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液チ・アイス・ミー散乱(前編)

こちらのお話は、


・二人(今回は三人?)がご飯を作って食べるだけのお話です。

・ファンタジー要素はありません。

・幽霊、あやかし要素はありません。

・ミステリー要素はありません。


また、科学的説明はあくまでスパイスです。

つまらなかったり、面倒くさければ、読み飛ばしてもらっても全然大丈夫です。

以上の点にご注意の上、お腹を空かせてお読みください。


 ❄❄❄


 月曜日の夜。

 うららと約束したお菓子作りの日。


 鳥見川氷彗は、少し焦って休憩室に向かっていた。

 はやる気持ちがタンタンタンと、階段を蹴る音となって、研究棟に響き渡る。

 

「すみません、塔山さん。ちょっと議論が長引いてしまっ……て」


 暗闇の広がる二階。唯一ぽつんと灯った部屋の入り口に手をかけ、中をのぞく。

 システムキッチンの手前にある御座には、一人の女性が座っていた。


 ゆったりとした紺のカットソーに、白のスカート。

 氷彗はまず最初に、そのコーデに違和感を覚えた。


 こちらの気配に気づいたのか、相手が振り返ると、低めで結われた髪がくるりと揺れた。垂れ目が特徴的な双眸と、目が合う。第一印象は「気だるげ」だった。


 言うまでもないことだが、彼女はイメチェンをしたうららではなかった。


「どうも。うららなら、もう少し遅くなりそうって、ついさっき連絡が来てたよ」


 初めて聞く声は、若干ハスキーで落ち着いている。

 多くの人なら、それだけで警戒心を解いてしまうことだろう。

 しかし、氷彗に至っては話が違った。

 

 知らない人。

 それだけで、緊張と不安ばかりが膨らんでいく。

 うららが待っているとばかり思っていた氷彗は、用意していた言葉全てを無くしてしまった。


 な、なんて返せば……


 泡のように浮かんでは消える、コミュニケーションの選択肢。

 極度の人見知りである氷彗が選んだものは、「逃走」の二文字だった。


「って! こらこら! どうして逃げるのさ!」


 振り返って廊下に踏み出すと、視界が暗がりに支配される。

 しまった。明るい場所に目が馴染んでしまった。


 氷彗がその場でわたわたしていると、後ろから肩口を掴まれた。

 こうして逃走劇はわずか数秒で幕を閉じた。なんともあっけなかった。


 氷彗は大人しく頭を下げる。


「ご、ごめんなさい。びっくりしてしまって」

「いや、むしろこっちの方がびっくりしたんだけどね」


 彼女は苦笑しながら、こちらに手を差し伸べてくる。


「私は新庄凪しんじょう なぎ。ここのOGで、今は科学館の学芸員。修士までは、うららと同じ研究室だったの」

「そう……だったんですね。私は」

鳥見川氷彗とみかわ ひすいさん、だよね?」

「え? はい。どうして、私の名前を?」

「よくうららが、楽しそうに報告してくるんだよ。“今日のお粥おいしかった!!”とか“初めてあんな柔らかいムニエル食べたよ!!”ってね」


 凪の声真似は、うららのはきはきとした特徴をよくとらえていた。

 本当にそう言われている気がすると、とくんと鼓動が駆け足になり、額がジワリと熱を持つ。


「初めはてっきり、新しい恋人でもできたのかと思ったんだけど」

「こ!?」

 

 恋人!?


 出かかった言葉はあまりに熱く、舌の上で蒸発した。

 ひゅっと、息が詰まる。喉は砂漠みたいにカラカラになっていた。


「ち、違います! 塔山さんとは、健全なお付き合いです……あ、いや、お付き合いというのは、そういう意味では決してなくてですね、あくまで先輩後輩という間柄で」


 羞恥心を覆い隠すみたいに、思いつく限りの言い分をのべつ幕なしに吐き出す。

 あくまで先輩と後輩。

 自分で放った台詞なのに、間違ってもいないのに、改めて認識したうららとの距離感は、味の無いガムみたいにへばりついて、なかなか離れてくれなかった。

 多分、おこがましいことに、自分はそれで満足していない、ということなのだろう。

 それに代わる距離感の表現を、必死に探してみるものの、頭の辞典では見つからなかった。


 気付くと、氷彗は電池が切れたみたいに押し黙っていた。

 凪はきょとんとしていたが、やがて肩を震わせて、小さく「ぷっ」と吹き出した。弓なりに反った眉の端からは、涙の雫が覗いている。


「ごめんごめん。いやぁ鳥見川さん、面白いね。それに……安心した」


 最後の言葉の間が、わずかに引っかかる。

 しかし、氷彗がそれについて尋ねる前に、凪はパンと手を叩いた。


「さて、まだうららは来そうにもないし、まぁ来たところでどうせ戦力外だから、先に私たちだけで考えておきますか」

「考えるって、何をです?」

「あれ? 聞いてない? ……って、オフレコ頼んだのは私だったか?」


 凪は御座に置いていた仕事鞄から、一冊のノートを取り出すと、ちゃぶ台に広げた。

 「科学っぽいもの」「子供にウケる」「ビジュアル的に派手」等々。

 そこに記されている箇条書きは、何ともざっくりしている。


「……はぁ、なるほど。科学っぽいお菓子作りの実験、ですか」


 凪は補足するように、氷彗に説明してくれた。


「そ。定番のカルメ焼きから、ゼリーやプリン、あとはケーキなんかも考えてみたんだけど、どれもパッとしないというか……ただの料理教室と変わらない気がしてねぇ」


 その内容を一緒に考えて欲しい、というのが凪からの相談だった。

 事前にうららから聞いてたお菓子作りとは、ずいぶんとイメージが違う。


「その科学実験には、どんな方が来られるんですか?」

「全員、小学生だね。だから、飽きられないようにするのが大変で」


 小学生。

 その年齢から、無意識に従妹の顔が思い浮かんだ。確か、彼女は今年で小学五年生だったはずだ。毎年夏休みになると、よく一緒に地元の科学館へ遊びに出かけていたっけ。


 すっごい! モクモクだ——


 思い出に浸っていると、はしゃぐ従妹の澄んだ声が、脳内で不意に再生された。


「液体窒素」

「え?」

「液体窒素を使ってみるのはどうでしょう? 見栄えする科学実験では定番ですし、やっぱりあのモクモクは、子供心をくすぐると思い、ます」


 素人の意見なので、もしかしたら的外れなことを言ってしまったかもしれない。一蹴される覚悟をしてたが、意外にも凪はふむふむと大真面目に頷いていた。


「なるほど……確かにそれなら、いろんな切り口で実演できるね。使用許可を取り付けるのが面倒そうだけど。うん、そこは私が頑張ればいいかな」


 凪はノートのページをめくり、カリカリカリとアイデアを走らせていく。

 気だるげな表情は変わらないものの、眼差しは真剣そのものだった。

 第一印象とはかけ離れた様子に、氷彗は思わず目を奪われた。


 やがて、駆けるように文字を綴っていたペンがピタリと止まると、凪はふーっと大きく息を吐いた。


「あ~~~、お菓子の方からアプローチかけて、いつの間にか完全にドツボにはまってた。そっかぁ、そこから考えればよかったか。助かったよ、鳥見川さん」

「い、いえ。私はただ、昔に見た科学実験を思い出しただけで……それより、いいんでしょうか?」


「ん? 何が?」

「液体窒素を使ったお菓子と言えば、必然的にアレになってしまうと思うんですけど」

「それは、別にいいんじゃない。特に今年は、この時期にもうこれだけ暑いんだしさ」


 本当にいいのだろうか。こんなあっさり、自分の意見が採用されてしまって。

 

 心配する氷彗をよそに、凪はやる気満々だった。


「じゃあ、準備しようか……液体窒素アイスクリーム」


中編へ続きます。

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