後編
最終話です。
運命の月曜日、いつも通り出社して、礼二さんが来るのを待った。
「お、おはようございます、長野課長。」
「ああ、おはよう。」
礼二さんはそっけなく言うと、席に行ってしまった。いつもだったら笑顔を向けてくれたのに。小さな声で仕事が終わった後の予定を話してくれたりするのに。
ああ、やっぱり。こっちの世界で私と礼二さんの接点はなかったんだ。涙がにじんで、慌ててトイレへ駆け込んだ。
その日は何とか仕事をこなして、早々に帰宅した。礼二さんとの二人の約束なんて、向こうの世界だけでのことだったんだから。翌日、あまり寝られず、寝不足のまま仕事に向かった。今日も昨日と同じペースで機械的に仕事をしていると、昼休みになった。あまり食欲もないし、このまま仕事を続けてしまおう。誰もいなくなった部屋でパソコンに向かうと、礼二さんが外回りから帰ってきた。
ああ、おにぎりを持っていたら、同じ奇跡を起こせたのかな。そんなありえないことを考えながら、礼二さんから目線をそらし、またパソコンの画面に向かって仕事を始めた。すると、コトンと横から音がしたので、驚いて顔を上げると、礼二さんが困った顔で立っていた。その手にはお弁当。これがさっき机に置かれた音だったのか。
「ごめん。本当にごめん。謝るから、許してくれないか?」
へ?何が?何を?許す?いきなり礼二さんに言われた言葉は私には理解できなかった。
「あんな噂になってるなんて知らなくて。和香が怒るのも当たり前だよな。それなのに、俺は勝手に一人で拗ねてて・・。」
さっぱりわからない。え、どうしよう。でも、礼二さんが私を和香って呼んでくれてる。こっちの世界でも名前で呼び合う仲にはなれたんだろうか。
「和香。頼む、俺と口をきいて」
「礼二さん?」
「和香!!許してくれるのか?これ、弁当作って来たんだ。昨日食べてないみたいだったから、心配で。今日も食べてないよな?」
「お弁当・・開けてもいい?」
「ああ。もちろん。」
お弁当を開けると、そこには私の好きなものや、嫌いだったけど、礼二さんの味付けなら食べられるものが、彩り豊かに入っていた。栄養バランスまで考えてくれたらしい。まるであっちの世界の続きにいるみたい。そう思ったら、自然と言葉が口から出ていた。
「好き。礼二さんが大好き。」
「え!?ほ、本当?和香、俺と結婚してくれるの?」
「うん。礼二さんとだったら」
「やった!!」
お一人様届、取り下げてもいいよ、ってあっちの世界では言うつもりだった。こっちでだって同じ。私はガッツポーズをしてる礼二さんに微笑んだ。
テンションが上がったのが恥ずかしかったらしい。礼二さんはコホン、と咳をすると仕切り直す。お昼を食べながら礼二さんの質問に答えることになった。いきなり謝られたことに関係するんだろうか。私もこちらの世界で起きていた出来事をそれとなく確認したい。
「あのさ、和香は聞いただろ?その、俺が他の女性と二人で食事してたって話。岩沢さんって違う課の人で、俺が、その人にプロポーズしたとか言う噂。」
「え?そんな噂になってたの?」
「知らなかったのか!?」
だって、確か、更衣室では二人きりで食事に行ったから脈アリで彼女が告白するとか言ってたのに、こっちではそんな話になってたなんて。ああ、でも噂って拡張されていくみたいだからなあ。
「あの、二人で食事に行ったっていう話だけは知ってたけど。」
「もしかして、それで嫉妬して怒ってたのか?」
礼二さんは嬉しそうな顔をするけど、私は全然嬉しくないんだけど。ちょっとむすっとした顔になってしまったらしい。礼二さんが苦笑いして謝ってくれた。
「ああ、ごめん、俺は嫉妬してくれたことが嬉しかったけど、和香は嫌だったよな。彼女と二人で食事することになったのは本当なんだ。だけど、一緒に行ったわけじゃない。俺が一人で店に入ったら、彼女が急に後ろから現れて、店員が二人連れだと思って同じテーブルに通されちゃったんだ。」
お店は混んでいて、相手は同じ会社で話したことのある人だし、一緒ではないですとは言いにくかったらしい。それは、礼二さんは悪くないね。店員さんもしょうがない?確実に岩沢さんが狙って仕掛けたことだと思うけど、まさか、礼二さん、ストーカーされてるんじゃ。
「礼二さん、それってストーカーされてたってこと!?」
「いや、たまたまだったらしい。一人だった俺を見かけて無理やり一緒に食事して、噂を立てて俺と和香の仲を引き裂こうとしたんだってさ。」
とてもさわやかな笑顔で礼二さんはそう言うけど、ものすごく怒ってるんだね。怒りの感情がひしひしと伝わってくる。何でそんな岩沢さんの側の気持ちを知っているのかと思ったら、噂を聞いて問い詰めたらしい。もう二度と俺達には関わらないと思うよって、笑顔で言う礼二さんに、何か彼女にしたの?と聞く勇気はなかった。
「でも珍しいね、礼二さんが一人でお店に行くってあんまり聞いたことないんだけど。」
そう言うと、礼二さんはさっきまでの怒りのオーラを一瞬で消して、少し顔をそらした。あれ?礼二さんの顔、赤くなってる?覗き込んだ私に、礼二さんは恥ずかしそうに言った。
「和香が好きなメニュー、あるかなと思って。」
そう言えば、いつも礼二さんは私好みのお店に連れてってくれた。料理が好きだから、お店の発見も得意なのかなと思ってたんだけど、リサーチしてくれてたのか。嬉しくて笑うと、礼二さんはその話は断ち切りたかったみたいで、話を元に戻してきた。
「じゃあ和香は、和香じゃない女性と二人で食事に行ったことを怒ってただけ?」
「ううん、そもそも怒ってないよ。その話は聞いたけど、多分、何か理由があったんだろうなって思ったし、礼二さんにちゃんと聞こうと思ってたよ。」
「じゃあ、何で電話にも出てくれないし、メールだって返してくれなかったんだ?昨日だって一緒に過ごす約束だったじゃないか。」
「あ。そうだった。あのね、昨日は礼二さんが、ええと、怒ってたみたいだったから?私のことを嫌いになったのかなと思って。」
本当は、礼二さんとの接点が、こっちの世界ではなかったんだと思い込んでしまったから。
「嫌いになんかなるもんか。でも、ごめんな。俺の自分勝手な感情で、天音を不安にさせちゃったな。」
「ううん。私も自分から礼二さんに話しかけられなかったし。あと、携帯なんだけど。」
あまりのショックで携帯が壊れたの忘れてた。昨日も普通に家に帰っちゃったから、携帯は壊れたまま。
「壊れちゃったの。間違って踏んじゃって、真っ二つに割れて・・えへ。」
「はあ!?いつ壊れたの?」
「日曜日。」
「じゃあ、俺が出張に行ってる時は壊れてなかったんだよね?」
「うん。壊れてはなかったけど・・」
「なかったけど?」
「・・充電は切れてたかなぁ。アハハ。」
「はぁ。和香はあんまり携帯使ってなかったみたいだけど、俺、出張中に和香から連絡来なくて、結構堪えたんだよ。」
「え?連絡する約束とかしてなかったよね?」
「でも、それでも、和香の声が聞きたかったんだ。電話が駄目でもメールくらい、くれるかなとか期待してた。だって、それまでずっと普通に夜は電話してただろ。」
「うん。でも、仕事の邪魔になるかなと思って。」
なんだ、電話しても良かったのか。迷惑じゃなかったのか。だったら
「だったら我慢しないで電話すれば良かったな。」
「和香、我慢してたの?あー、もう可愛いなあ。」
「か、可愛くはないです。」
声に出てしまったか。恥ずかしい。顔が熱い。
「今日は一緒に帰ろうな。ご両親に土産買って来てあるんだ。大丈夫、ちゃんと3人とも食べられるものだよ。・・・あー、職場なのが辛い。でも、今抱きしめたら止まれないしなあ・・」
うちの家族の好き嫌いを把握して、お土産買ってきてくれた礼二さんの心遣いに申し訳なく思う。きっと色々とうちのNGに困りながら選んでくれたんだろう。ん?あれ、まだ何か礼二さん言ってた?小声でよくわかんなかったんだけど、聞き逃しちゃったけど大丈夫かな?
「それで、急で申し訳ないんだけど、ご両親に結婚の許可をもらっていいかな。和香と親しくなれたのは、あの、6月におにぎりを分けてもらってからだけど、それより前から俺は和香が好きだったんだ。」
「へ?」
あのおにぎりの件、こっちの世界でもあったの?それに、6月より前に礼二さんが私を好きだった!?ビックリして間抜けな声しか出せなかった私に、礼二さんは畳みかけてきた。
「昨日、約束してた場所に和香は来なくて、連絡も取れなくて、まるで、6月からの出来事がなかったみたいな錯覚に陥ったよ。凄く落ち込んだ。だから、今度こんなことがないように、和香のご両親を味方につけたいんだ。そうすれば例え和香と喧嘩をしちゃったとしても、お母さんかお父さんから和香の状況は教えてもらえるだろ?」
おかしくない?私の両親が礼二さんの味方とか。ちょっと礼二さんと私が喧嘩をしてしまったと想像する・・・あれ?両親が『和香、礼二君に謝りなさい(よ)。』って言ってるのしか想像できない。すでに両親は礼二さん側だったのか。
「それに、結婚してればこんなすれ違いだってなかっただろうし。なるべく早く和香と結婚したい。」
真剣な顔でそう言う礼二さんに、私は反対する気持ちなんてなかった。なんか礼二さんの言う通りな気がするし。下手に遠慮しちゃってこうなっちゃったわけだし。
「ああ、でも和香の声が聞けないのは辛いから、携帯ショップに寄ってから帰ろう。今日残業ないし。俺とおそろいのスマホを買おうな。」
「す、すまほ・・・使える気がしない。益々壊す予感しかしない。」
「大丈夫。俺も壊れにくいスマホに変えたばっかりだから。手取り足取り教えてあげる。」
「うーん・・・よろしくお願いします。」
**********
礼二さんと一緒に家に帰った私は、両親に礼二さんと付き合うことになったと報告した。
「ええ?付き合ってなかったの?そりゃ、結婚の話も出ないはずよねえ。」
「だけど、礼二君、娘はもらってくれるんだろ?」
「はい!!必ず和香さんを幸せにします。ですから結婚の許可をいただきに」
「あーいい、いい。礼二君の人柄は知ってるし、娘を幸せにしてくれることも疑ってないよ。礼二君がうちに来た時から息子になるんだと思ってたしね。」
「そうそう。うちの子をもらってくれるだけで有難いわあ。それに、美味しい物も礼二君がいれば食べられるものねえ。」
結局それ?なるほど、胃袋を掴れてるってのはこういう事なんだね。そして母が、にこにこと、聞いてきた。
「結婚式はいつにするつもり?」
私と礼二さんは二人で顔を見合わせてクスリと笑った。
「「6月以外で」」
拙いお話にお付き合いいただき、ありがとうございました。