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2 お花を摘みに

「Bon... bon, bon. ********」

重すぎる数秒の沈黙を破ったのは、やはり美青年だった。

高い天井に謎のオノマトペが美しく響く。

眉間のしわはもう消えていた。

ボンボンボンって、三時の鐘ですか。

場違いなツッコミを飲み込み、つくり笑顔を貼りつけて、軽く首をかしげてみる。


「Josette, s’il vous plaît.」

そう呼ばれて来たのは、メイドさんだと思われる同い年くらいの女性。

そして彼女によって、別の部屋に通された。




出された温かいお茶を飲むと、ようやく頭が正常に回り始めた。


どうやったらフランス人と日本人を間違えるのか分からないが、どうやら人違いで連れてこられたらしい。迷惑な話である。


そして、ここでは英語が通じない。

試してないが、日本語もダメだろう。

パリではだいたいの人に英語が通じたし、標識にも英語が書いてあったから、特に不自由なく過ごしていた。

フランスという異国に来ながらも、自分が実はフランス語にふれていなかった事実に衝撃を受ける。

もちろんカフェを頼む、パンを頼むくらいはした。

でも、ここ数日で覚えた単語は、Bonjour, merci, s'il vous plaît, Excusez-moiと両手で数えきれるくらいだ。


だって今の時代、いざとなれば、スマホで...

そこでハッと思い、ショルダーバックがないことに気がついた。

頼みのガイドブックすらない。

自分の丸腰ぐあいに唖然とするしかない。




そして目下最大の問題は――トイレだ。

この部屋にトイレはない。

そしてここまで歩いてきた廊下にもトイレらしき場所は見当たらなかった。

長い廊下に並んだ扉は、すべてがきっちり閉じられており、中の様子は全く分からなかった。

そして扉のデザインが画一的過ぎて、一度勝手に出たら最後、自分で戻れる自信はない。

そんなことを考えているうちに、ジョゼットが戻ってきた。


「Excusez-moi, where is a washroom ? トイレってどこですか?」


ひとまずどんな単語が引っかかるか分からないので、英単語帳に付属したCDみたいに英語と日本語を並べて、話しかけてみた。

もちろん、通じない。

ジョゼットにも顔をしかめられてしまった。

けれど、そのことを気にしている場合ではない。

こっちにもタイムリミットがある。


「ウォッシュルール、ト、イ、レ!」


ジョゼットの顔がますます歪み、顔が近づいてくる。

しょうがない。

ここは最終手段。

はしたないとは思いつつ、膀胱を押さえ、足踏みをしてみる。


「Ah! Les toilettes !!」

「トワレット」


一発で覚えた。

トイレと言った時点で気づいてほしかったけれど、きっと外国人と触れる機会が少ないのだろう。

しょうがない。




そんなことを考えながら、ジョゼットについてトイレにたどり着いた。

ひとまず最悪の事態は避けられた。

ホッとひと安心して、トイレを流そうとした瞬間、困った。

流し方が分からない。。。


今まで使ったパリのトイレは、ボタンを押して流すものが多かった。

そのボタンがない。

でも、形からするとボットントイレじゃなくて、水洗っぽい。


ひとまず深呼吸して、周りを見回してみる。


一番怪しいのは、垂れ下がった鎖だ。

緊急呼び出しベルのような鎖が、頭上のタンクにつながっている。

だから多分これだろう。


ただどうしてもベルが鳴りそうな気がして引っ張れない。

もしくは、タライが頭に落ちてきそうな…。

もちろんジョゼットを呼んで助けてもらうという選択肢もあるが、ジェスチャーでしかコミュニケーションが取れない以上、ドアを開けてトイレに招き入れるしかない。

流さないものを人に見られるよりか、タライが頭に落ちてきた方がマシだと思い、意を決して鎖を引っ張った。




ジョゼットと部屋に戻ると、さっきの美青年とは違う、美青年が座っていた。

私たちを見ると、さっと立ち上がる。

茶髪でゆるいウェーブのかかった髪の毛が、日の光で輝いている。

目はさっきの美青年と同じ透き通るような青色だ。

そして、最大の違いは柔らかな笑顔。

ここに来て初めて歓迎されている気がした。


「Bonjour, mademoiselle. Je suis Antoine de Beaumont.」


正面に立った私の手を自然と取り、自己紹介的なものを始めた。

多分、彼の名前はアントワーヌ。あとは聞き取れなかった。

そして何やらしゃべり終わると、そのまま手の甲に軽く口づけが落とされる。

そしてアントワーヌが顔を上げられたところで、ばっりち目があってしまう。

恥ずかしい。


「Bonjour, Maika Hasebe」

「Enchanté, mademoiselle Maika」


ここに来て、初めてまともにコミュニケーションを取れた。

胸にこみ上げてくるものがある。


この人となら話せそうな気がする。

ここに来て、一筋の光が見えた。

もしかして場違いかもしれないが、ひとまずこの気持ちをありったけのフランス語に込めて返した。


「Merci, monsieur Antoine.」


そこからは、身ぶり手ぶりを交えて、会話が始まった。

まずは私が何人なのか知りたいらしい。

でも、Japanと言っても日本と言っても全く伝わらない。

さすがにこれはおかしい。フランスに生きていて、普通に生活していれば、日本を知らないことはあり得ないだろう。

それに、街には日本料理やが至るところにあり、本屋には大きなマンガコーナーがあった。

そして時代錯誤な服装に邸宅。

タイムスリップでもしてしまったのだろうか。




フランスの地図、ヨーロッパの地図、そして世界地図が順に机の上に広げられていった。

しかし広がるほどに、地図の精度はどんどん怪しくなっていく。

さっきから世界地図から日本を探しているのだが、日本が真ん中に位置する太平洋中心のものではなく、大西洋中心の地図で見慣れていない上に、中心を離れれば離れるほど形が崩れていき、日本はなんと1つの小さな島として、右端に書かれていた。


何なんだ、この地図は。適当にも程がある。


そんな不信感を募らせながら、自分を指差し、その後にJaponと書かれた場所をアントワーヌに指で示した。


「Vous êtes Japonaise ?」

「Oui」


この会話の中で、また覚えた単語は「Vous êtes」。

多分、You are的な意味だ。

それを早速使って、一番気になっていることを聞いてみた。


「Vous êtes ?」


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