赤いりんご
『たとえセカイが毀れても』ーー『それでもボクらは理想を見る』
思い出すのは赤いリンゴ。
それがその手から落ちた日のこと。
ーーこつん、と。
良く熟れた赤いリンゴはけれど、なんとも乾いた切ない音を立てた。
だって、それを拾うべき懐かしい手はもうーー
二度と、戻って来はしないのだ。
*
ふと気づけば執務室の机の上にあった籠には小振りのリンゴが山積みになっていて。
ーーあの勤勉な雑務係りの仕事なのだな、と思わせた。
小さな笑みが口に浮かぶ。
そして窓から見えた光景。
それは騎士団の中庭のいつもの光景、には違いない。ローザの手からリンゴが落ちて、床の上を転がる。
「あ・・・」
ローザはかがんでリンゴを拾う。
何も。
ーー何も。
(還って来はしないのよ。死んだ人間はね)
「ローザさん!」
例の雑務係ーーキユミ・クライドが、小走りにやってくる。ポニーテールみたいな位置に結わえた髪が、左右に振り子のように揺れていた。
「ああ、よかった。そのリンゴ、まだ酸っぱいですよ。もう食べてしまっています?」
「あ。--ああ、だいじょうぶ」
片手に拾ったリンゴを持ったまま、その手を自分の額にもっていく。なんだかめまいがするような。
「そうーー」
二、三歩、キユミは近づいた。
「顔色、悪いですよ?」
「そ、そう? 昨日あまり寝ていないからね」
「夜遅くまで、ご苦労様です」
「・・・それ、目上の人間に使う言葉じゃないでしょ」
「え? ・・・ええ。知ってますけど、好きで」
キユミは笑う。
「立場とか関係なくて、『働いてますね~』『グッド・ジョブ!』ってカンジで、好きなんですよ」
「好き・・・」
とかで使う言葉を決めてよいものなのかどうか、ローザはしばし、悩んだ。
「リンゴ、持っていきますね。ジャムにしちゃいます」
でも、パイも捨て難いですね・・・とキユミの独り言が遠ざかっていく。
再びローザは、窓の外に視線を戻した。
さきほどの景色はもう消えていた。
「ローザ」
「きゃあっ!!?」
飛び上がる。ゴキブリがスズメバチ、ハブかマムシかヤマカガシでも見たような反応だ。
驚いた顔をした黒髪の男が立っていた。正直、ローザより背は低く、横幅があるわけでもなく、威圧感ってものはまるでない。目つきが鋭いわけでも、攻撃的なわけでもない。どちらかといえば・・・。
「ヘタレ」
「・・・は?」
さすがに気を悪くしたようで、眉をしかめている。手には、何かの書類らしきものが。
「あ・・・、ああ、ありがとう。ちょっと考え事してたのよ」
「・・・はぁ」
にしたって開口一番『ヘタレ』はなかろう。
じゃあ・・・、とその場を立ち去ろうとする黒髪のーーキサをローザは呼び止めた。
「ちょっと手合わせしてくれない?」
木剣を構えた相手に向けて、ローザは白刃を抜き放つ。
「ちょ・・・」
正気かどうかを読みかねて、キサは戸惑う。
短剣でローザの剣を受け止める。
噛み合うでもなく流れていったローザの剣はそのまま、きれいな弧を描いて再び降ってきた。
術印が周囲に風を生む。
熱、が。ヒトを灼くような熱が、ローザの手にした剣にまとう。
「--!」
止めたら、死ぬ。
冗談でも何でもなく、キサはとっさにそう覚悟した。
さも当然の成り行きのように、白刃が降ってくる。
ひゅう、と風が一陣、ローザの脇をすり抜ける。
「どういうつもりか知らないけど」
ローザの背に、冷たい感触が押し当てられる。
「鎧を着ていないのは失敗だったね」
声が冷たい。温度がない。心臓の真後ろに。とても冷たい”死”がある。
ふらり、とローザは倒れこむように膝をついた。
乾いた音と共に、術印から解放された剣が地面に落ちる。
「どうしてよ」
「ん?」
「どうしてッ!!」
詰め寄るローザの真意が、キサにはまるで読めない。
「”覚えているでしょう!? あたしのことを。山道で会ったもの。あたしーー」
「--? ・・・」
分かるような、分からないような。
「・・・いい。ごめんなさい、何でもない」
かなりの間を置いて、ローザはようやくそれだけを、喉の奥からしぼりだした。
「・・・・」
いきなりひとに斬りつけておいて”何でもない”もないものだが・・・。
何かただならぬものをキサは読み取った。
一人残されて、ローザは力なく座り込んでいた。
敵わないのよ。まるで死に神みたいね。
》
あとがき
「空色騎士譚 ~女王陛下のダンス・パーティー~」のプロローグとちょっと関連してます。
http://ncode.syosetu.com/n9717bh/1/
ローザクリスの葛藤は続いているようだ。




