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第二章 宮藤喜左衛門④

 さて喜左衛門ら村役人たちは、昼食を挟んで午後も引き続き話し合いを続けていた。

 座敷奥の書院で車座になっていると、障子の向こうで、

「武兵衛様、大変だで!」

 と、大声がした。


 武兵衛に限らず、合議に参加していた者たち一同、皆顔を見合わせた。


 普段村の者には、何事か用事があれば勝手口へと廻るよう言いつけてある。

 その指示を破って、障子越しとはいえ、庭から大音で呼びかけるとはただ事ではない。


 それでも武兵衛は、落ち着き払って立ち上がりながら、

「そんなに慌ててどうした?」

 叱るように言うと、障子しょうじの向こうから、

「や、山におったお侍が、あやめ様に襲い掛かってあたけてるんだ」

 慌てた様子のままで答えが返ってきた。


 返答からは細かい事までは分からないが、武兵衛には直ぐにピンと来るものがあった。

「なに?小菅こすげ殿がだと!」

 言いながら障子を開け放つと、そこには、屋敷で下働きをしている男が、泣き出しそうな顔をして立っていた。


「表庭であやめ様がとっつかまりそうだで。やっこさんなたを手にしてるから、今にも斬られちまうかも知れんど!」

「小菅の奴め…」

 顔を紅潮こうちょうさせ憎々し気に呟く武兵衛の後ろを、一人の若武者が、眼にも止まらぬ速さで駆け出して行った。


 この頃一夜山の東斜面中腹に、罪人を収容するための小屋があった。

 いわゆる山牢やまろうで、山流しの刑にあった政治犯を収容するための場所だったとされる。

 罪を犯した罪人は、年季を定めて、山小屋へと留め置かれる。

 しかし罪人とは言えども、山流しの刑になるのは武士であり、相応の扱いをせねばならなかった。

 見張り番をする責務は、鬼無里の村に課せられるため、村人たちが交代で、見張りや罪人の世話をする必要があった。


 小屋の広さは、間口三間奥行二間半というもので、見た目は普通の山小屋と変わりない。

 畳やむしろは敷かれず板の間のままで、出入口は格子こうしで仕切って施錠されている。

 罪人はそこで日々を過ごすのである。


 食事は一日に三度、村人が木製の食器で出す。

 風呂には入れず、手拭いを濡らして身体を拭くのがせいぜいで、用便は壺で足した。


 当時鬼無里の牢屋には、小菅小助という武士が一人入れられていた。

 この者、元は真田家家中の勘定方かんじょうがたを務める役人であったが、公金の取り扱いにはなは不埒ふらちな行いあり、刑罰として七年の山籠もりをおおせ付けられていた。

 罪状にある不埒な行いとは、横領及び賄賂わいろの授受とされている。


 この頃の松代藩は、放漫な藩経営の影響で、常に財政が逼迫ひっぱくしており、上士から下士に至るまで、重い負担に苦しめられていた。

 その様な重い負担から逃れようと、家中では裏金作りや、賄賂の授受が横行していたのである。


 従って、横領や賄賂の悪事に手を染めたのは小菅小助に限らず、同輩の関田(なにがし)、平井出某も同様の罪に問われたが、あとの二人は、沙汰さたが下される前に潔く腹を斬って自害している。


 当然小助にも、上役や親族から腹を斬るよう説得があった。

 だが小助はそれを拒否し、牢へと入ったのである。


 その小助が鬼無里へやって来たのは、今から一年ほど前のことだった。

 武士の入牢じゅろうには厳重な管理が敷かれ、何人もの役人を伴って、小助は鬼無里へと連れられてきた。

 割元である武兵衛は、そのために随分と骨を折ったことを今でも覚えている。


 牢に入ってからの小助といえば、これが本当に罪人かと思えるほど、至っておとなしく、不平不満を言うこともなく刑に服していた。


 それでも見張りを怠ることは許されないため、村では牢の近くに番小屋を建て、そこに月替りの番人を置いた。

 番人となるのは、村から選任された百姓で、農作業をせずとも生活していくだけの手当が支給された。


 番人としての仕事は、見張りよりも世話が中心となる。

 罪人と番人の関係とはいえども、互いは武士と百姓の身分であり、初めは緊張感をもって接する。

 だが昼夜問わずひと月も一緒にいれば、やがて緊張感も薄れていく。

 そのうちに、小助が罪人だということを忘れてしまう者も中には現れた。


 そのような者の一人に、百姓の和市わいちがいた。

 和市は、西京地区に住む長百姓の次男で、歳は二十歳を過ぎたあたり。

 まだ嫁の来手もなく、婿の貰い手もなく、長男を助けて日々畑仕事にいそしんでいた。


 山小屋の月番つきばんに命じられたのは、今年の春のことだった。

 家の手伝いをするよりは、自立して食い扶持を得たいという気持ちがあって、村役人から打診された時には、一も二もなく飛びついた。


 和市にとっては、番人の仕事はさして辛くもなかった。

 番小屋にこもって、与えられた仕事をこなしておけばいい。

 小助に三度の飯を出すのも、初めは慣れなかったがやがて当たり前のようにこなすことができた。


 和市には、小助は初めて間近で見る侍だった。

 小助は日々黙したまま胡坐あぐらをかいて、和市が何か世話をすればうやうやしく礼を言う。

 その態度は潔く、己が罪をじっくりと反省しているように見えた。

実際に鬼無里には山牢がありました。小助のことも史料に書かれております。

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