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9 これってクソゲーってやつですか?

相も変わらず、やる気が出ない。


寝る前に授業の復習をしなければと思う。

思うだけ思って、気がついたらベッドに倒れ込んでいる。


最近、明らかに寝すぎだ。


ここ数年、六時間睡眠が基本だったはずなのに、最近は八時間でも足りない。

寝ても寝ても、まだ眠れる。


幸いなことに、ここにはそれを咎める人がいない。



もっとも、ぼんやりしているのは私だけではなかった。


八月を前にして、ボーモン家全体がどこか浮ついている。

いつもは厳格な屋敷なのに、空気が妙に軽い。



理由は分かっている。


あちらこちらから聞こえてくる単語――


「バカンス」


なるほど。

みんな夏休み前で浮かれているのだ。


やることがあるようでない。


そんな、夏休み前特有の落ち着かない空気が、屋敷全体を包んでいる。



夏休みになったら、アントワーヌ先生との授業も休みになるのだろうか。


……その間、私は何をしたらいいのだろう。




そんなことをぼーっと考えていたら、声が飛んできた。


「Nous allons faire un petit dictionnaire franco-japonais.」


ディクショネ……あ、辞書ね。

辞書を……する?

……ああ、作るってことか。


一瞬ぽかんとしたあと、心の中で拍手した。


辞書!!


今、喉から手が出るほど欲しいものだ。


知りたい単語を探せる。

意味が分かる。


たったそれだけの行為が、今の私には出来ない。


辞書編纂者は偉大なり。

もしもう一度辞書に出会えたら、私はそれを作った人たちを本気で讃えると思う。



そんなことを考えていたら、アントワーヌ先生が本を同じ本を二冊取り出した。


絵がたくさん描かれている。


どうやら子ども向けの単語帳らしい。

絵の下にフランス語が書かれている。


ここに日本語を書いていく。



つまり――

手作り日仏辞書。


なるほど。

でも、なぜ二冊?


まあいい。

辞書ができるなら何でもいい。


こうして、辞書作りが始まった。




最初のページは、動物だった。


異世界だから、生物の種類が違うのでは――

そんな疑問が一瞬よぎった。


しかし絵を見る限り、だいたい見慣れた感じの動物ばかりだ。


ただ、よく見ると微妙に違う。

似ているけれど、同じではない。


どうやらこの世界では、既存のフランス語の単語を、ちょっと無理やり当てはめて使っているらしい。


……なんて雑な。


とはいえ、私にはありがたい。



私は日本語を書き込みながら、単語を区切って発音していく。

単語地獄で覚えた方法だ。


Le chien 犬


これは chi/en

シ・アン


次。


Le chat ねこ


cha/t

シャ・トゥ


「C'est le chatシャ


すかさず訂正が入った。


……あれ?

最後の t を読まないらしい。

そういえば、動詞のときも er の r が消えていた。


「Non dire t?」


知っている単語を並べて質問する。


どうやらフランス語は「語尾の子音を読まない」という特徴があるらしい。


なるほど。


確かに

Vousヴゥの s

Parisパリの s

Restaurantレストランの t


全部読まない。


つまり――

語尾の子音は読まない。


私は一つのルールを発見した。


ちょっと嬉しい。

アントワーヌの説明がほとんど理解できない以上、こうやって自分で法則を見つけるしかない。


次の単語。


Le cheval 馬


che / val

語尾の l を無視すると、シュ・ヴァ


「Non, c'est le chevalシュヴァル.」


……


私の発見したルールは、

三十秒で崩壊した。


フランス語は、ひとの希望を折るために存在しているのかもしれない。



......でも負けない。


次。


Le cochon 豚


co / chon

コ・ション


よし。次。


Le bœuf 牛


œ?


また知らない文字が出てきた。


「ケスクセ?」


「これ何ですか?」は覚えた。

ただし、つづりは全く分からない。


アントワーヌ先生が発音する。


「œ(ユ)」


つまりœ = ユ。


また母音が増えた。


昨日の多すぎた母音の恐怖を思い出し、震える。



そして、次の単語でさらに新たな問題が起きた。


La vache

また牛だ。


発音はva / che

ヴァ・シュ


絵をよく見ると、おっぱいがある。

つまり、乳牛。


アントワーヌ先生に指差しで質問すると、


オスが bœufで、メスが vacheらしい。


雄牛と雌牛で単語が違う。

チーズの国フランスって感じだ。


そこで、私は今まで見ないふりをしていたものに気づいた。

単語の前についている Le。

最初は冠詞だろうと思って、無視していた。


しかし、

雄牛は Le bœuf

雌牛は La vache


……あれ?


Le が La になった。


つまりこれは――

第二外国語がヨーロッパ言語だった人たちが、よく嘆いていたアレですか。


男性形と女性形。


開かれたページを見渡すと一部の動物にはメスとオスで呼び方が違うものがある。

基本は男性形で、メスで区別したいものは女性形ね。


さらにページをめくった。

Le

La

Le

La

La

Le

私は静かに本を閉じた。



パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。

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