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第一章 鬼無里村③

 この寺の住職を務めるのは、久安くあんという老師である。

 かつては雲水として全国を行脚あんぎゃし、京の名のある寺の住持を務めたというが、そこに落ち着くことはなく、再び廻国の修行に出て信濃を訪れた際、この鬼無里を大層気に入り、住み着いて松厳寺の住職となった。


挿絵(By みてみん)


 博学にして名僧知識めいそうちしきほまれ高く、この雲海院に隠居してからも村人の信頼は篤く、事あるごとに人々のよき相談相手となっている。


 だが鬼助は、久安の声を聞くといつも背中に冷や水を垂らされたかのように、心臓が鳴る。

 これはもう癖のようになってしまっている。

 癖のようにはなっているが、いつまでも慣れることはない。


 鬼助は深呼吸をしてから、シロとじゃれるのをやめ立ち上がった。

「和尚、鬼助はここに居ります」


 久安は鬼助の存在に気づくと、無表情のまま真っすぐにこちらへ向かって歩いてきた。

「さっきからお前を探していたというのにどこにおった」


 こういう時、何か言い訳をしても、事がいい方向に進まないのを、鬼助は知っている。

「中書院で掃除をして居りました。すぐ返事ができずに申し訳ありません」

 潔く侘びると、久安はやや機嫌を持ち直して、

「ならばよい。ところで鬼助よ、ひとつ頼みごとをしたいのだが聞いてくれるな」

 鬼助の顔を見据えながら言った。


 鬼助は黙って頷いた。

 どうせ断ることなどできないのは、久安も承知の上である。


 久安はいつだって、鬼助に対してだけ、とりわけ厳しい態度を見せる。

 作務さむを言い付けられる量は克林より遥かに多く、何か失敗をすれば厳しくとがめられる。

 作務が終われば四書ししょ素読すどくを命じられ、難しい漢籍を、何行も写し終えるまではやめられない。

 話し方も口うるさく言われ、目上の者には武家のごとく丁寧な言葉づかいで話すことを強要された。


 一方で、克林には寺の小僧として僧侶の修行をさせているのに、鬼助には剃髪ていはつも許さず、長い経を読む事は、

「お前には不要なり」

 と、にべもなく言う始末であった。


 とかくこの寺では肩身の狭い思いをしている。

 そのような扱いを受けるのは何が原因なのか、鬼助は薄々気づいていた。

このページのイラストは、プロ漫画家丸岡九蔵先生の描き降ろしによるものです。

丸岡先生は、ハイレベルな画力・幅広く深い知識・独特の感性を兼ね備えた、非常に個性あふれる漫画家さんです。

AIには真似できない丸岡タッチを、ぜひご覧ください。

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