表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/84

第二章 宮藤喜左衛門③

 それから二年後、喜左衛門が父の名代みょうだいとして鬼無里へとやって来た際、再びあやめへと相まみえた。

 二人が偶々(たまたま)屋敷の廊下ですれ違った時、以前とは見違えるほど大人びたあやめの姿に、喜左衛門は思わず心を奪われた。


 だが武芸一筋に生きて喜左衛門は、武士が色恋に惑わされるようではいけないと、常日頃から考えてきた。

 それゆえ、己の心に芽生えたあやめへの思慕しぼに、喜左衛門は苦悩した。


 当時、松厳寺の住職は久安であった。

 喜左衛門が巡視に訪れたその日の夜、久安が坐禅堂にて文殊菩薩像の掃除をしていると、口を真一文字に結んだ喜左衛門がやって来た。

 こんなところに何用かと問えば、


「和尚、わしは煩悩ぼんのうかたまりじゃ。斯様かようなままでは武士としての面目が立たぬ。しばし坐禅を組みたいゆえ付き合うてはくれぬか?」


 青年らしい一徹な眼差しだった。

 慧眼けいがんたる久安は、この時既に喜左衛門の煩悶はんもんを見抜いていたに違いない。


 深夜、静まり返った坐禅堂で、喜左衛門は一人坐禅を組んだ。

 座敷の広さはゆうに四十畳はある。

 その片隅で、喜左衛門は座して呼吸を整えた。

 蝋燭ろうそくが一本ゆらゆらと揺れて、若武者の影を壁に形作った。


 久安は、部屋を一周するかのように、畳のふちに沿ってゆっくりと歩いた。

 手には警策けいさくたずさえている。

 その形のまま、周回するたびに、喜左衛門の前を通り過ぎる。


 そうして何度目かを通り過ぎようとした時、久安は、喜左衛門の真ん前で、ピタリと歩みを止めた。


 坐禅をしている時、坐る者は眼を閉じることはない。

 眼を開けるでもなく、閉じるでもなく、自然な状態にするのが作法となる。

 それゆえ、久安が己の前で立ち止まったことは、喜左衛門にも分かった。


 もうこの瞬間、喜左衛門の心中は乱れきっていた。

 首筋がり固まったように感じ、身体が小刻みに震えてきそうな錯覚を覚える。

 その震えを止めようとすればするほど、身体の自由が利かなくなる。


 久安の持った警策が、右の肩に触れた。

 喜左衛門は観念した。

 静かに合掌し、頭を深く垂れると、丸くなった背中に向かって、甲高い音を立てて、警策が打ち下ろされた。


 この時久安には、喜左衛門の心中が手に取るように分かっていた。

 あやめへの想いと、武士としての生き様。

 主君や我が家に対する気持ちと、次男であることの心情。

 これからどのように生きていくべきか、喜左衛門は迷いの中にいたのである。


 それでも翌朝には、若者らしいすっきりした表情で、喜左衛門は目を覚ました。

 午前から割元・肝煎を含めた村役人たちと合議を進め、昼にはそのまま鬼無里村割元宮藤武兵衛の役宅にて昼餐ちゅうさんった。


 その時、チラとあやめの姿を見た。

 お互いに言葉を交わすようなことはなかった。


 喜左衛門は、武芸と御家を第一に考え、あやめへの想いを断ち切ろうと、心に決めたのである。


 一方のあやめは、心の内でひそかに喜左衛門のことをしたい続けていた。


 松代の若き剣士蒔田喜左衛門の噂は、城下から遠く離れたこの鬼無里にもつぶさに入ってくる。

 浪人(なにがし)から試合を挑まれ、手もなく打ち破っただとか、家中の重役たる原小隼人をやりこめただとか、武芸の分からぬ娘からしても、いかにも好もしく思えるものばかりだった。

 父の武兵衛も事あるごとに喜左衛門の話をするから、否が応でも意識しないわけにはいかない。


 二年前、まだ少女だったあやめでも、馬上の喜左衛門の凛々(りり)しい姿は覚えている。

 まぶたを閉じると、いつもその雄姿が色鮮やかに浮かぶ。


 それでもあやめは、鬼無里割元の一人娘である。

 こちらも己の私情で、縁組が決められるものではないということは、生まれながらに理解している。


 あやめも喜左衛門への想いを胸に秘め、夜毎よごと月を眺める日々を過ごしていたのである。


挿絵(By みてみん)


このページのイラストは、早稲田大学漫画研究会の現役学生ぱちこみさんの描き降ろしです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ