十二話:家族というもの
わたしから、ぎゅっとした昨夜。
朝になって起きても、シュトレリウスは潜りこんで眠ったままだった。
「あいたた……」
頭を抱えるように眠ったからか、腕が痺れて肩が痛い。
一晩中、同じ体勢で眠っていたせいなのかも。身体全体が固まっているみたいにあちこち痛い。
少しずつほぐして動かして、それでも眠ったままのシュトレリウスを見て。
わたしと布団に守られているように眠る姿は、春の頃の、ローブにだけ包まって眠っていたことを思い出す。
あれは、わたしがベッドのど真ん中で眠っていたからってこともあるだろうけど。
この家に住みだしてわたしと結婚するまでの二十年近く、ああやって一人で暗い夜を過ごしていた名残りなんだろうか。
「すー……すー……」
小さく聴こえる寝息に、少しだけ垂れ目になる目元に。
安心しきった表情なことに、ちょっとだけホッとするけれど。
「もっと早く会えてたら、こんなに長く一人じゃなかったかもね」
シュトレリウスが魔法使いだって知っても、ローブの中身を見たときだって。
他の人みたいに遠巻きにしたり、視線を合わせようともしないことなんて絶対にないのに。
嵐は一晩で去ったのか、今日も窓から入る日の光に輝く銀色の髪を撫でながら。
今からじゃなくて、もっと小さい昔から一緒にいれたらよかったのにと思いながら抱き締めた。
「今日は少し遅くなると思う」
「そうなんですか?」
日課になっているお弁当を受け取りながら、朝食のときには言わなかった帰りの時間を告げていく。
お弁当を持っていない片方の手は、いつものようにわたしの頭を撫でている。
「嵐の次の日は結界に影響が残ることがある。そちらの補修作業と事後処理は、早急にしなければならない」
「なんだか大変そうですね」
こういう時、国を守っているっていうのは本当なんだなあって思う。
だって普段はそんなこと、ちっとも思い浮かべないもんね。そもそもどうやって守られているのかも、普通は知らない人ばかりだろう。
訊いていいものかわからないから、わたしもいまだに知らないし。
「夕食もいるようなら、お弁当にして持って行きますけど」
「その時は早めに馬車を寄越す」
「わかりました。行ってらっしゃいませ、シュトレリウス様」
「行ってきます」
頭を撫でていた手のひらを離し、顎に指を添えたら額に軽く触れていく。
たった、それだけなんだけど。
いつもよりも近くないのに、いつもよりも心臓の音がうるさくて困る。
離れる前にもう一回だけ軽く頭を撫でて、やっと馬車に乗りこんでいくシュトレリウスのローブを思わずつかんでしまった。
「メイリア?」
「え?……あ、す、すみません。行ってらっしゃいませ」
「ああ」
すぐに手を離したけれど、どうしてそんな行動を取ったのかわからない。
昨夜はいつもよりも近くにいた気がしたから、……離れたくなくなったのかも。
「なるべく早く帰る」
「……はい」
ちょっと困った顔のシュトレリウスが、わたしの手のひらをぎゅって握って、早く帰ると言っていく。
それだけなのにホッとして、やっぱり離れたくないなって気持ちが湧いてくる。
「??」
近付くと恥ずかしいのに、離れると寂しくて。
もっと近付いて欲しいのに、近付き過ぎると逃げたくなるの。
それでも遠ざかる馬車に、今すぐ戻ってほしいと思ってしまう。
……この気持ちを、なんて呼べばいいんだろう?
「昨夜の嵐は、かなりひどかったみたいですね」
「本当に。午前中いっぱいやっているのに、全然終わらない」
うねるような風だったからか、小枝や葉っぱが飛んで庭が滅茶苦茶になってしまって。
野菜の上の囲いは飛ばされなかったけれど、嵐の後の惨状に、わたしたちは後片付けに追われていた。
「はあ……。今日がお弁当の日で良かったかも。一緒に作っておいて正解だわ」
「ええ、これから昼食を作る体力はありません」
「秋薔薇がかなり絡まっていたんで、蔓を解くための時間が相当かかりそうですわ」
はーっと大きい溜息を三人で吐いて、シュトレリウスのお弁当と一緒に詰めた昼食を庭でいただいていく。
汗だくでホコリまみれだからと、家の中にはキリの良いところまで入れない。
スープはないけど水筒代わりのヤカンにいれた、冷たい紅茶をみんなで飲んだらホッと一息ついて肩の力が抜けていった。
「デーゲンシェルム様には、テーブルも椅子もないところでどうやって食べるのかと言われたんだけど、二人は平気なの?」
さすがに雨も降った次の日の地面に、直接は座れない。
それでも庭のお茶用のテーブルセットじゃなくて、壁の補修に並べていたブロックを椅子代わりにして、膝の上にお弁当を広げて食べている。
目の前は大草原じゃなくて、嵐で散々になった庭だけれど。
なんだかピクニックみたいだなあと思ったら、いまさらながらに気になってきた。
「それはこっちの台詞です、奥様」
「ちょっと遠い山に山菜取りに行ったときはこんな感じだから、わたしは気にならないんだけど」
「山菜ですか、いいですなあ」
「もうすぐ実家から届くと思うよ」
天ぷらが美味しいんだよねとリュードと話していたら、ユイシィは独特の苦みが微妙で好きじゃないと呟いた。
そういえば、シュトレリウスは何が苦手なんだろう?
挨拶もしなかった春でも、出した物はなんでも残さずに食べてくれたんだよね。
王女様にはとっても珍しいことだと言われていたけど、もしかしなくとも苦手な物を言い出せなかっただけかもしれない。
「旦那様の苦手な物ですか?うーん……。昔から食が細かったですから、彩りと栄養のバランスは考えましたけど。今のように毎日話すことも最近ですからな」
「そうなんだ」
シュトレリウスと一緒にこの家に住み込むことになった、庭師で執事なリュードに尋ねたら、わからないということしかわからなかった。
「ただいま」
「え、シュトレリウス様!?」
予想よりもかなり早く、夕食の支度をしている最中にシュトレリウスがお城から帰ってきた。
「お帰りなさいませ。またお城に戻るのですか?」
「いや、思っていたよりも修復作業が必要なかっただけだ」
「それは良かったですね」
もしかしたら夕食用のお弁当もいるかもしれないと、早めに切り上げて厨房で準備をしていたんだけど。
それでもいつもよりも疲れているシュトレリウスだったから、急いでお風呂を沸かして早めの夕食にした。
「ああいう姿を見ると、身を削って魔法を使っているということがわかりますね」
「うん……」
今の国王様も魔法使いだけど、歴代の王様よりも長生きしてる。
本人も一番末っ子の王女様の子供を見るまで死ねないって言っているくらいだから、そんなに普段は考えないんだけれど。
最近は遠出をしたときにも、わたしが酔わないようにと支えてくれていたけれど。
もしかしたら、ずっと魔法を使ってくれていたりしたのかな。
「すぐに眠れるように、消化にいい夕食のほうがいいかな?」
「それほどお歳ではないんですから、ここはガッツリ肉でしょう!」
最初の予定通り、甘辛いタレに絡めた蒸し豚にしようと塩と胡椒を振っていった。
朝から庭の片付けで疲れたから、それでもいいか。
っていうか、今までの食事は年齢の割に粗食すぎたかもしれない。
これも後で訊いてみるか。
夕食を作る前にお風呂には入ったけど、もう一回、軽く入ってから寝室に戻ったら、すでにシュトレリウスがベッドの上で横になっていた。
「寝てる?」
布団が掛かっていないということは、ちょっと横になっているだけのつもりだったのかな。
今日もサラサラの髪の毛は、部屋の端にある小さい灯りに反射して不思議な色合いになっている。
銀というよりは金に見えて、どっちにしても魔法使いの色ってことになるんだな。
起こさないようにと縁に座って、いつものように髪を撫でたら腕をつかまれて引き寄せられる。
「ひゃっ!?」
ウトウトしていただけなのか、わたしが触れたから起きたのかわからないけど。
いつもとは逆に、シュトレリウスの上にわたしが乗っている状況のほうがわからんな。
「どうした?」
「え?」
「朝から様子がおかしかっただろう」
わたしをぎゅっと抱えたまま、シュトレリウスが小さく尋ねてくる。
朝からって、わたしがローブをつかんだからかな。
「……ちょっと、わからなくなっただけです」
シュトレリウスに関しても、わたしは知らないことだらけで。
夫婦になろうと思っているのも本当の気持ちなのに、何かが邪魔をしてそれ以上は近付けない。
こうして触れていることも嬉しいのに、今すぐにでも離れたいくらいに恥ずかしくて。
でもやっぱり離れて欲しくなくて、もっと近付きたいのにこれ以上どうすればいいのかわからない。
ぎゅっと服をつかんで、腕の中に埋まるわたしに。
逆にシュトレリウスの腕が緩んで、戸惑っているような気配がしてきた。
「それは」
「だって、もっと近付きたいのに、食べ物の好き嫌いも知らないし」
シュトレリウスが先に口を開いたけれど、何か言う前にまくしたてるように言っていく。
さっきよりも戸惑っているみたいだけど、気付かないふりをして、顔が見えない今のうちに全部言ってやることにする。
「リュードも知らないって言っていましたけど、嫌いな食べ物ってありますか?」
「……トマトだ」
「え?」
ものすごく躊躇いながら、戸惑いながらも。わたしの質問にシュトレリウスが律儀に小さく呟いていく。
「え、でも二か月くらい朝食に出していたスクランブルエッグ、一度も残していませんでしたよね?」
サラダにも入れていたし、なんならソースにも使っていた。
わが家の定番中の定番な野菜の代表が、まさかシュトレリウスは嫌いだったなんて。
「柔らかい卵も苦手だった」
「うぇっ!?」
それじゃあ、とてつもない嫌がらせをしていると思われていたってこと?
「嫌いだとは誰も知らないし、数か月の間、毎日出ていたものだろう?メイリアの好物だと思っていたんだが、違うのか?」
「あ、れは……。あの頃はむしゃくしゃしていたので、卵に八つ当たりをしてできたメニューです」
「八つ当たり……」
だって挨拶しないし、ローブは取らないから目は合わせないし。
「何より毎晩、書斎から出てこなかったではないですか。新妻を放って夜遊びに出掛けているか、わたしが眠るまで出てこないように無視しているのかと思っていたんですよ」
「……仕事だ」
「今は知っています。今は」
「すまん」
それにしても、自分の嫌いな食べ物を組み合わせて毎朝出す妻と、そんな妻を無視する夫だとお互いが思っていたたとは。
これじゃあ義父のことを言えないな。
わたしたちだって言わな過ぎて、全然伝わっていないしすれ違っている。
今は違うけど、それでもやっぱり、よくわからない気持ちが残ったままだ。
「そんなことを考えていて、朝は様子がおかしかったのか?」
なんだかちょっと肩の力を抜いたシュトレリウスが、わたしの髪をいじりながら訊いてくる。
「いいえ、違います。昨日から、いえ、もっと前からモヤモヤしていて……」
なんて言ったら伝わるんだろう。
自分でもわからないのに、どうしようと口ごもったら
『前とは違うってことは、あいつが好きになったのか?』
「あ……」
「メイリア?」
この前の弟との会話が浮かんできて、同時にストンと、わたしの真ん中に落ちてきた。
「メイリア、どうした?」
シュトレリウスの上に乗ったままだけど、起き上がって紫色の瞳と目を合わせたら。
何かに気が付いたのか、シュトレリウスも起き上がって、わたしの両頬を包んで顔を近付けた。
額がコツンと当たって、とっても近い距離に。
今では自分の顔よりも見慣れた、いつも見ている人が目の前にいる。
「わたし、シュトレリウス様が好きなんです」
「は?」
思っていたこととは全然違ったからか、いつもは細い瞳を大きく見開かせて、とっても驚いたという顔で固まってしまった。
「シュトレリウス様にも、わたしが好きだなって思ってもらいたいんです」
「……」
「それからその……、か、家族になりたいんです」
結婚したのに、半年以上も一緒に暮らしているのに、とってもいまさらなことだろうけど。
「誰でもいい訳じゃなくて、わたしはシュトレリウス様と家族になりたいんです」
前世だって、結婚前に手を繋ぐ以上のこともあることは知っていたけれど。
そもそも友人すらいなかったくらいの箱入りだったんだから、きちんと気持ちを伝えないと踏ん切りがつかない。
我ながら面倒な女だとは思うけど、初めてなんだから仕方がないってことにする。
「シュトレリウス様?」
「どうだ、言ってやったぞ」と腕を組んで睨むように見上げているわたしに、なんだかちょっと、いやかなり妙な表情を無言で向けてくるシュトレリウス。
何か変なことでも言ったかな。それとも、こいつ本当に面倒くせ―なって思われているのかもと考えたら、全然違う答えが返ってきた。
「……知らなかったのか?」
「え?」
わたしが何を知らないって言うんだろう。
それでも首を傾げるわたしに、今度は呆れたようななんとも言えない顔をする。
「好きでもない女を傍に置くはずがないだろう」
「へっ!?」
い、い、今、なんて言った?
初めて聞いた言葉に戸惑うわたしに今度こそ呆れた溜息を吐いて、初対面の時のように頬をつまんでさらに顔を潰すように、ぐにぐにとしていく。
「はひほふふほへふは」
「知らないメイリアが悪い」
フンッと呆れた顔で言っていくけど、今まで言葉にしたことがないんだから気付かなくても仕方がないじゃないか。
ムッと睨むわたしの唇にちょっとだけ触れたら、今度は面白そうに微笑んでいく。
「許可はいらないのだろう?」
「……この野郎」
普段は目つきが悪いくせに、こういう時と眠っている時は垂れ目に見えるとはどういうことだ。
一通り撫でまわしてから手を離したシュトレリウスに、今度はわたしから近付いていく。
「わたしが触れても良いのですか?」
「……許可がいるのか?」
静かに見つめる紫色の瞳を見返して、いつもとは逆にシュトレリウスの両頬を包むように触れていく。
「好きです、シュトレリウス」
わたしが伸ばした手をつかんで、瞳が合ったら微笑んで。
ずっとこれからも隣りを一緒に歩いて行きたい、たった一人の人。
この人に逢うために、わたしは生まれ変わったのかも、なんて。
……シュトレリウスも同じ気持ちだったら嬉しいんだけれど。
誰も触れていない秘密の場所に、誰も触れられない、奥のもっと奥の場所まで。
わたしの初めては、全部シュトレリウスが良いから。
確かめるようにお互いに触れながら、やっとわたしたちは夫婦になった。




