十三話:手のひら越しの口づけ
王女様と変態……デーゲンシェルムが婚約者同士だと知ったお茶会は、よくわからないまま終わりを告げた。
わたしは全力で無視する方向で、聞かなかったことにした。脇にでも置いておこうっと。
「そうそう。この前はお父様とお茶会ができなかったでしょう?三日後くらいにまた来れないかしら?」
「国王様とですか?」
「……」
お茶会が終わったら真っ先にこちらへ向かってきたシュトレリウスを見上げたら、ローブの中の紫色の瞳が困惑している。
そんなに変な人じゃないと思いたいのに、今のところ変態としか会ってないからそんな顔をされると不安なんだけど……。
「もちろんシュトレリウスも参加するのよ?」
「……」
あ、もっと嫌そうな顔になった。
わたしだけ参加するのもビッミョウな顔をするのに、自分は行きたくないとはどういうことだ。
「国王様と言ったらシュトレリウス様の上司みたいなものでしょう?挨拶くらいはしておきたいです」
「……わかった」
国の王様をつかまえて「職場の上司」呼ばわりはどうかと思うけど。そんなくらいの認識しかないから仕方がない。
「では次は何味を持ってきてもらおうかしら」
「へ?」
ふんふんと楽しそうに歌いながら何を言ってるんだ、王女様よ。
首を傾げたわたしに、招待状を渡したデーゲンシェルムも怪訝な顔をした。
「言いませんでしたっけ。メイリアさんが話してくれたパウンドケーキの種類が多いから、三種類ずつ作って持ってきてもらおうかって国王様とも話して決まったんですよ」
「聞いてねぇよ。つか勝手に決めんな?」
「あだだだだ……新しい攻め方ですね!」
爽やかな笑顔で無茶振りかますデーゲンシェルムの顔面を思いっきりつかんで絞めたら、親指を立てて「顔を攻められるのは初めてです!」と喜びに蒼い瞳を輝かせやがる。
「飛び蹴りを二回ほど顔面にした気がするけど」
ついでにお皿も投げたな。
「ああ、そうでした。私としたことが貴重な体験を忘れてしまっていました」
そのあとに往復ビンタをしたから記憶が飛んでるのかもしれないけど、しっかり覚えていやがった変態は今日も輝かしい笑顔でゾクゾクと身体を震わせて興奮していた。……気持ち悪い。
「顔を蹴ったの?」
「あ……」
婚約者と知らなかったとはいえ、一応貴重な白金の髪を持つ魔法使い相手にやり過ぎたかなと思ったら、張本人がイイ笑顔で報告をしていく。
「そうなんですよ、それも二回も!何かのタイミングを私が邪魔したからみたいなんですけどね」
「タイミング?」
「っ」
「……」
思い出してつまったわたしたちに、じいいっと見つめる三人分の視線が痛い。
思わず近くにあったローブの中に隠れるけれど、先に中にいた相手と目が合ってしまって固まった。
「……」
「……」
「ふぅん?何かのタイミングをデーゲンシェルムが邪魔しちゃったのね?」
「そうなんですよ。教えてくれないんですけどね」
「あらあ、ダメじゃないの」
「でもなんの邪魔をしてしまったのか、教えてくれないことには謝れませんよ」
「それもそうねえ。……なんのタイミングを邪魔してしまったのかしら?」
「……」
「……」
いまさら「なんでもない」と言っても遅いから、そのままローブに隠れたまま無言で部屋から出ることにする。
……気まずい。
「あら、無視されちゃった」
「違いますよ、リュレイラ様。イチャイチャしているんです」
「そうね、イチャイチャしているわね。じゃあお邪魔なわたくしたちはここで別れましょうか」
「そうですね」
どうしようかとオロオロしていたフェイナは少しズラして帰ることになり、わたしとシュトレリウスは先に馬車に向かった。……同じローブに包まれながら。意味がわからん。
「おや、フェイナは一緒ではなかったのですか?」
「あれ、デュラーさん」
さすがに馬車に乗るまでローブの中ってわけにはいかないからと、扉の手前で出たら焦げ茶の髪を一つにまとめたデュラー家の当主に声を掛けられた。
「もう少ししたら来ると思いますよ。わたしたちは先に帰ることになっただけです」
お茶会自体は終わったと言ったら、少しだけ安堵したような小さい息を吐いた。魔法使いだらけだから、何かあったのかと思ったのかな?
「ひゃっ」
階段を降りながら馬車が止めてある場所へ向かうわたしに普通の会話をしてくるベリウスに、そのままさっきのお茶会の様子でも話そうと近付いたらシュトレリウスに腕を思いっきり引っ張られた。
「近付くな」
「攫ったりしませんよ。先日もきちんと目の前で確認したでしょう?」
両手を挙げて穏やかに話すベリウスの瞳は、今日は口調と同じく落ち着いている。ギラつくようなねっとりとした、最初に見たあの視線はなんだったんだってくらい普通だ。
「……帰るぞ、メイリア」
「わっ……ええと。さようなら、デュラーさん」
シュトレリウスに捕まれていないほうの手でバイバイと振ったら、にこやかに手を振り返してくれた。
こうして見ると普通のお父さん、なんだけどな。でも娘がまだ十四歳なら、シュトレリウスとのほうが歳が近かったりするんだろうか。
「お帰りなさいませ。旦那様、奥様」
「……」
「ただいま、ユイシィ」
馬車の中でも手は捕まれたままで、家に帰っても離すことはない。
「シュトレリウス様、手!」
「……」
「離して」という言葉も無視して、そのままわたしを引っ張るように寝室に向かっていく。
扉を閉めたらやっと離してくれたけど、代わりに全身を捕まれてしまった。
「……」
「……」
「……痛いです、シュトレリウス様」
「……」
背中を叩いてちょっと離れてと言ったら、もっときつく抱き締められてしまった。
声が聞こえる魔導具を返したから不安だったのかな?でもそんな変な話はしていな……いや、したな。聞かれなくて良かった、うん。
「お茶会で話した内容は……その、婚約者の話とかだけですよ?」
フェイナはこれからって言ってたけど、王女様とデーゲンシェルムのことならシュトレリウスも知ってるはずだもんね。
その話ならできるからと言っただけなのに、勢いよく離れてなぜかわたしに詰め寄ってきた。
「……いたのか?」
「え?」
よく会う二人のことだから、てっきり知っていると思ったんだけど。それにアッサリと話していた様子からも、隠しているわけでもなさそうなのに。
……あれ、でも知らなかったらそれはそれで気まずいな。だってシュトレリウスには話していないってことになるし。
「知らなかったのですか?」
「知っていたら了承しなかった」
「ん?」
王女様とデーゲンシェルムの婚約の話をしていたはずなのに、もしかしなくとも別な人と勘違いしてる?
「婚約者の話って、リュレイラ様とデーゲンシェルム様のことですよ?」
「は?」
今までなんだかとっても苦しそうな顔をしていたのに、誰のことか話したらポカンとした顔でシュトレリウスが固まってしまった。
もしかしなくとも本当に知らなかったんだろうか。それなら悪いことをしたなと見上げたら、いつかみたいに赤くなっているシュトレリウスがいた。
「誰かと勘違いしたのですか?」
「……」
「シュトレリウス様?」
「……」
ねえねえとローブを引っ張って見上げたら、思いっきり顔を逸らして逃げようとしたから腕をつかんで引き留めてやる。
このまま書斎になんて籠らせないぞと睨んだら、逆に腰を引き寄せられて思いっきり顔が近付いた。
「ひゃっ!?」
なんだか最近、この距離まで近付くことに抵抗がなくなっている気がする。その先にはちっともいかないんだけど、それ以上来られても困るから額がつくくらいで精一杯だ。
「んっ」
紫色の瞳が見つめていたと思ったら、長くて使い込まれている指が唇をなぞっていく。
そのまま顎に添えられて上を向けられたら、とっても近い距離にシュトレリウスがいた。
「あまり無防備になるな」
「っ」
顎に添えられた指が唇に触れて、その上から静かに唇を重ねられてしまった。
わたしの唇にはシュトレリウスの手のひらがあるから直接触れてはいないのに。
それだけで、わたしは腰が抜けそうなくらいに真っ赤になって固まってしまう。
よろけるわたしの頭を軽く撫でたら、ローブを被り直して書斎へ行ってしまったけれど。
小さく微笑んだ横顔は、さっきのお茶会でデーゲンシェルムを婚約者だと話した王女様と同じ顔だった。
「……くそぅ、からかわれてる」
わたしに婚約者がいたのかと勘違いをしていた時はシュトレリウスが真っ赤になったくせに、指が触れるだけで固まるわたしを面白そうに見つめるんだから。
初対面でも面白いものを見つけた子供みたいな表情をしていたけれど、今はもっと意地悪な顔だ。
「……ムカつく」
絶対にそれ以上、触れないのは自分みたいな魔法使いを増やしたくないからじゃなくて、わたしがそれ以上近付くのを躊躇っていると気付いているからだ。
手を繋ぐのも慣れなくて、なのにぎゅっとしてもらうと安心して。
触れられるだけで固まるのに、いいって言うまで頭を撫でてほしいだなんて。
……自分がこんなにわがままで臆病だなんてこと、初めて知った。