表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/19

12 70はどこに行った?

気持ちが悪い――。


私が小さいころに憧れていたお姫様たちは、確かに馬車に乗っていた。

でも、その乗り心地が最悪だという話は、一度も聞いたことがない。


「Excusez-moi, ça ne va pas...」(すみません、ダメです...)


彼女たちも、こうして馬車を止めて吐いていたのだろうか。


……夢が壊れる。


―――


八月に入り、ボーモン家の皆さんとともにバカンスへ出発した。


行き先は、馬車で一日ほどの場所にある別荘。

一か月間、そこで過ごすらしい。


同行するのは、ごく一部の使用人のみ。

残りの使用人たちは、なんと一か月のバカンス。


大人が一か月も休む。


まったく想像がつかない。


もし社会全体がこうなら、どうやって回っているのだろう。

フランスのバカンス文化は聞いたことがあったが、ここまで徹底しているとは思わなかった。


―――


そして、話は冒頭に戻る。


都の石畳でも十分揺れていたが、城壁を出て未舗装の道に入った瞬間、揺れは別次元に突入した。


急に跳ね上がり、腰が浮く。

そのまま天井に頭をぶつけそうになる。

会話中なら確実に舌を噛む。

私は必死に手すりにしがみつき、次の衝撃に備える。


だが、それだけでは終わらない。


馬車酔い。



風に当たればマシになるかと思い、窓を開けてもらったが、

今度は土埃で目も開けられない。



乗車前に渡された帽子には長いヴェールがついていた。

流行かと思っていたが、完全に防塵用だったらしい。


アントワーヌがヴェールを下ろしてくれる。

それでも埃っぽさに耐えきれなくなり、窓を閉めざるを得なかった



限界は近い――。


揺れという外的ダメージ。

酔いという内的ダメージ。

私のHPは、すでにゼロに限りなく近かった。



その目の前で。


悠然と本を読んでいるアントワーヌ。


……どうして読めるのだろう。


尊敬を通り越して、もはや別の生物に見える。


―――


別荘のある村に到着すると、人々が通りに集まり、小さな楽隊が演奏を始めた。


馬車から降りる人々に、花束や贈り物を差し出し、歓迎している。

アントワーヌは慣れた様子で軽く手を挙げて応じる。


私はというと――


「Excusez-moi……もう……限界……」


音楽が遠のく。


視界が暗くなる。


――そこで意識が途切れた。


―――


目を開けると、ベッドの上だった。


白い漆喰の天井。

細い木の梁。

ひんやりとした空気。


窓から入る光は、柔らかい。


上体を持ちあげると、本を読んでいるアントワーヌと目が合った。


「Merci, Antoine.」

「Ça va, Maïka? Vous vous êtes |évanouie.」


後半は一切聞き取れなかったが、ひとまず「Ça va.」と答えておく。


何時なのだろう。

カチカチという存在感のある音を立てている柱時計の時間はよく見えない。

「Combien?」(いくら?)

指をさして尋ねた。


「Il est huit heures moins quart.」


……何も分からない。

それが顔に出てしまった。


―――


翌日からバカンスとはいえ、平日は授業をする。

ただし午前中だけな上に、クラスメイトがいる。

クラスメイトは4人。

オーギュスト Auguste ♂12歳

バティスト Batiste ♂10歳

クロエ Chloé ♀9歳

ディミトリ Dimitri ♂5歳

私は勝手に「ABCDカルテット」と呼んでいる。

全員、ボーモン公爵の孫。つまりアントワーヌの甥と姪だ。


授業は寺子屋式。それぞれ課題が与えられ、各自進めていく。


そして――

昨日、私が数え方を知らないことにアントワーヌが気づいたのだろう。

今日の私の課題は数字になった。ディミトリと一緒に1から数えていく。



Un, deux, trois...

ここまではいい。


Quatre, cinq, six, sept, huit, neuf, dix。

4は後半が言いにくい。

6は英語と似ている。

7と9は頭文字が同じ。


問題はここから。


Onze, douze, treize, quatorze, quinze, seize, dix-sept, dix-huit, dix-neuf, vingt

Zeが日本語の「じゅう」に当たるのか?

1, 2, 3に対応している様で微妙にしていない。

それにしても、17以降は急に合理的。

どうしてもっと早くから、これを採用しなかったのだろう?

フランス語、また判断をミスっている。


その後は、 Vingt et un, vingt-deux, vingt-trois...

どうやらここからは普通みたいだ。

合理的に数えられるって、素晴らしい!



そんな、ささやかな喜びを嘲笑ってくるのがフランス語だ。


70というところで、


「Soixante-dix!」

隣のクロードが得意げに言う。


「60-10」......?


70はどこに行った?


5歳児は理解している。

私は理解していない。



謎のカウントは続いていく。

Soixante-onze, soixante-douze...


緊急速報。

数字、60で終了のお知らせ。


70は存在しない。

代わりに、60と10、60と11と数えていく。


一緒に勉強しているクロードは普通に続けているので、これが普通なのだろう。


じゃあ、80は60と20となるのか――?


答えは否だ。


80はquatre-vingt。

4と20...?


つまり、4×20=80ってことですか?!


なぜ掛け算?


では90は?3×30で、trois-trenteとか?


正解はQuatre-vingt-dix。


4×20+10。

複雑すぎでしょ。ディミトリは理解して言っているのか?


フランス人が数に弱いのか、強いのか、全くわからなくなった。


99なんて、quatre-vingt-dix-neuf。

長い。

数にはあるまじき長さを誇っている。

ディミトリも言い切るのに必死だ。


そして、迎えた100はcent。


急にシンプルさを取り戻した。


数え切ったことに歓喜している5歳のディミトリ。

本来の数のシンプルさに回帰したことに歓喜する22歳の舞花。



ふたりでハイタッチをした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ