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第一章 鬼無里村④

 鬼助は孤児だった。

 二歳くらいのときに人知れず雲海院へと連れられ、門前で泣いていたのだという。

 鬼助には、そのときの記憶はなく、当然両親の顔も知らない。


 一方の克林は、三歳の頃、里に住む両親が流行り病で共に身罷みまかったために、里人に乞われて、久安が身元を引き受けた。


挿絵(By みてみん)


 だから孤児という点で言えば、鬼助も克林も似たようなものである。

 だが明らかに、二人の扱いは違った。

 その原因は、果たしてどこにあるのか。

 以前鬼助は、自分の生い立ちについて、村人からさる巷説こうせつを聞いたことがあった。


 久安が、捨子を育てると鬼無里の村役人に届け出たその日、村で大火事が起きた。

 町組のほとんどを類焼し、死者の出た家も複数軒に及んだという。


 そもそもは、とある百姓家からの失火だったのだが、時機()しく、その捨子が村に厄災を呼び寄せたに違いない、という風聞ふうぶんが人々の間に伝播でんぱした。


 その風説を契機として、の捨子は、鬼子おにごゆえに忌み嫌われて捨てられたのではないかという噂が、村人の間で立った。


 この地方では、親に似ない子のことを鬼子と呼んで忌避きひする風習があった。

 鬼助が捨てられた際、ふところには大層立派な守り刀が忍ばせてあったというから、松代城下の名のある武士が、不義の上で生まれた子を始末するには忍びず、雲海院に捨てたのではないか、という勘繰りがあったのである。


 いずれにせよ久安は、これら噂に対して是とも非とも言うことなく、いつしか村人たちの間ではまことしやかに信じられるようになった。

 鬼助には、拾われた時には別の名前があったというが、今では誰もが鬼の子鬼助(きすけ)と呼んではばからなかった。


 だから、久安は生い立ちについて何かを知っているからこそ、自分に辛く当たって来るのだろうと、鬼助は思わずにはいられなかった。

このページのイラストは、プロ漫画家丸岡九蔵先生の描き降ろしによるものです。

このように可愛らしいタッチも、丸岡先生の得意とするところです。

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