続・魔法使いの兄の嫁
「ふう……」
少し辛そうに、それでも嬉しい表情でお腹を抱えて。
薄い茶色の髪を一つにまとめた女性が、馬車を見送ったら家の中に入っていった。
「声を掛けないんですか?」
「また殴られるかもしれないし……」
デュラー家の、大昔に魔法使いが産まれたことがある家の娘、フェイナが僕を見上げながら尋ねてくる。
家の中に入った女性は、自分の兄の嫁という立場だから、声を掛けても不自然ではない。
けれどあの人は家柄とか身内とか、そういうことで遠慮はまったくしない。
目の前で殴られる様子を見たことのあるフェイナも、僕の言葉に納得するように軽く頷いた。
殴られるかもと思っても家の近くまで来たのは、自分の甥か姪が、次の秋頃にできるということを聞いたからだ。
それでもじっと、遠く壁の影から覗くだけで。
声を掛けることも、ましてや近付くこともできないでいた。
「わたしはそろそろ失礼します。もうすぐ招待の時間ですから」
「うん、ありがとう。僕は家に帰ることにするよ」
あの家には決められた人以外、入れないようになっている。
お茶をすると言っても門の外、道路の真ん中ですることになる。
いくら天気がいい日が続いたからって、雪が残っているから寒いのに。
僕がいたことで中途半端になってしまった前回のやり直しをするために、フェイナが家に向かって行った。
僕よりも八歳年上の兄と、その兄より十歳年下のメイリアさんが結婚したのは昨年の春だ。
結婚してから初めての新年は、わが家に挨拶に来るのかと思っていたのに。
年末にお腹を押さえた父親が帰ってきたと思ったら、絶縁に近い状態になったと話してくれた。
ファウム家の当主も殴り飛ばすメイリアさんは、本当に誰が相手でも遠慮をしない人だな。
お腹にしたのはせめてもの優しさなんだと、父親が笑いながら言っていたのはどういう意味なんだろう。
殴られたのに喜ぶなんて、父親は変態なのか?
殴られても通っていた僕だから、父親のことは言えないけれど。
チラッと振り返って、家に入れなくてもお茶ができるフェイナを遠巻きに見送りながら。
父親も切り捨てられたなら、僕が兄と会う日は来なさそうだなあとぼんやりと思った。
「おや、坊ちゃん。家には入れないとお伝えしたはずですが?」
「リュード」
兄の執事で庭師もしているらしいリュードが、壁から顔を出していた僕に声を掛けてきた。
こうして普通に話す分には、僕まで嫌っているわけじゃないみたいだけど。
当時の雇い主よりも兄のほうが大切だと言っていた言葉を思い出して、僕の執事は僕が一番大事なのだろうかと不安になる。
「見つかったら奥様に殴られますから、早く帰ったほうがいいですよ」
声は掛けてくれるけど、素っ気ないままのリュードが家に戻っていった。
門の前でメイリアさんを待っていたフェイナにも声を掛けたら、すぐに椅子とテーブルをセットしていく。
そのままにこやかに会話をしながら、メイリアさんが来るまで話し相手になるらしい。
……僕に向けた笑顔と違う。つまり社交笑顔ってことか。
少しムッとしながらも、あの中には入れないのだからと今度こそ帰ることにする。
声が聞こえて振り返ったら、メイリアさんが門から出てくるところで。
少し窮屈そうに座りながら、お腹を大事そうに抱える様子はさっきと同じだ。
あの少しふくれたお腹の中に、僕の甥か姪がいるのか……。
初めて聞いた時もこうして見ても、やっぱり信じられないな。
「お茶をしている様子から、今のところは順調みたいです。ただ聞いていたよりもお腹は大きかったので、国王様がお話していた通りに一人ではないのかもしれません」
「キュレイシーは双子が産まれやすいと言っていたからなあ。……そうか、二人かもしれないのか」
夜遅くに戻ってきた父親に、遠目から見たメイリアさんについてを話していく。
年末に殴り飛ばされたばかりの父親は、自分の息子の様子や嫁について、なぜか国王様経由で聞くしかないらしい。もしくは嫁の親、つまりキュレイシー家の当主から。
この書斎に母親は近付かない。夜中に近い時間だけど、こうして父親とゆっくり話すことができるのはいい。
それでも本来なら自分で直接訊けばいい内容を、もう一人の息子に報告してもらうとか、自分の父親ながらにちょっと情けないと思う。
言われて見に行く僕も僕だけどと思ったら、同じ垂れ目の茶色の瞳がこちらを向いた。
「ルィーズはメイリアさんに挨拶をしなかったのか?」
「また殴られたら嫌ですし、お茶をするというフェイナさんにも、メイリアさんとは会わないという条件で途中まで一緒にいてもらったんです。僕が声を掛けたら迷惑になります」
お茶に行くと聞いて無理矢理ついて行ったからこそ、遠目でも姿を見ることができたんだ。
そうでなかったら二重に閉められた門は開けられず、様子も何も見ることは出来なかっただろう。
殴られたばかりの父親が納得するように頷いて、思い出したのかお腹をさすりながら眉間を寄せた。……もしかして、まだ痛いのかな。
あの細腕の、どこにそんな力があるというのか。
それほどに後を引く痛さだし、もっと痛いと聞いている蹴りはどんな威力なのだろうと、想像だけで身震いがする。
何をすれば蹴られるのかという興味は、今は脇に置いておく。
さすがに二回も顔を殴られたんだ。十分すぎるくらいに痛い仕打ちだ。
「少しお腹がつかえて不便そうではありましたけど、特に辛そうな感じではなかったですよ」
「それなら良かった。……次はいつ行けるかな」
なんとか初孫を拝みたいと切望している父親は、殴られたにもかかわらず行こうと考えているらしい。
やっぱり変態なのだろうか。いや、孫というものを見たいだけだろうな。
そんな先の計画を立てて浮かれている父親には、今日も言われた言葉を伝えるしかなさそうだ。
「リュードには、殴られるから近付かないようにと忠告されました。つまり父上もまた、メイリアさんに殴られると思います」
「そ、そうか……。身重になったらさすがに大丈夫かと思ったのだが」
ガッカリと肩を落とした父親を置いて、やっと自室に戻ることにした。
今まで放っておいたんだからと、メイリアさんは僕らをとっても警戒している。
というよりも、排除すべき対象として見ている。
門越しに何度かした会話の最中の視線は、まるでゴミでも見ているようなものだったもんな。
……僕、ゴミなのか。
「手ぶらで行ったのが悪かったんなら、何か持っていけばいいのかな?」
気を取り直して、殴られない方法を考えることにしよう。
メイリアさんにはお気に入りのチョコレート屋があるらしいと思い出して、手土産に持っていこうかと考えていたら。
「ルィーズ」
「っ……は、はうえ」
いつもは滅多に開かない扉が開いて、生気があまり感じられない妙齢の女性が立っていた。
夜中に見ると飛び上がるくらいに怖いから、もっと明るいときに声を掛けてほしいんだけど。
そんなことを実の母親に言えるわけがなく、微笑みの形にした表情を向けて返事をする。
「どうされたのですか、母上。もう、かなり遅い時間ですよ」
「デュラー家のお嬢さんと、会っていたと聞きましたので」
ひっそりと抑揚のない声で、母親が簡潔に尋ねてきた。
その瞳は僕を見ているようで、遠くを映しているだけだ。
「フェイナさんとは歳が近いので、会ったら話しくらいしますよ」
どこを見ているのだろうと視線を合わせようとしながら答えたら、すぐに瞳を伏せて呟くように囁いた。
「それなら、いいのです」
声を掛けたときと同じく、そっと扉が閉められる。
小さく軋む扉の音だけが、静かに廊下に残っていた。
「っはーーー……」
笑顔を貼り付けた表情のままで部屋に入ったら、どっと深い溜息を吐き出していく。
……ああ、ビックリした。
まだドキドキと早鐘のように鳴っている、心臓を押さえながら。
どこか遠い土地の、空気のいいところに療養という形で出掛けたほうがいいんじゃないかと思うくらいに、今の母親はこの世のものではないような気がする。
兄がいた頃は、もう少し笑顔もあったと訊いたことがあるけれど。
そんな兄が家を出て独立して、結婚をして一つの家庭を作ったと知るたびに、どんどんやつれていくなんて矛盾しているんじゃないのかな。
追い出したのは自分なのに、気になって仕方がないってことか。
……それにしても、今日のことをすぐに尋ねてくるとは。
「家から出なくても耳には届いているってことか」
はーっともう一度、深く溜息を吐いたら。
あまり話しかけないようにしないといけないなと、せっかくできた友人が、また一人減ったような寂しい感覚が襲ってきた。
「……今の僕の家はこんな感じなんです。やっぱり兄よりも、僕のほうが可哀想じゃありませんか?」
「知らん」
翌日、他に話す人がいないからと、殴られる覚悟で兄の家に向かうことにして。
ちょうど門を閉めるところだったメイリアさんを捕まえたら、二つ目が閉められる前に昨夜のことをまくし立てるように話した。
途中で止まってくれたのを幸いと、今までの分も一緒に吐き出したけれど。
その間のメイリアさんの表情は、とても嫌そうに顔を歪めて遠い目をしているだけだった。
「僕の話、聞いてくれていましたか?」
「あんたの引きこもってる母親の話なんて、わたしには関係ないし」
耳に指を突っ込みながら返事をしたメイリアさんは、そのままフッと息を吹きかけて吐き捨てた。
いっそ清々しいくらいに、相変わらずの態度だなあ。
「メイリアさんの義理の母親ではありませんか」
「式のときにしか会ってないし、そのときも会話はしていない。わたしもシュトレリウスも、母親って言ったらキュレイシーだけだもん」
ハッと鼻で笑いながら、話は済んだならこれまでだと、二つ目の門扉を閉めようと手を伸ばした。
「あ、ちょ、ちょっと待ってください」
「お腹の子に悪影響だから、もう来ないでよ」
「それはすみません。でも、僕にはこうして話せる人が他にいないんです」
存在が悪影響とまで言われたら、引き下がるしかないんだろうけど。
なんとか話し相手だけでもなってもらおうと頑張る僕に、虫を見るような視線を向けて言い放つ。
「枕に顔突っ込んで夜中に呟けば?」
本当に容赦のないメイリアさんは、そう言ってすぐに鍵まで掛けた。
ガチャン
……そろそろ、泣いてもいいだろうか。
昨夜からの散々な出来事に泣きそうだと思ったら、じんわりと目頭が熱くなってきた。
ファウム家を継ぐ者なんだから、弱みは見せるなと言われてきたけれど。
家に居場所はないし、気軽に話せる友人は異性だという理由で遠ざけられるし。事情を知っていてなんでも言ってくれる人には、二重に扉を閉められて鍵まで掛けられてしまった。
「誰だ?」
「ぐずっ、……う?」
門の前で泣いてしまった僕の上から、優し気な声が掛けられた。
「どうかしたのか」
この声は誰だろうと見上げたら、今まで遠くからしか見たことのない人がいて。
子供のように泣き出してしまった僕の目の前に、真っ黒い塊が静かに立っていた。
頭一つ分以上、僕よりも身長が高いことに、目の前で見て初めて気が付いた。
背が高いというよりは足が長い。腰の位置が違い過ぎる。兄弟なのに理不尽だ。
それよりも僕が誰だかわかっていない兄は、なんで自分の家の前で泣いているのかと、不思議な顔をしているみたいだった。
ローブ越しだからわかりにくいけど、少しだけ頭が動いた気がする。
ここで弟だと言ったら、また拒絶されるかもしれない。
すでにかなりへこまされた今の僕には、それだけでひと月は部屋から出たくなくなる事態だ。
「?」
泣き止んだけど声を出さない僕に、首を傾げたみたいに頭が揺れた。
なんて言えば、いいんだろう。
そういえば初対面だったと思い出して、「初めまして」だろうかと思い直す。
「あ、あの」
「おかえりなさいませ、シュトレリウス様!」
ガチャンと鍵が開けられて、弾んだ声が黒い塊に飛び付いた。
「メイリア、動くなと言っただろう」
「動かないと産まれにくくなるって言ったでしょう」
兄にしがみついたメイリアさんは、門の影にいる僕には気が付いていないみたいで。
そのまま前と同じように、満面の笑顔を向けて楽しそうに会話をしていった。
……ええと。
どうしよう。もしかしなくても僕、殴られる?
どこか隠れる場所はと辺りを見回しても、午前中に隠れていた壁まではかなり遠い。
そうして僕には気が付かないメイリアさんが、夕食のメニューを話していく。
「今日の夕食はミートドリアですよ」
「熱すぎるものは控えろと、頼んだはずだろう」
「面白いからいいんです」
何が面白いのかはわからないけど、とても楽しそうにメイリアさんが笑っている。
僕との差が激しすぎて、またへこみそうになってきた。
「ゴマのドレッシングが上手くできたので、サラダにかけてみてくださいね」
メイリアさんの話す夕食は、ごく普通のはずなのに。
冷え切ったわが家と比べてとても温かそうで美味しそうで、羨ましいと感じたらお腹が鳴ってしまった。
ぐー……
「え?」
「あ」
意外に大きなお腹の音が響いて、やっと僕のほうに視線を向けてきた。
「チィッ、まだいたのか」
「舌打ち……」
今までの、あの笑顔はなんだったんだ。
思いっ切り嫌そうに顔を歪めて、年季の入った舌打ちを僕にしているこの人は、本当に貴族のご令嬢なんだろうか。
「メイリアの知り合いか?」
また少し頭を揺らした兄が、メイリアさんに僕は誰なのかと尋ねていく。
兄の言葉に驚きながらも、しっかりと僕を指差して睨みながら言い放った。
「知っているも何も、ファウム家の跡取り息子ですよ」
普通に、「貴方の弟です」って言ってくれればいいのに。
関係ないと何度も言うメイリアさんにとって、僕と両親は赤の他人以下の存在らしい。
「そうか」
またちょっと寂しくなりながらも、兄の反応はどうなのだろうと見上げたら。
たった一言だけ呟いて、なぜかメイリアさんの頭を撫でたら門の中に入っていった。
え、それだけ?
もっと他にないのかと、思わずローブを引っ張ったら。
メイリアさんは簡単に取れたローブは外れず、代わりに白い塊が飛んできた。
「わっ!?」
「コラッ!来るなって言われていたでしょう!?」
何かが入った壺を持ったメイドが、ものすごい剣幕で僕に向かって投げる仕草をしていく。
それを見ながら「もったいない!」って言うメイリアさんは、どこかズレていると思う。
っていうか、”もったいない”ってなんだ。
「その塩は貴重なんだから、本気で投げなくていい!」
「塩!?」
足元に転がった白い塊を拾ったら、確かに塩を固めたものだった。
デカい……。これ、人にぶつけたらまずいんじゃないの?
「だってこの人はデーゲンシェルム様よりもストレスではないですか。お腹の子供に何かあったらどうするんですか?国が滅びますよ!」
「滅ぶ!?」
メイドが物騒な言葉を言って、さらに僕に向かって早く帰れと追い出しにかかる。
ここの家はメイドまで怖いとか意味がわからない。
「こら、ユイシィ」
「だって!」
「……坊ちゃん。今はユイシィのほうが気が立っていますから、帰ったほうが安全ですよ」
ちょっと困った顔をしたリュードが、メイドを捕まえながら帰れと言ってきた。
確かにあの家が、僕の帰る場所なんだろうけど。
こうして出迎える人もいない、一緒に食事を摂る人もいないのに……。
「でも、あの家には僕の居場所がないんだよ。それなのに帰らないといけないの?」
母親は僕を見ていないし、父親だって兄のことしか聞いてこない。
それなのに跡継ぎだからと、あそこが僕の家だからと言われても。
「なに甘えたこと言ってんの。居場所なんて自分で作りなさい」
いつも以上に呆れた顔を、メイリアさんが僕に向けて言い切った。
嫌ならお金を稼いで出て行けばと、なんとも簡単に言ってくれる。
「でも、あの家は僕が継がないといけないんでしょう?」
黙ったままの、本来の跡継ぎである兄を見上げながら呟いていく。
メイリアさんという妻と幸せになっている兄は、こんなに自由が許されているのに。
兄の代わりに僕があの家に縛られることになるなんて、やっぱり理不尽すぎるじゃないか。
「……本当に自由なら、国の外でもどこへでも簡単に行けるわ」
「え?」
「『でもでも』うるさい。家を捨てられない坊ちゃんが文句だけは一丁前に言うんじゃない」
馬鹿じゃないのと吐き捨てたメイリアさんは、兄の手を取ったらさっさと門扉を閉めていった。
「泣き虫はとっとと帰りなさい」
「ちょっ」
兄は自由じゃないという意味が知りたくて手を伸ばしたら、しっしと容赦なく振り払われた。
そうして今日も目の前で門扉が閉められ、鍵の掛かった音が響く。
ガチャン
……ここでまた泣いても、今度こそ門を開けてはくれないだろう。
家を捨ててもいいという選択肢があることを知って、少しだけ心が軽くなった気がした。
国の外でもどこにでも、僕は行っていいんだから。
暖かくなったら甥か姪に贈る品物を持って、きちんと自分の言葉で挨拶に来よう。こうして愚痴を言いに来るだけで、ちゃんと挨拶をしていなかったことを思い出した。
それでももしかしたら拳の代わりに、足が飛んでくるのかもしれないけれど。




