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第九章 因縁①

 寛延かんえん四年八月七日、この日も朝から風が強かった。


「山の神様が怒っておるんかなあ。なにか悪いことでも起きなければええけんど」

 と、鬼助の呟いた声は、すぐに風に掻き消されてしまう。


「そういえば、里では男衆が総出で松代へ行くらしいど。一体何の用事だろな」

 隣で共に掃除をしていた克林が、目を輝かせて言った。


「和尚だったら何か知っているだろかい」

 克林は興味津々の様子だが、鬼助はあまり関心がなかった。

 和尚に聞いたところで教えてはくれないだろうし、とにかく何か面倒なことが起こりさえしなければいいと思っていた。


「新右衛門様も朝からいないし、おらはひとりで稽古でもするよ」

 掃除を終えた鬼助は、そう克林に言い残して、木刀をたずさえて寺の裏手に消えていった。


 その頃鬼無里の里では、三十名ほどの男たちが、異様な空気の中で群れを成していた。

 手にはいずれも鎌、棍棒こんぼう、竹槍などを握っている。

 喜左衛門屋敷前に居並ぶ様子は、皆一様に落ち着かない。


「喜左衛門様はどうした?早く出ねえとあっという間に昼になっちまうぞ」

 村人の一人が言った。


 事前のしめし合わせでは、他の村の者と、こくに松代で落ち合うことになっている。

 今から村を出れば、用意の舟を乗り継いで、定刻には松代へ着く。

 だが喜左衛門が現れないことには、出立のしようがなかった。


 果たして男たちの苛立いらだちが最高潮に達しようかとした時、屋敷の門がゆっくりと開いて、ようやく中から喜左衛門が出てきた。

 その脇には、なぜか大日方おおひなた五郎兵衛の姿がある。

 顔に髭はなく、月代さかやきも綺麗に剃られ、髪もきっちりと結われている。


「皆の者、よく集まってくれた。礼を言うぞ」

 喜左衛門が満を持して言葉を発すると、男達からはおおっと歓声が沸いた。


「我らはこれから松代へと向かうが、わしは所用有りて後から向かうことになる。ここに居る五郎兵衛を名代みょうだいとして立てるから、皆五郎兵衛に従うように」

 五郎兵衛は喜左衛門から訴状を受け取ると、しっかりと頷いた。


 今となっては村との接点も少ない五郎兵衛が、なぜこの期に及んで出てきたのかいぶかしむ者もいた。

 しかし、名門大日方家の後裔こうえいである五郎兵衛ならば、村を率いても格としては問題ない。

 そして何より、領内七十三ヶ村を代表する宮藤喜左衛門が指名したのであれば、それに黙って従うのが最善なのである。


「五郎兵衛、後は頼むぞ。万が一わしが何かの事情で遅れるようならば、段取り通りおぬしが進めてくれよ。訴状は風に飛ばされでもしたら大事おおごとだから、必ず奉行の前にて開封するのだぞ」

 口元に穏やかな笑みを浮かべて、喜左衛門が念を押した。


 五郎兵衛は緊張の面持ちで、再度頷いた。

 こうやって喜左衛門と言葉を交わすのはいつ振りだろうか、と五郎兵衛は内心で思った。


 ベニと結ばれて山にこもって以来、五郎兵衛は喜左衛門と親しく交わることをあえて避けてきた。

 それは、ベニとの駈落ちを手伝ってくれた喜左衛門に、あらぬ疑いが掛けられてはいけないと考えたからである。

 だが心の中では、一日たりとも、喜左衛門に対する恩義を忘れたことはない。

 今こうやって喜左衛門の役に立てるというのならば、どんなことがあろうとも役目を遂行する覚悟でいる。


「では参ろう。田村半右衛門にものを見せてやるのだ!」

 喜左衛門がげきを飛ばすと、群衆は一斉にときの声を上げた。

 鉦太鼓かねたいこの音が鳴り響いて、

「松代へ!松代へ!」

 三十名が口々に叫んで村を出立した。

寛延が宝暦と改元されたのは十二月なので、八月はまだ寛延になります。

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