六話:見知らぬ変態
とりあえず義両親はぶん殴ることが決まったので、一発で倒せるように特訓しとこう。よし。
「いやいやいや、なんでそうなるんです!?」
パンッと右の拳を左手で受け止めているわたしに、ユイシィが「お風呂に入ってイチャついていたのでは?」と、鍋の蓋を振り回しながら慌てている。
ついでに「そうじゃねえ」と突っ込んでもくる。忙しいな。
「この家に放置している時点で、いつか殴ろうとは思ってたし」
「奥様にとってのお義父様は、一応ファウム家の現ご当主様なんですからね?」
「そんなの関係ないね」
いくらわたしの結婚で、実家が路頭に迷うことがなくなったと言っても。
それはそれなんだから、殴るって言ったら殴る。
「はー……。奥様は旦那様が好きすぎですね」
「なんでそうなる!?」
義理の両親をぶっ飛ばす計画を立てていたはずなのに、鍋の火を調節しながらユイシィがおかしなことを呟いていく。
思わずジャガイモをむいていた手が滑ったじゃないか。ギリギリセーフ。
「もう旦那様は独立したんですから、普通なら無視でいいじゃないですか」
「あ、そうか」
そもそもウチの父親が連れてきて以来、義父も来てないもんな。
これはシュトレリウスが家に掛けた魔法の影響で、辿り着けるかわからないからってことだったけど。
「なんかたぶんですけど、すでに旦那様には許可されていないんじゃないですか?」
「……そんな気がしてきた」
スープの味を見ながら呟くユイシィの言葉に、わたしも卵を溶きながら頷いていく。
ちっとも来ないのは弾かれているから辿り着かないのではとは、真理のような言葉だね。
うん、じゃあ無視でいいか。
「でもたぶん、っていうか絶対。次に見かけたらぶん殴るな」
「それは常識の範囲内でしてください」
どこかのパーティでやらかしたら、さすがにメンツの問題になるだろう。
それでも呑気なウチの父ちゃんは、「いいんじゃない?」とか言いそうだけど。
「国王様とお茶をしたり、喧嘩するくらいのお父様ですものね。そちらもたぶんですけど、もらえるものはもらって無視しそうな気がします」
「だろうね」
でも、いつでも殴れるように特訓だけはしておこうか。
いざ殴れる場面が来たのに、殴れなかったらムカつくし。
「あ、顔はダメですからね?」
「そこは大丈夫」
目立つところにはしないと言って、メイドと頷くわたし。よし、完璧な計画だ。
ついでに今日のオムレツの形、最高じゃない!?
「……なんの話をしとるんですか」
暖炉をもっと使おうかと、薪の用意をしていたリュードが呆れた顔で厨房に入ってくる。
「リュードこそ殴りたくない?」
「巻き込まないでください」
シュトレリウスに迷惑が掛かるからと言って、今日も執事は冷静だ。
そりゃそうか。
「じゃあわたしが代わりに二十年分、ぶん殴っとくよ」
「ソレはよろしくお願いします」
なんだ、本当は殴りたいんじゃん。
爽やかな朝には不似合いな、物騒な話はひとまず置いといて。
シュトレリウスにふわふわな卵は苦手だと言われたけど、トマトと一緒に克服したらしいから。
「今日はオムレツです」
「わかった」
春野菜が入ったオムレツを冬に食べるのは、やっぱり妙ではあるけれど。
美味しいからいいかということで、今日もたっぷりと入れてみた。
「味はどうですか?」
「美味いが?」
そういえば、食べる前後の挨拶ばかり注意して、味は大丈夫なのかは訊いたことがなかったな。
なんだかんだ言っても結婚してから残したこと、一回もないもんね。
でも絶対にお城の料理人の作った料理のほうが美味しいと思うんだけど。
シュトレリウスの舌は意外と庶民寄りなんだろうか。
「今日はお弁当はいらないんですよね?」
「ああ。昼には戻れる」
「わかりました」
それじゃあ、お昼は何にしようかな。
そろそろシュトレリウスの誕生日だから、フルコースの練習でもしようか。
「誕生日ケーキは何が良いですか?」
「……」
あ、ものすっごく迷ってるみたいな顔。
「気になっている店があるなら買ってきますよ」
「いや、作ったほうがいい」
「そう、ですか……」
こういう時くらい、お店のケーキを頼んでもいいのに。
でもそもそも外で買い物もしないなら、どこが美味しいかなんてわからないか。
「何、ユイシィ?」
「なんでもありません」
買ってくるんじゃなくて、わたしが作ったほうがいいっていう言葉に。
なんだか妙に照れてしまったら、とってもニヤニヤした視線を後ろから感じて振り返る。
なんだ、その顔は。
ついでとばかりに親指を立てるんじゃない。それは一体なんの合図だ。
「いただきます」と「ごちそうさまでした」の挨拶と同じくらい。
「行ってきます」と「行ってらっしゃい」が当たり前になった冬の朝。
春からすると進歩したなあと思う反面、もっと他の人とも話せればいいのにと思ってくる。
そうなったら弟妹に感じたように、わたしはきっと拗ねる気がするけれど。
「買い物に行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、奥様」
お昼はテリーヌを作ってみよう。
ついでにデザートは、お酒の入ったブランデーケーキにしてみようか。
「いや、お城に持っていくっていうので、かなり作ったな」
あれはパウンドケーキの改良バージョンだったけど。
せっかくの誕生日なら、もっと違うケーキのほうがいいよね。
「洋梨のタルトとか?それよりも定番のイチゴのショートケーキがいいかな」
今までしていなかったってリュードが言っていたから、余計に今年は張り切ろう。
「……って、買い過ぎたか」
しまった。
色々試そうと買い過ぎた。袋から溢れそうな勢いだし、なんなら一番上の洋梨が落ちそうだ。
「あっ」
「おっと」
慌てて袋を押さえたけれど、すでに丸っこい洋梨は手から零れて落ちていった。
その手前で見事にキャッチされて、潰れなかったのはありがたい。……セーフ。
「ありがとうございます」
「いいえ、間に合って良かったです」
デーゲンシェルムとはちょっと違うけど、爽やかな笑顔が似合う好青年が拾って律儀に袋の中に入れてくれた。
歳も同じくらいなのかな。背はこっちのほうが低いけど。
周りというと、まぶしい外見ばかりだから。
手入れはされていて艶はあっても、茶色の髪は安心するな。
ニコリと微笑まれたので微笑み返して、けれど長居は無用とばかりに立ち去ろうとしたら。
「メイリアさん、ですよね?……シュトレリウス・ヴァン・ファウムの妻の」
「あ?」
いま、聞き捨てならない言葉が出たぞ。
果物を拾ってくれた人だけど、親切な人ではなくて最大限に警戒が必要なヤツらしい。
振り返りついでに下から睨んで、誰に声を掛けているんだと尋ねておく。
「お城で一緒にいたところも見ましたし、先日は街で買い物をされていましたよね?」
「誰だ、てめぇ」
結婚していることは公表していないはずなのに、とても当たり前なことのように話していく。
お城に行ったときも街に出たときも、身内以外は見えにくい魔法を掛けたと言っていたのに、こいつには見えていたってこと?
睨み続けるわたしには、軽く肩を竦めるだけで。
「挨拶に行こうと思っていたので、ちょうどいいです。その荷物では大変でしょう?送りますよ」
「いらん」
ついてくるなと言い切って、とっとと家に帰ることにしよう。
そうだ、それがいい。
どうせ家まではついてこれないんだから。
「おかえりなさい、奥様。……どうかしましたか?」
「変態に会った」
「え、また!?」
髪の艶に洋梨を拾った指先から見れば、かなりイイトコのお坊ちゃんみたいだけど。
名乗りもしないで人のことをズケズケと言ってくるだけのヤツなんて、変態で十分だ。
「奥様は変態の遭遇率、高くありません?」
「ウチに来る気だったから、来れたらユイシィも会ってたよ」
「いりません」
わたしが買った食材をエプロンに抱えたユイシィが、そんなヤツには会いたくないとキッパリと断言する。そりゃそうだ。わたしだって御免だね。
「でも先日のお出掛けも、特定の人にしか見えないようにしたんでしたよね?」
「うん」
魔法は使うなと言った先から、自分と一緒に出掛けるからって広範囲の魔法を勝手に掛けやがって。
そのおかげか、父親はいまのところお城でも特に絡まれていないって言ってたけど。
「でも奥様がお城で旦那様と話していたのは見えていたんですよね?」
「相手が誰かまでは見えない魔法みたい」
「蜃気楼みたいですねえ」
その魔法の詠唱は、とんでもなく複雑で長ったらしくて面倒くさいのだと、後でデーゲンシェルムに教えてもらった。
そんな面倒くさい魔法を使うのに、魔力はどのくらい必要なんだろう。
「無詠唱だからこそ、息をするように使っちゃうんでしょうか」
厨房のテーブルに買った品物を並べながら、ポツリと呟いたユイシィの言葉通りなんだろうな。
いつも馬車に乗るときだって、わたしの頭を撫でながら酔わないようにと魔法を使っていたんだろうし。
「あ、でもさっきの変態は家までは来れなかったみたいですよ?」
チラチラと後ろを振り返りながら、馬車の音を確認していたらしい。
窓からも門の辺りを見て、家に近付く不審な馬車はいないと言っていく。
「それなら良かった」
「旦那様にも話しておかないと」
今日の話を聞いたら、なんかもっと強固な魔法を掛けそうだけど。
さすがに物騒だから厳重にしておかないといけないか。
「おかえりなさいませ、シュトレリウス様」
「ただいま」
お昼の支度が終わってしばらくしたら、いつもの馬車が近付いてきた。
今日はデーゲンシェルムは乗っていないようで、シュトレリウス一人で帰ってきたみたい。
「何かあったのか?」
「街で変態に絡まれただけです」
「城にいたはずだが……」
変態と言えばデーゲンシェルムだけしか思い浮かばないのか。
まあ、その気持ちはわかるけれども。
「そっちじゃありませんよ。一般人の変態です。……わたしをシュトレリウス様の妻だと言って、家にまでついて来ようとしていたんです」
「何だと!?」
思い出しても気持ちが悪い。
ちょっと唇を尖らせながら伝えたら、ローブ越しでもものすごい剣幕になっていることがわかる。
「途中でまけたみたいで、家まではついてこれませんでした」
「そうか……」
誕生日に贈ってもらったネックレスをつかみながら、睨むように見つめている。
しばらくしたら離したけれど、もしかしなくとも別なネックレスみたいな効果のある魔法を掛けたんだろうか。
「いま、何かしました?」
「……」
ローブ越しでだってわかるって、何度言ったらわかるんだ。
ちょっと気まずそうに、視線を逸らしたことに気付いたんだからね。
だからもっと近付いて、ローブをはぎ取ってじろっと睨む。
「いま、何かしましたか?」
「……していない」
「嘘つけゴルァ」
思いっ切り目を泳がせながら、嘘をつくんじゃない、嘘を。
シュトレリウスの両頬を思いっ切りつねって、何をしたのか吐かせてやる。
「勝手に魔法を使うなって言ったでしょ!?」
「もっと気付かれにくくする魔法を掛けただけだ」
「そんなセキュリティはいらんわ!」
自分の身くらい自分で守ると言い張って、門の前で説教してやる。
「ん?」
なんか視線を感じると思ったら、ちっとも動いていなかった馬車の影から御者が覗いていた。
「何してんです?」
「はっ。すみません、奥様。出るタイミングを逃したらちょうどローブが外されたので」
「見るな!」
しっしと追い返して、ローブの中身は簡単に見せんと被せ直す。
おい、ガッカリするんじゃない。オッサンの顔が見たいとは、お前も変態か。
睨みつけたまま馬車を見送ったら、腕の中で苦しそうな声が聴こえてきた。
あ、ローブごと頭を抱えていたのを忘れてた。
頭二つ分くらい身長差があるから、わたしに抱えられたらキツイ体勢になってたよね。
「すみません」
「いや、いい」
ちょっと乱れた髪は直して、手を繋いで家に入ろうか。
「でも魔法は勝手に使わないでくださいよ」
「……」
「返事は?」
「…………わかった」
わかってねえな、こいつ。