第七章 秘密⑤
少女の目には、二本差しで羽織を翻して山を警邏する五郎兵衛の姿は、随分と洗練されて写ったろう。
だがそれ以上に、五郎兵衛の本質的な優しさを、この時見抜いたに違いない。
正に一目惚れであった。
以来ベニは、何かに理由を付けて山へ入ることが多くなった。
届けの出すのは、村役人にではなく、決まって五郎兵衛に対してである。
初めはベニのことを子ども扱いしていた五郎兵衛だったが、ベニは事あるごとに弁当などを持参して、五郎兵衛の世話を焼いた。
そういう乙女の真心に、五郎兵衛も自然と心を開くようになった。
いつしか二人は恋に落ち、何度となく山で密会する間柄となった。
鬼無里の里に於いても、二人の関係はもはや公然の秘密といってよく、ベニは五郎兵衛に嫁入りする形式を整えるために、村役人某の養子となるところまで決まっていた。
あとはいつ祝言を挙げるかが、専らの噂であった。
そんな或る日、松代城から使者が鬼無里へとやってきて、
「御家老原小隼人様内室へ、鬼無里小町ことベニ女を申し受け度く、鬼無里村より金五十両の化粧料と共に寄越すべし」
との達しがあった。
まさに青天の霹靂である。
当時松代には、三名物と俗称されるものがあった。
一つは蒔田(宮藤)喜左衛門の剣技で、松代藩士山寺庄左衛門の批評に依れば、
「剣は心を映す鑑と申さば、喜左衛門の業前は言うに及ばず、其の人品も高潔にして間然するところなき丈夫なり」
とある。
もう一つは、家老原小隼人の容貌で、
「原小隼人は、顔色容貌は勿論、たけ長からず短からず、肉太からず細からず、何処と云っても難の打ちどころなき美男子なり」
とされている。
小隼人は、自らの容色が優れるのを誇って淫乱の性向があり、藩主に付いて江戸へと赴いた際には吉原へと入り浸り、気に入った遊女を、四百六十両もの大金を以て身請けし、己の妻とした。
その小隼人が、ベニを妾にと望んだのである。
ベニの美貌は遠く松代まで届いていたから、小隼人がその存在を知って手を付ける気になったのだろうと城下では見られていた。
しかし喜左衛門も五郎兵衛も、それだけではないことは既に気が付いている。
原小隼人は過日鬼無里訪問の砌、宮藤喜左衛門と大日方五郎兵衛に顔を潰されたことを恨みに思い、その報復として、五郎兵衛の許嫁ともいえるベニを奪い、鬼無里には過料ともいえる持参金を命じたのである。
左様な横暴は到底許されるはずもないが、奉行に訴え出たところで小隼人に握り潰されるのが落ちである。
この達しを受けて、恋仲の二人は大いに思い悩んだ。
いっそ裾花川へと身を投げて、二人あの世で一緒になろうかとも相談した。
だが五郎兵衛は、名門大日方氏の後裔である。
先祖が戦に敗れて身を投げた裾花川に、自分は女と身を投げたと聞こえれば、家名に疵が付く。
「五郎兵衛様、わたしたちはどうしたらいいだろう?」
鬼無里村のはずれにある五郎兵衛の役宅で、ベニは思いつめた表情をして言った。
「……」
五郎兵衛は腕を組んだまま、黙して何も語らない。
「わたしはあんなやつのところへ嫁に行くくらいなら、いっそ死んだほうがましよ」
「死ぬだなんて軽々というな」
五郎兵衛はようやく口を開いたが、叱られたような気がして、ベニには少しもおもしろくはない。
「じゃあどうしたらいいのよ?」
「……」
「またそうやって黙る。ならいっそのこと二人して逃げ出したらどうかしら?駈落ちっていうんでしょう?」
「駈落ちか…」
「わたしは五郎兵衛様さえいれば、どこで暮らしていくのも平気よ」
眼を輝かして言うベニの言葉には、おそらく嘘はない。
だが五郎兵衛は、先祖代々住むこの鬼無里の地を離れるには、些かの未練があった。
「まずは喜左衛門様へ話してみるとしよう。なにか良き知恵を貸してくれるに違いないぞ」
史料には、三名物ではなく三幅対という書かれ方をしています。
残りの一つは、吟味役藤田右仲の陰〇で、史料には、
「頭大なるは茎短く、茎太ければ頭小なる類にて、いずれも言い分なきは稀なり。右仲は言い分なき器なり」
と、直球の下ネタが書かれています。
実名でこのように書かれていますが、当人は恥ずかしくなかったのでしょうか。
或いはこのような形で後世に名を遺したわけで、名誉なことなのかもしれません(笑)




