悪口
アメトーークの「読書芸人」だったと思う。さる女流作家さんが、「どんな人でもその人のよさを見つけて、仲よくつきあえる人」と紹介されていた。その紹介がほんとうかどうかを疑うわけではなく、純然な好奇心。貫けるもののない矛と、なによりも堅い盾。その作家さんにぜひとも、Iという男を引きあわせてみたい。
五十歳独身、倉庫員。金はおそらく、それなりに貯めこんでいる。背は低くはないが、五頭身。眼鏡をはずした顔だちそのものはわるくないと、私は思う。だがいかんせん、バカ面がすぎる。頭のわるさが顔面に滲みでた結果、あの口の歪んだバカ面ができあがるのだろう。世界ぢゅうの苦悩を一身にかかえこんでいるかのようなバカ面、バカ面はバカ面としか言いようがない。
頭がわるいだけならともかく、性格もわるい。Iと関わった人間はみな、Iを嫌いぬく。私もそうであるし、私などは一番の被害者を自負している。口調こそは丁寧、年下にも敬語。一人称は「私」、二人称は「あなた」。上にへつらい、新人に強い。とうぜん下からは嫌われているが、上からも嫌われている。へつらいかたが奇っ怪で、仕事もできないからだ。「ダチいねえよ、ぜったい」とは、Cくんの評。「ガリ勉でそれしかなかったんだけど、四十人クラスで十二位だった」とは、私の評。
会話のキャッチボールが不可能で、言いまわしがいちちまわりくどい。物事を簡潔に説明することができない。たとえば。その倉庫ではロケーションがABCと振られていて、「AからBへ」と言えばつうじる。それをIはわざわざ、「東から西へ」と言ってくる。一同「はあ?」となる。古代人でも冒険家でもない現代の倉庫員は、いちいち方角を気にして生きていない。「AからBへ」が「東から西へ」って、その方向はあっているのかどうか。
たとえば。「書きましょう」で済むところを、「記述しましょう」と。「私のこの、あふれんばかりの教養を......」というつもりで言っているのかもしれないが、「記述」なんて小学校で習うだろう。おぼえたての単語をつかいたがる中坊か、と。「区別」を「ふんべつ」と言ってみたり。「そのほうがいいですよね」で済むところを、「そのほうがベターですよね」と。「分別」は意味がちがうし、「のほうが、のほうが」になっているし。
Iは本義と学識、両義でバカである。教養が皆無なのに、教養があると思いこんでいる。頭がわるいのに、頭がいいと思いこんでいる。仕事ができないのに、仕事ができると思いこんでいる。「無知の知」の逆を行っている。
反省しないから、同じミスを何度も犯す。言い訳がいちいちくどい。そのくせ、他人のミスをよろこぶ。昼礼で他人のミスが俎上となれば、オーバーリアクションで猪首をそちらへ向ける。かわいさのかけらもないが、そのようすから「プレイリードッグ」と呼んでいた。両手で穴を掘る仕草で「巣穴に帰んないと」とやると、Cくんが爆笑してくれた。
ある日、Iが初歩的なミスを犯す(日常茶飯事ではあるが)。吊るしあげを受け、職長から「恥ずかしいミス」と言われる。反省の弁を求められたIが「穴があったら入りたい」と言ったのには、一同が吹きだしそうになっていた。Cくんなどは私の「巣穴に帰んないと」がオーバーラップしてしまったそうで、穴を掘る仕草のあとに「ブラジルの人ぉ~」とつけくわえてやった。どれだけわれわれに、ネタを提供すれば気が済むのか。笑われているが、嫌われている。
頭と性格のわるさとともに堪えがたかったのは、その体臭である。最初は臭わなかったのだが、ある時期からスメルを発しだした。体質的な問題ではなく、本人の怠惰によるものにちがいなかった。とにかくくさい。三十メートルくらい離れたところから臭ってくる。夏よりも冬のほうがきつい。毎年、くささの種類がちがう。饐えたような臭いであったり、腐ったような臭いであったり。大雨で近くの貯水池が氾濫してどぶ川の臭気につつまれたときなどは、それがIのものかどぶのものか判別できなかった。「毎年フレーバーがちがう」と言えば、誰にでもウケた。
同じ場所で作業させられる私は、鼻呼吸を止めながら活動する術を体得した。そうでもしなければ、命にかかわる。周囲が「くせえ」と叫んでいるのを、「ああ、まだくせえんだな」とやりすごした。好奇で嗅いでみようと思ったことは一度もなかった。まちがって吸いこんだときに、気分がわるくなってしまったからだ。風呂ぐらい入りやがれ、歩くアウシュヴィッツめ。
遅い。くさい。うざい。そろう三拍子。無駄な動きが多く、動きだけで人を苛つかせる。それと、口半開きのバカ面。バカ面を真似るのが、私たちのあいだでは流行していた。ところかまわずやっていたので、Iを知らない人間からは頭のおかしいやつと思われていたにちがいない。
Cくんがさきに辞めたときは、つらかった。いまものこっているSくんにIの悪口を言っても、響かない。そんなにおもしろくない。SくんはIとの関わりが薄く、直接的被害がない。Cくんは新人のころにずいぶんと、Iから高圧的な態度を取られていた。パワーがまるでないから、パワハラにはならない。Cくんが辞めてから半年以上経ってから会食したとき、Iの悪口に花が咲いた。打てば響く。「あいつの悪口って、こんなにたのしかったっけ?」、あんなにたのしい夜もなかった。喪ったものの価値は、喪ってからわかるのだ。
悪口は文学たりえるのか。しょせんは身内ネタ、リハビリの一環。他人の鑑賞に堪えられるものかどうか。私もどうにか辞めることができて、いまはあたらしい職場にいる。
あの会社は綺羅星のように、ダニとカスが集まった奇跡のような会社だった。口を利かないぶん、ダニやカスのほうが謙虚だった。そのなかでもIは、群を抜いていた。あんな頭のわるいクリーチャーとは、もうあうこともないだろう。やつが自分で思っているほどに仕事ができたのなら、私もそこまで死ぬような思いをせずに済んでいたはずなのだ。