黄、白という順番で一周している。これを数字に置き換えれば〈1,2,3,4〉が〈1,2,3,4,1,2,3,4〉になったということだ。この屋敷に来て今日は五日目だけれど……僕は杏味ちゃんの台詞を思い出す。

 ――〈三泊四日〉の初日と最終日は丸一日ではないため、対となって生まれた〈三泊四日〉のそれと結合してちょうど〈六日間〉になるのですけれど。

 ……初日、此処に着いたのは夜になってからであった。そして昨日……〈四日目〉もまた、丸一日ではなかったのではないか? なぜならアフガン・バンド・トリックが用いられたときに分裂する〈初日〉は、夜になってから始まらなければならない。だからおそらく昨日、〈初日に屋敷を訪れた時刻〉までが〈四日目〉で、それ以降は〈五日目〉だったのだ。それが杏味ちゃんの云った〈結合〉の意味。つまり今日は〈五日目〉ではなく〈六日目〉なのである。〈1,2,3,4,1,2,3,4〉の順番と照らし合わせれば二回目の〈2〉だ。アイオーンの定義どおり、これは一回目の〈2〉と対になっており、同一である。だからいま、外の吹雪や積雪は二日目のそれとまったく同じ……。

 僕はなんだか胸焼けがした。こういった細部の理解を積み上げることが、有寨さんが云った〈環楽園理論を完成させる〉ということなのだろうか。だが、僕がそんなことをしなければならない理由がどこにある?

 舞游に案内されるがままにやって来た食堂は、一階の中央から見て西向きの二番目――すなわちバーの隣にあった。円卓ではなく、十二人くらいで用いるのが適切だろう長テーブルが部屋の真ん中にあり、それをやけに背凭れの長い椅子が囲んでいる。テーブルクロスが白色なのは安心できる点だった。もう赤色のそれの上ではとても食事なんてできない。

 南館のそれと違って此処はリビングと兼用でもないようだが、部屋の隅にはグランドピアノが置かれていて、杏味ちゃんがそれを弾いている最中だった。実際に弾いているところは初めて見るけれど、名実ともに生粋のお嬢様である彼女の演奏する姿はかなり様になっていた。食堂には彼女がいただけで、有寨さんと霧余さんの姿はまだない。

 僕と舞游が適当な椅子に隣同士で座ったとき、杏味ちゃんは演奏を終えた。僕と舞游を横目で流し見て「おはようございます」と挨拶してくる。品行方正なのか傲岸不遜なのか曖昧だけれど、おそらく普段は前者で、この環楽園において地である後者が顔を見せているのだと思われる。

「『大地の歌』?」

 舞游が問い掛けると、杏味ちゃんは「ええ」と答えた。『大地の歌』とは二日目の朝に彼女が弾いた曲だったか。

「グスタフ・マーラーのこの曲は主に人間の死にまつわる無常観、その一方で大地は永遠に繰り返して花を咲かせ、緑に覆われるということをテーマとしていますの。第六楽章『告別』の詩にはこうあります――私の孤独な心。癒すべく(いこ)いを自ら求めゆき、私が歩み行く彼方には、私が生まれし故郷あり。私は二度と漂白し、さまようことはあるまいよ。私の心は安らぎて、その時を待ち受ける。愛しき大地に春が来て、ここかしこに百花咲く。緑は木々を覆い尽くし、永遠にはるか彼方まで、青々と輝き渡らん。永遠に、永遠に……」

 歩み行く彼方……私が生まれし故郷……それは〈人間の真実〉であるプレーローマか。そして〈永遠〉というテーマ……。もっともタイトルにもあるとおり大地を賛美するらしいその詩が、造物神の創ったこの世界を憎悪するグノーシス主義と無関係であるのは分かる。だがしかし、いくらか通じるところを見出せるのも事実だった。

 ゆえに杏味ちゃんはこの環楽園でこの曲を弾くのだろう。有寨さんはどうしてピアノ曲としてつくられたのではないこれが選ばれたのか分からないといったようなことを云っていたけれど、彼がそれに気付かないはずがないから、あれはブラフだったのだろうと思われる。……ここでも疑問が浮かんだ。有寨さんに限らず、どうして皆は僕に対してそんなブラフを撒いていたのだ? そうしつつも、遠回しな示唆によって僕を徐々に誘導していくような真似をしたのはなぜだ?

「揃っているね」

 有寨さんと霧余さんが食堂に現れた。霧余さんはワゴンを押していて、その上に朝食が乗っていた。トーストやスクランブルエッグやソーセージ……いかにもモーニングといったラインナップである。話によればこの食堂のさらに隣がキッチンと食糧保管庫になっているらしい。北館のそれよりは小さいが、こちらも蓄えは充分とのことだった。

 初日の晩餐以来の五人揃っての食事。しかしそれはどうしようもなく不気味に変質していた。いや、本当は初日からこの屋敷は異常だったのだ。それを僕が認識していなかっただけの話……つくづく認識(グノーシス)という言葉がついて回り、いい加減に嫌気が差す。

 実際、有寨さんと霧余さんと杏味ちゃんは変わりなかった。僕の認識なんてよそに、彼らの振る舞いは一貫している。強いていえば杏味ちゃんが以前よりも本性をちらつかせることが増えたけれど、有寨さんと霧余さんについてはそれもない。ただ僕はこの場で彼らと気楽に談笑する気分にはなれなかったし、舞游も話を振られたところで空返事みたいなことが多かった。だから顕在している変化といえば、僕と舞游が勝手に疎外されようとしている点だけだった。机を挟んで僕と舞游、有寨さんと霧余さんと杏味ちゃんという分かれ方をしているのもその観を強めていた。

 食事が済むと杏味ちゃんが席を立ち、有寨さんになにか耳打ちした。すると彼も立ち上がって、二人は連れ立って食堂を出ていった。その際、僕は有寨さんと並んだ杏味ちゃんの表情を見て悪寒がした。それは齢十六の少女のものとは思えない、大人の女の蠱惑的なそれだった。昨晩バーで杏味ちゃんが有寨さんにいやらしい接吻をしたことを思い出す。あのときの僕は疲れていたし少し酒も入っていたのであまり気に留めなかったけれど、あれにも生理的に受け付けられない生々しさがあった。

 霧余さんを見ると、彼女は連れてきていた白蛇をテーブルの上に這わせ、その様子を見ながら煙草を吸っていた。彼女は知っているのだろうか。有寨さんと杏味ちゃんの関係が教師と生徒のそれを越えていることを……。と、彼女が僕を見たために、目が合ってしまった。彼女は一瞬で僕の思考を察したらしく、相変わらずの冷笑を浮かべた。

「私は愛する人が別の女となにをしたって、それをいちいち(とが)めるほど純情じゃないのよ」

 彼女は知っていた。しかしその台詞は強がりを云っているふうでは全然ない。きっと本心なのだ。

「それに此処は、なにもかもが満たされた環楽園でしょう? だからその住人も、全員が充満を掴んでいなきゃいけないわ。杏味ちゃんが自分の欲望を満たすのに有寨を必要とするなら、それに素直になるのは正しい姿勢よ。皆が存分に楽しめなくちゃ楽園とは云えないものね」

「でも、そう割り切れるものなんですか……?」

「あら、疑ってるわね? 私が冷めた女なんじゃないかって。でも違うわ。私は純情じゃないけれど、愛には熱いし忠実よ。有寨を愛してるのも本当。有寨にも私だけを見てほしいし、私だけを愛してほしい。ただそのために他の女を蹴落とすようなやり方を取るのは流儀じゃないの。それはエゴ……自己愛でしかないわ」

 そう説明されれば、分からなくはなかった。相手の選択肢を狭めることで相手に自分を選ぶことを強制させるようでは真実の愛は得られないと、そういう理屈なのだろう。だがそうは云っても、人間の感情というのはそんな理性とは関係なく揺れ動いてしまうものではないだろうか……。

「そして私は、有寨が一番愛しているのが私ということを知ってるわ。生憎だけれど、杏味ちゃんでは有寨の心は奪えない。だから好きにすればいいわ。当人がそれで良いなら、私がわざわざこんなことを教えてあげる理由もないもの」

 僕はここに至ってやっと納得した。霧余さんは自分と有寨さんとの愛、そして自分自身に絶対的な自信があるのだ。それは理屈だけでなく、感情の面でも堅固で揺るぎないと同義である。

 きっと彼女の底知れない感じというのも、そこに所以があるのだろう。杏味ちゃんにも気味の悪い恐ろしさはあるけれど、霧余さんのそれと比べると数段劣ると云わざるを得ない。有寨さんのパートナーとして肩を並べられるのは、やはり霧余さんなのだ。

 ……この歪な三角関係に、僕は形容し難い嫌悪感と覚えた。きっと、この中で最も重要な一角である有寨さんの存在がブラックボックスにしか思われないせいに違いない。底知れないと云うのなら、あの人こそ本当に底知れない。昨晩、彼はいくらかその心の内にある思想、想念のようなものを覗かせたけれど、僕には依然として彼がなにを考えているのかまったく分からなかった。

「さっき此処が楽園であるという話が出ましたけど、じゃあ霧余さんは此処でなにを充満と捉えてるんですか? 杏味ちゃんと違って、貴女はこんなことをしなくても有寨さんとは一緒にいられるはずでしょう」

 僕は霧余さんの心の内も聞いてみたいと思い、そう質問した。それでせめて彼女だけでも得体の知れない化物ではないと知りたかった。

「そうね。たしかに有寨といることだけが目的なら、私は環楽園に特別な魅力を感じなかったでしょう。有寨がやることをこの目で見たかった、現実ではまず有り得ないことが起こる場に自分も居合わせたかった、上位世界を構成する一員になれるなんていう栄光に惹かれた……こういうのも理由のひとつひとつではあるけれど、これらは私よりも杏味ちゃんの抱いてるものに近いかしらね」

 既に答えは出ているに違いないのに、霧余さんはわざと回りくどい話し方を選んでいるようだった。それでも彼女はここで一旦煙草の煙を吸い込んで吐き出すと、答えを述べた。

「私にとって最も魅力と映ったのは〈真実〉よ」

 そうだ。彼女は前にも云っていた。真実というものに焦がれ、憧れていると。そしてグノーシス主義が追い求めるのも真実の認識であり、その末に導かれるプレーローマとは真実の世界だ。

「ミステリの探偵は真相を暴いて、それを以て物語は幕を閉じる。どうして探偵が真実を暴くことができるのか、それは云ってしまえばそれが役割だからよね」

 どういうわけか、霧余さんは突然そんな話を始めた。話を逸らすつもりだろうか。だが僕の困惑に構わず、彼女は話を続けていく。

「提示した謎に解答を与えるという構造上、探偵役が登場するのは当然で、この機能性ゆえに探偵が暴いた真相は正しいものと保証される。だってそうじゃないと、探偵の語る推理というのは一般にミステリにおいて重要視されると思われる論理的なそれとは実は全然呼べなくて、真相に至るプロセスに穴がある以上、真相を限定することもできないはずなのよ。この話、舞游ちゃんももちろん知ってるわよね?」

 話を振られた舞游も少し困った様子だったけれど(以前と違って霧余さんとの間に心理的な隔たりを感じているせいもあるだろう)、義務をこなすように僕にそれを説明した。

「多くの探偵はある手掛かりについてあらゆる可能性が検討され得るにも拘わらず、真相に結び付くそれらを繋ぎ合わせてみせる……その論理が蓋然性(がいぜんせい)の高さという観点から正確に成り立ってるならまだ頷きようもあるけど、でも実際はそうでない場合の方が多いの。かの有名なシャーロック・ホームズを例に出すと、彼は人の素性や行状を云い当てて相手を驚かせるってことをよくするけどあれは論理性に乏しい怪しげなものが多いし、事件に対する推理でもそれは同様だった。シービオクって人もホームズの推理が多くの場合〈帰納〉でも〈演繹〉でもなくて〈当てずっぽう〉だって指摘したよ。でも探偵の当てずっぽう推理はホームズに限ったことじゃなくて、たとえばミステリの生みの親であるエドガー・アラン・ポーが書いた名探偵デュパンの推理なんか飛躍度があまりに大きくてサルトルの云う〈魔術的思考〉と揶揄(やゆ)できるくらいだったりするんだ」

 ここで霧余さんは「ありがとう」と述べ、続きを引き取った。

「なのにどうして探偵達はハッタリ推理で真相を云い当てられるのか……いくらそういう役割だからと説明しても納得させられないわよね。だからミステリ作家達はハッタリ推理の数々に煙幕をかけてみせていたのよ。探偵が卓越した推理力を発揮できるのは推論能力ではなく観察能力のためである……豊富な知識や観察力、駆け引きの巧さ、常人ならざる直観力があるからこそ真実に至ることができるのだ、っていうのがまずひとつ。たとえばヴァン・ダインが『カナリア殺人事件』で強調した心理学的推理っていうのも推理に対人観察力や洞察力を取り込むことだったわ。それから語り部……ワトスン役の存在がひとつ。と云うのも、探偵が真相を導き出す機能を持つ存在なら、語り部はそのハッタリ推理に煙幕をかける機能を持つ存在なのよ。だってこの語り部こそが探偵のハッタリ推理に対して驚きを演出して、さらに論理的に正しい推理であるかのように装うんだから。……でもそんななか、こうしたハッタリを極力排してフェアプレーに基づくミステリを目指した作家にエラリー・クイーンという人がいたのだけれど、皮肉にもこの人こそが〈後期クイーン的問題〉を露呈させてしまったのよね」

 延々と続きそうなマニアックな話を戸惑いながら聞いていた僕だけれど、〈後期クイーン的問題〉という単語を聞いてようやく霧余さんの意図が分かった。

「真相を……掴めない……」

「ええ。クイーンの後期作品に多く見られた〈操り〉のトリックは、ミステリの決定的な欠陥を浮き彫りにしたわ。〈探偵の手のうちを読む犯人〉の登場によって、ある手掛かりが指し示すものを一義的に決定することができなくなった。探偵がどんな真相を暴いても、それが犯人によって誘導された偽の真相である可能性を排除できなくなった。犯人の裏にそれを操る真犯人、さらにそれを操る真犯人、さらにそれを操る真犯人……というふうに際限なくメタレベルが上昇し、無限に謎解きが続いてしまうのよ。……気持ち悪いでしょう?」

 気持ち悪いか悪くないかと聞かれれば、たしかに気持ち悪い。だが僕にはそんなことを本気で思い悩むという心理は理解できなかった。〈後期クイーン的問題〉というものは本当にそこまで深刻なものなのか? ……しかし霧余さんに、小難しい話をしてはぐらかそうとしているような様子は一切ない。

「ゲーテル的問題にも繋がっていくこの〈後期クイーン的問題〉だけれど、私にとっては実感として理解できるもので、これを知ったときに衝撃と共に心の底から納得した感覚は、いまでも鮮明に思い出せるわ……当時は中学三年生だったわね。ミステリは趣味で読み続けてたものだけれど、それとは別に私はこの世界についてずっと煮え切らない感情を抱いていたの。自分が認識している世界の在り方が本当に正しいものなのか、正しいとされていることが絶対に正しいと云えるのか、この世界は実はいまにも崩落してしまいそうな脆弱(ぜいじゃく)なものなんじゃないのか……そういう疑問をずっと胸に抱えて日々を生きていたわ。いえ、生きた心地なんてしなかったわよ。なにを信じて、なにを頼りにして生きれば良いのか、ひとつとして措定(そてい)できないというのだから。でも私が真剣に苦悩しているにも拘わらず、周りの人間は誰ひとりとしてそんなこと考えもしてないようだった。自分とその周り、果てはこの世界について自分の認識を意識しないままに盲信して、さらにはそんな臆見を振りかざして他人にまで強要してくる……蒙昧(もうまい)も甚だしい、無神経も甚だしい。私は周りの人間全員が気持ち悪かった。私達は吊り橋の上にいて、それはいまにも壊れて谷の底に真っ逆さまに落下しそうになっているのにそれに気付いてるのは私だけで、周りの全員は無軌道に橋の上を走り回っている……そんな気分だったわね」

 ……それは、なんて怖ろしい孤独だろう。霧余さんが年齢以上に達観し、周囲と一線を画しているように映るのはきっと、彼女がそんな途轍もない孤独の中を生きてきたからこそなのだと、僕は知った。

「〈後期クイーン的問題〉を知って、私は自らの苦悩に対する自覚をさらに強めたわ。だけどいくらか気が安らいだのも事実なの。自分が抱えていた疑問が正しいものと分かったんだもの。真実を決定することの不可能性は私だけの苦悩ではなかった……それでいっそうミステリに傾倒していったのよね。決して叶えられることのない真実の獲得を追い続けようとするこのジャンルに、自分のアイデンティティを見た。それで少しだけ救われた。でも苦悩が完全に消えたわけではもちろんなかったし、どうやったって掴めない真実というものへの憧れは、それまでにも増して強まっていったわ」

 霧余さんはここで一旦話をやめ、新しい煙草に火を点けた。僕は彼女が再び口を開くのを待った。

「……そして私は、有寨と出逢った。これこそが私にとって、なによりの救いだった。有寨はね、私の苦悩を私よりも理解し、物心ついたころからずっと離れなかった私の孤独を初めてなくしてくれた人なのよ。有寨に物事を一義的に決定するような蒙昧や傲慢は一切なかった。私は生まれて初めて、心から尊敬し、愛することのできる人に巡り会えたの。私がどれだけ感動したか、貴方に理解できるかしら」

「……できません」

 できるわけがない。できて良いわけがない。霧余さんの苦悩とその救いが彼女にとってどれほどのものだったのか、話を聞いただけの僕なんかが……それこそ決定できるわけがないのだ。

 霧余さんは「ええ、そうでしょう」と頷いた。

「しかも有寨は、私の苦悩を和らげるだけじゃなく、それを解決してしまったのよ? 分かるわよね。この環楽園は真実の世界……私がずっと焦がれ、憧れてきた真実によって充満された世界。絶対に獲得できるはずがなかった真実を、有寨は真実を獲得しなければ至ることのできないプレーローマの創造によって、完全に獲得してみせたんだわ。誰もがついぞ手に入れられなかった真実は、その限界を超えたこの上位世界において発現している。私達は真実を、真に一義的に決定したのよ」

 僕はなんの言葉も返せない。昨晩の有寨さんに続いて、この霧余さんもまた、僕を圧倒的に打ちのめしていた。これだけの〈真実〉を語られては、僕に(あらが)うすべなんて、ひとつとして残されていない。僕はいますぐに消え入りたかった。どうして一介の高校生にしか過ぎない僕が、こんな途方もないほどに超越してしまった人達に囲まれ、それに対峙できるというのだ。

「他にはなにか、聞きたいことはあるかしら」

 霧余さんの問いかけに、僕は首を横に振るのがやっとだった。彼女は「そう」と微笑して、白蛇を自分の腕に巻き付かせ、煙草をくゆらせながら食堂を出ていった。

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