十六話:冬のとある日
今度こそ、わたしの妊娠が決定した。以上。
「いやいやいや、奥様!もっとこう、なんかあるでしょうっ」
「掃除はしないようにお願いします」
だからなんだと雑巾を握りしめ、普段通りに家事をしようとするわたしに。
ユイシィは他の感想はないんかいと突っ込んで、リュードは青い顔で雑巾を取り上げた。
「掃除をするくらいに動くのは、もう少し落ち着いてからがいいんじゃないですか?」
「でも、別な意味で太ったら大変じゃん」
このくらいなら、今までもしていたんだし。
外に出ることが禁止されているわたしは、畑仕事も何もすることがない。
だから掃除くらいはさせてくれと言っても、こういう時のメイドで執事だと頑固なやり取りが続いている。
少しは動かないと、産みにくくなるっていうのに。
「庭園の雪囲いも済ませましたから、私は庭に出る必要がありません。これからは執事でいますので、奥様は大人しく座っていてください」
「そうですよ。そもそも少しくらい放っておいても、畑は相変わらずだったじゃないですか」
わたしの妊娠がわかってから、家中がバタバタとし過ぎて手入れを忘れてしまっていて。
三日くらい放置していたのに、野菜たちはピンピンしているという謎の状況だった。
「あれって、食べても大丈夫なのかなあ?」
「味も見た目も問題はないですから、大丈夫ですよ」
ちょうど採寸のときに国王様がいたから訊いてみたけれど、かえって不思議野菜に興味を持たれて質問攻めにあった。
色々と詳しい状況を訊きたがるから期待したのに……。
今まで畑を見たことも、そんな報告を受けたこともないからわからないという答えしか返ってこなかった。
「チィッ、使えねえ」
「奥様、しいっ!」
お腹を指差して、こういうところから子供は聴いているんだからと。
前よりもわたしの言葉の悪さを逐一窘めてくる。
まあ、その気持ちはわかるけど。
脂肪でたるんでいるんじゃなくて、張りのあるお腹をさすりながら。
全然まだ動かないから実感は沸かないけれど、ちゃんといるんだなってこれでも意識はするようになったんだよ。
「風邪を引いて倒れて、月のものがズレたことも気付かなかった原因でしょうか」
「義弟が増えたことによるストレスもあると思う」
「ですね」
やっぱり次は塩の塊をぶつけようと、ユイシィが外を睨んでいった。
頼もしくて助かるね。
掃除の様子が気になるならと、リュードが持ってきた椅子に座って。
どこの場所が終わっていないかと言いながら、廊下の端から二人の動きを見ていく。
うーん、わたしも動きたい。
掃除が十分すぎるくらいに終わったら、今度は暖炉のある部屋に押しこめられる。
一応、湯たんぽみたいなのと一緒だったから暖かかったんだけど。こうして全体が暖かい部屋はやっぱり違うな。
紅茶もダメだと言われたわたしは、もっぱらハーブティーを飲むしかない。
美味しいけれど、味の変化があんまりなくてコーヒーが飲みたくて仕方がない。
仕方なくデザートで味の変化をつけながら、今まで通りの食生活だと確実に太るよなあとお腹をじっと見つめる。
シュトレリウスにも訊いてみようかな。でもアイツ、わたしの胸が変化したことにも気付かなかったみたいだしなあ。
デザートからやめようか、それとも食事を控えるかと考えこむわたしの目の前に、ユイシィが抱えてきた紙の束をテーブルに置いていく。
そうして何かを思い出したように首を傾げた。
「ファウム家からって、特になんの連絡もありませんよね?」
「知らないんじゃない?」
今日は何キロカロリー摂取したんだろうかと、切実に計算中だというのに。
暇なら今までの赤ちゃん服のカタログを見ていろと次々と積んでいった。
これも役に立つ日が来るとは、春には全然考えられなかったことだなあ。
ついでに父親が置いて行った名前一覧の紙も取り出して、一体いま何人分なんだろうと数えてみることにする。
決してこのままだと太るという計算が弾き出されたからではない。
魔法使い用の長い名前も、あれからいくつか足したからだ。
健全な数字を見て心を落ち着かせよう、うん。
……毎食のデザートはやめないとかあ。ちぇ。
気を取り直して1、2……と名前を数え出すわたしに、暖炉の薪を確認していたリュードが火かき棒を脇に置いて視線を向けてきた。
「あれから坊ちゃんは来ていませんし、私がファウム家に行くことはありません。この家について話す人がいないなら、聞く人もいないでしょう」
「じゃあ、やっぱり知らないんでしょうか?」
「奥様のお父様と同じく、国王様とお茶をする仲とは聞いておりますが……」
うーんと考えこむリュードに、秋服のカタログをひっくり返していたユイシィが見上げて尋ねる。
ちょっと濁した口調から、国王様の性格なら言わないだろうと思っているのかも。
「とにかく自分を楽しませることが好きな方みたいですからな」
「面倒くせえジジイだな」
「奥様、しいっ!」
それはつまり、わたしたちの子供で遊ぶ気満々てことじゃないか。
まあファウム家とシュトレリウスのことは色々と聞いているだろうから、意地悪な気持ちもあるかもしれないけど。
「絶対に実の親よりも先に知れたことをネタにしそう」
「しますな」
「そういうところは王女様も似ていますよね」
今回家に来たことで、噂の国王様と王女様について知ったユイシィが、そっくりすぎると首を振っている。
イタズラ好きなところは似なくていい。もうちょっといいところなら、問題はないのに。
「でも、話す義理はないもんね」
「ありませんな」
「変態弟にも話しません」
来たら追い返そうと、改めて三人で勝手に決めたら。
シュトレリウスが帰ってくるまで、この膨大な資料たちを少しでもまとめておこうと視線を戻すことにする。
「多いぃぃ……」
「きっと、これからも増えますよ」
「もういらん!」
産まれてからも何かと色々持ってきそうだから、今のうちに落ち着けと言っておこう。
「そうそう。あんまり一人目に贈りすぎると、二人目からが大変ですからね」
「……まだ一人目も産まれてないんですけど」
うんうんと頷いたユイシィが、贈り物は控えめでいいと賛成してくれる。
それはいいけど、妙なことを付け加えるんじゃない。
「おかえりなさいませ、シュトレリ」
「何をしている!?」
「ウス様……って、え?」
いつものように玄関扉を開けて出迎えるわたしを見つけて、シュトレリウスがローブ越しでもとっても驚いていることがわかる。
慌ててわたしを抱えたと思ったら、走るように寝室に向かって行った。
顔色でも悪かったのかと額に手のひらを当てる様子に、もっと勘違いしたらしい。
「熱が出たのか!?」
「出てません」
「ベッドから降りるなと言っただろう」
「……動かないと太りますし、産みにくくなるとも言ったではありませんか」
呆れた溜息を吐くわたしに、過保護な言葉を言い放つシュトレリウス。
おい、無視するんじゃない。
そのまま無言で急いで、けれどとっても丁寧に大股で歩いて寝室の扉を開けていく。
ベッドにわたしを置いて布団を被せて、さらに自分の真っ黒いローブを掛けて頭を撫でる。
わたしがベッドに収まった姿を見て、やっとシュトレリウスもホッとしたみたい。
……そんなに不安なの?
「心配なのはわかりますけど、お母様も言っていたではありませんか」
妊娠がハッキリわかってから、シュトレリウスの過保護は日に日にひどくなった。
今も言った、寝室から出ないでベッドからも降りるなと、わたしがちょっとでも動くことを禁止している。
過保護になるかなあと思ったけれど、まさかここまでとは思わなかったよ。
「家の中くらい、動いてもいいでしょう?」
「動いて何かあったらどうする」
「動かないほうが病気とかになりやすくなるって言ってんだろうがっ」
これも最近では毎日のようにしている、やり取りの一つだ。
風邪を引いたわたしに付き添うために連日休んだシュトレリウスは、その間休みナシだったデーゲンシェルムの代わりに王女様の教育その他諸々を引き受けている。
魔法を使うことはそんなになくて、寿命が縮むような仕事ではないことは安心だけど。
それでもわたしの一大事に仕事に行かなくちゃいけなくて、ものすっごく不満らしい。
「今のうちにお仕事を頑張ったら、新年の前後はゆっくり休めるという約束のはずです。それに産まれる秋頃は嵐が来たりする時期なのに、休めるようにしてくれているんでしょう?」
「デーゲンシェルムを専用の部屋に縛り付けておけばいい」
「別なモノにも目覚めそうなことはしないでください」
今ですら何が弱点かサッパリわからない、鉄壁の変態だというのに。
これ以上、厄介な性格になったら……。
絶対に、気持ち悪くて顔を見るたびに殴りそうだ。っていうか殴る。
「城から出さないようにする」
「この家に来ないようにするだけでいいですよ」
あっちにも帰る家があるのにと突っ込んでも、どうせ結婚したら城に住むのだからと譲らない。
王女様はまだ十歳じゃないか。お前は何年後の話をしているんだ。
「……そろそろ夕食をいただきませんか」
「運んでくる」
「病人でもないのにベッドの上で食べたくありません」
拒否するわたしに、それでも渋い顔をしているシュトレリウス。
今からそんなんでどうすんの。
付き返したローブを被ったシュトレリウスは、わたしを絶対に床に下ろさないことに決めたらしい。
寝室のベッドの上から、食堂の椅子の上に。
椅子から抱えたら廊下を歩いて、今度は浴室まで抱えたまま入る気らしい。
「服は自分で脱ぎますし、身体も自分で洗いますっ」
抱えたままボタンに手を掛けるシュトレリウスの、腕ごとつかんで断固拒否する。
おい、きょとんとした顔をするな。いつも脱がせているのにとか思ってんじゃないだろうな。
頬をつねって下ろしてもらって、やっと床に足を着く。
それでもわたしのお腹を見て、オロオロしているシュトレリウスは少し落ち着かんか。
「不安なことはわかりますけど、わたしも初めてなんですからね?」
「……すまん」
一番不安なのはわたしだと言ったら、ちょっとしょんぼりしながら小さく謝っていく。
ローブを被ったままだから、なんだか大型の黒犬が項垂れているみたいだ。ちょっとだけ背伸びをして頭を撫でて、そのままぎゅっとする。
「落ち着きましたか?」
「少し」
ローブの中にはまだしょんぼりとしている顔があって、眠っているときと同じ、いつもの釣り目が垂れ目になっていた。
何その顔、かわいいんだけど。
昨夜はかわいすぎるシュトレリウスをぎゅっとできて、今日のわたしもご機嫌だ。
できればあの目元は似て欲しいなあと思いながら見送って、まだ小さいお腹を撫でていく。
「こういう時、お客様が頻繁に来るような家じゃなくてよかったですよね」
「家のことだけしていればいいからね」
それでも今日も家事一切をやらせてくれない執事とメイドによって、わたしはまた暖炉で暖められた部屋に押しこめられた。
「太ったらどうすんの」
「ウロウロされて、廊下の途中とかで倒れられるほうが困ります」
それでも今日は朝から天気がいいと、畑の様子を見ることは許可してくれた。
たまには外の空気も吸わないとね。
「……」
「雪に飛びこまないでくださいね、奥様?」
「し、しないし!?」
辺り一面が真っ白く、日の光で反射しているふかふかな雪を、じいっと見つめてしまった理由に気が付いたらしい。
思わず一歩下がって構えたわたしに、冷静に素早くリュードが突っ込む。
しないし、全然。そんなこと、思ってもいないんだから。……ちぇ。
わたしが倒れても運べるからと、畑に付き添っているのはリュードだ。
ユイシィはその間、家の中のやり残した部屋の掃除をしているらしい。いいなあ。
「昼だけですけど、厨房には立っているじゃないですか」
「だってローブの刺繍も縫っちゃったから、やることがないんだもん」
「それこそ名前とか服とか、産まれてから必要になる物でも考えておいてください」
「はーい」
こればかりは兄弟がいない自分にはわからないからと、リストアップしておいてくれれば自分が買いに行ってくると言われてしまった。
そうは言っても、なんかお高い店から買いこみそうで頼むのが怖いんだよね。
赤ちゃんは頻繁に着替えるから、汚れてもいい服でって言っても却下しそうだしなあ。
「この家に来てから、シュトレリウスが来ていた服は残っているの?」
「すべてありますよ」
でもこれは五歳くらいからの話だからと、産まれたばかりの赤ちゃんには意味がなかった。
大きくなったら着せてあげよう。きっと上等な服なんだろうし。
……そうすると、最初は男の子がいいのかな。女の子も、きっとかわいいと思うんだけどな。
無事に産まれて元気であれば、どっちでもいいけれど。
ぐるっと畑を見ながら歩き回って、昼食を摂ったら昼寝して。
そんな感じに、本当に久しぶりにのんびりと毎日を過ごしていく。
「行ってらっしゃいませ、シュトレリウス様」
「行ってきます」
雪も深まって、わたしのお腹もそこそこ目立つくらいに大きくなって。
玄関扉から見送るわたしに、今日は早く帰ると頭を撫でていった。
「じゃあ、帰ってきたら誕生日をお祝いしましょう」
「わかった」
ケーキはお酒をちょっとだけ入れた、洋梨がたっぷりのタルト。
お肉と魚をメインに、スープも今から仕込んでいるという気合いの入れようだ。
「クリスマスとまとめて、みたいなものですからね。豪華でいいんですよ」
今日は絶対に遠慮をしろと、ついてこないようにデーゲンシェルムたちにも伝えてもらったし。
シュトレリウスには帰りに、前に話していた二人のプレゼントを買ってきてもらわないとね。
「せっかくなら飾り付けもしましょうか」
「赤と緑ですか、それとも白と赤?」
「金もいるかな?」
なんかどっかで聞いた会話っぽいけれど、クリスマスなんだからいいってことにしよう。
とにかく豪華にしようと食堂を飾り付けて、食事の用意もデザートも張り切った。
プレゼントはデザートと一緒に、暖炉のある部屋でみんなで開けるんだ。
行ったばかりだけど、準備を始めてとってもワクワクしてきたから。
……早く帰ってこないかな。