1.Do you speak English?
これが最後の自由だ。
そんなことを思って、数ヶ月分のバイト代を注ぎ込んだ大学生活最後の卒業旅行。普通こういうのは友達と連れ立って行くものかもしれないが、2週間も団体行動が続くのは耐えられないので、思い切って一人で来てしまった。
花の都パリは予想以上だった。
奥に凱旋門がたたずむシャンゼリゼ通り、多くの人が散歩を楽しむセーヌ川、本を片手にエスプレッソを楽しむカフェのテラス席。どこにいても絵になる。そして誰もせかせかしていない。友人と熱心に語り合ったり、恋人との甘いひと時を楽しんでいたり、一人で気ままに昼寝をしていたり、それぞれが自分の人生を楽しんでいるように感じる。
そんな姿に感銘を受け、綿密に立てていたスケジュールを破り捨て、気のむくままに過ごすことにした。少しはこの風景に溶け込めただろうか。
就活や卒論、卒業式と慌ただしい日々が続いていた。だからこそ、白紙に近いスケジュールで過ごすこの時間が、たまらなく贅沢に思えた。この旅行を終えたら、晴れて社会人。想像もつかない忙しい日々が始まるのだろう。
今日は前から気になっていた大きな書店に立ち寄ってみた。東京で言えば、大きな紀伊國屋書店のような場所だろうか。
たくさんの美術の図版や写真集が平積みになっている。文学のコーナーで、とりあえず文学史で暗記した作家の名前を探してみる。たしか小さい頃のマドレーヌの味が忘れられないと書いていたのは、プルーストだっけ。こんなことなら、フランスの小説を1冊くらい持ってくればよかった。
そんな時だった。
ふっと身体が軽くなり、光に包まれた。
次に気づいたのは、白い石の床の上だった。頬にひんやりとした石の感触が伝わる。
書店で倒れたのだろうか。それにしては静かだ。
カツッカツッ。
足音が反響している。まるで映画のワンシーンみたい、なんてことを考えていたら、視界の端に黒い靴が入ってきて、足音が止んだ。
「Bonjour, mademoiselle. Vous allez bien ?」
「ボンジュール」
とりあえず挨拶っぽいものをされたので返しつつ、顔を上げたら、金髪碧眼の美男子と目があった。
美しい。ルーブル美術館の絵画よりも熱心に鑑賞してしまった。
「********」
何か話しかけてくるが、フランス語が全く分からないため、耳に入ってこない。青い目って、水色に近いんだ。こんなに青いと何か支障をきたしたりしないのかしら。そんなことばかりが気になってしまう。
そこで手を差し出された。多分こういうことだろうと手を乗せると、そのまま手を引かれ、ぐっと視線が高くなる。
広々とした空間に高い天井。頭上には小さいながらもシャンデリアがつり下がっている。どこかの邸宅のホールかしら。明らかに、さっきいた本屋ではない。。
誘拐か?
そんなことをとりあえず思ってみたが、どこも拘束されていない。
それにマフィアってイタリアよね。
そして、やくざ者には見えない目の前の美青年。
きちんとサイズを測って、プロが仕立てたであろう、身体にあったスーツに、紳士然した気品のある物腰は、むしろ誘拐する側でなく、誘拐される側の人間であることを物語っている。少なくとも、悪人という雰囲気ではない。
では、この状況は何なのだろうか。
考えようとしてもどこからどう考えていいかわからず、ショート回路に入りこむ。そこに美青年の口が紡ぎだす美しい旋律が流れ込み、私の思考は完全に止まってしまった。
そのまま促されるがままに椅子に座り、しばらくは広間の光景を夢心地でひたすら眺めていた。
その間、美青年は何人かの人とこそこそと話している。
どうやらトラブルらしい。ああ、私が連れてこられたのも、きっと人違いだったのだろう。
でも、いつどうやって?
まるで他人事のように、そんなことを考えていたら、また美青年が近づいてきて、話しかけられた。
「Excusez-moi, mademoiselle. Est-ce que vous étiez à Paris?」
ひとまず、エクスキューズミー的なことと、パリだけ分かった。
藁にもすがる思いというのはこういうことなのだろう。
「Here is in Paris? Where am I?」
反射的に英語が口をついて出た。
あまりの拙さに言ったそばから恥ずかしさでいっぱいになる。
だけど、そんな羞恥心を差し引いてもお釣りがくるくらいの状況である。とにかく、人違いだということを伝えて、早急に解放してもらわなければならない。
「********」
しかし返ってきたのはフランス語。
そういう時こそ、お決まりのフレーズ。
「Do you speak English?」
「Pardon?」
今度ははっきりとゆっくりと聞いてみた。
その結果、美青年の眉間にしわが寄った。そして追い打ちに軽いため息。
予想外の反応に目を見開くしかなかった。私、そんな気に障ることを言ってしまったのだろうか。
そんな私の反応に気づいていないのか、こちらを見つめながら、目の前の美青年は顎に手を当て、考え込んでしまった。そんな熱い視線に負けてしまい、私は思わず下を向いた。
「Est-ce que vous comprenez la langue française?」
頭の上から聞こえてきた新しいフレーズは、先ほどよりもずっとゆっくり、はっきりと発音されていた。だからか、多分「フランス語」か「フランス人」的なことを言っているということだけは分かった。どちらの質問にせよ、答えはひとつ。
「No」
ガクッともたげられた美青年の顔から、さっきよりも3倍くらい大きなため息が吐き出された。
そんな顔をしないでほしい。
私のせいなのだろうか。
フランス語が分からない、私のせいなのだろうか。
思わず口に出そうなくらい大きな心の叫びが、私のなかでこだました。
初めて書いてみました。ご意見、ご感想、ご指摘等、お待ちしております。




