銀狼、死の天使にまみえる。(バトル有り)
人間は視覚による地図に頼るが、狼は嗅覚の地図に頼る。
脳に刻み込んで作る嗅覚の地図は、羊皮紙に刻み込まれた地図よりも雄弁だ。
嗅ぎなれたはずの臭いが、過去を思い出させることがある。
大海に浮かぶ難破船のような記憶を呼び起こしたものは、火薬の臭いだった。
初めて嗅いだ火薬の臭いは、両親が殺されたときのものだ。
まだ、乳離れしてすぐの頃だ。
吊り眼の女が、異様な彫り物を施した銃によって、命を奪った。
気付いた時には、俺は吊り眼の女に抱っこされていた。
俺が子どもだったからだ。
俺は、俺の両親を殺した女に育てられた。
最初は猫という奇妙な生き物が面倒を見てくれた。
名はルナといった……。
体格の差が、俺たちの間にまもなく溝を作ったが、狩りの方法を教えてくれた。
吊り眼の女の傍らには色んな人間がいた。
この世界の人間ではなかったが、悲しみを吹き飛ばすように日常を過ごしていた。
日常は戦場だった。
失意のうちに病死したものや、自殺したものもいた。
「常在戦場」と吊り眼の女――美玲は何度も呟いていた。
転機は突然だった。
美玲の親友がいなくなった。
名はセイラ……美しい女性だった。
魔王に浚われたと聞いた。
彼女は聖女だ。
清浄で、誠実で、正邪の区別がつく女だった。
最初に銃を握ったのは、美玲。
次に剣を握ったのは、ウィルだ。
あとの連中は、魔王への復讐で動いた。
俺たちは上手に人を殺した。
殺して、殺して、殺して、最終的にセイラも殺した。
美玲は抜け殻になり、腑抜けになった。
魔弾の射手は死者同然となった。
だが、美鈴は戦争孤児を義理の娘として育てた。
これこそ、魔弾の射手を引き継ぐのに相応しい人物だった。
俺は頭を下げた。
俺の存在は魔弾の射手によって肯定される。
魔弾の射手を補佐することが、俺の使命だ。
現実が突然目の前に訪れた。
三度、騙された。
ウィルの臭いが森に充満したので、急いで駆けつけた。
現状、一番危険なのはウィルだ。
川に流されていた枝にウィルの血がついていた。
崖の下からも臭いがしたが、血とガラスが飛散していた。
ウィルの臭いがする狐を捕まえた時、騙されているのに気づいた。
他にも血の臭いをするが、おそらく罠であろう。
俺は諦めて、カルアの臭いを探した。
カルアと美玲は直接顔合わせしたことが無いが、俺はカルアの臭いを僅かだが覚えている。血の濃い匂いが漂ってくる。その血は、熊とカルアのものだった。
熊が血を大量に噴出して死んでいた。
激しい戦闘だったようで、周りの木は倒れて、カルアの両足が投げ捨てたように転がっていた。
部下の狼たちもカルアに挑んだようだが、熊とカルアの最期の馬鹿踊りに巻き込まれて死んだようだ。
俺は狼の死体の首を噛んで、一箇所に集めた。
五頭いた。最後の一頭を運んで、カルアの足を避けて、熊の死体の横を通った。
ぐさっ。
俺は横腹に衝撃を受けた。
いままで受けたことが無い痛みだ。
右を向くと、熊の死体があった。
熊の腹から短刀が突き出してあった。
「とったぁっ!」
熊の腹の傷がぱっかりと開けられて、血塗れのカルアが転がり出てきた。
「遅いんだよ。もう少しで、死ぬところだったろうが」
カルアは両足を固定しているが、血がだらだらと流れ出ている。血塗れの腕が、俺の首を絞めてきたが、血でずるりと滑った。俺はすかさず、手に噛み付いて、指を何本が引き抜いた。
「いてぇだろうが!」
まずい。脳内麻薬が加速度的に溢れている。こういう人間は痛覚が麻痺している。痛みを与えるのではなく、絶対死を与える攻撃をしなければ殺されてしまう。
距離を――。
足がグニャリとしたものを踏んだ。カルアの左足だ。
俺は体勢をわずかに崩した――それは、カルアには十分な時間だった。
「わざわざ、切り落としたが、さすが俺の足だ。最期まで役にたつ!」
カルアが首に抱きついてきて、力を込められた。
酸素が遮断される。
血液が遮断される。
体のさきっぽが死に始める。
「俺がお前を殺すのは、金のためじゃない。もう、俺は死ぬ。金は地獄へは持って行けん」
なら、何故俺を殺す。
「お前には分かるまい。俺がお前を殺す理由を!」
分からない。
「名誉の為だ。七選帝候が魔弾の射手の相棒フェンリル、道徳の欠片もない不名誉の塊の大盗賊のカルアに殺される。お前の墓標に深く刻み込まれるだろう」
名誉の為だと? 人間め、度し難い人間め……。くそ……人間の真似をするんじゃなかった。人間は同種が戦争で死ぬと、遺体を拾ってくる。それは、人間にしかない特殊な考えだと聞いた。俺はそれを真似した。真似が出来れば、人間になれると思った。だが、無理だった。魂は身体の牢獄から逃げることは出来ないのだ。
俺は力を込めて振りほどいた。
カルアは俺の力に抗うことが出来ずに、石に頭を強打した。
「この……」
カルアは呼吸を荒くして、血塗れの片手で短刀を握った。
俺に到達する寸前で、短刀は手から滑り地面を転がった。
「ここまでか……」
カルアは腕を伸ばして、短刀を見つめたまま絶命した。
俺は重傷だった。
首を下手に動かすと、気道と血管が切断しそうだった。
カルアを甘く見ていた。
まさか、熊の体の中に隠れているとは思わなかった。
そして、両足を切断するなんて……俺は人間を甘く見ていたようだ。
人間ほど、殺しが上手い生物はいない。
意識が途絶えそうだ。
それでも、俺は歩く。
魔弾の射手に。
お別れを言わなければ。
カチュアがセイラに良く似た女の子と闘っていた。
形勢は不利だった。
魔弾の射手が負けることは許されないのに――。
俺は弾丸を構わずに歩いた。
カチュアが叫び声をあげた。
可哀想な女の子だ。
常に孤独を感じ、全世界の動物はすべて孤独だと実感することが無かった。
ゆえに孤独の飢餓感が癒えなかった。
俺は魔弾の射手に鼻先をつけた。
魔弾の射手――ザミエルよ。
持ち主を変えながら、よくぞ命を奪い続けた。
俺は貴女にだけ忠誠を誓い、老いてまで貴女へついて行った。
だから――俺を食ってくれ。
可哀想なカチュアに勝利の美酒を味わわせてくれ。
魔弾の射手ザミエルに大きな割れ目が出来、口と歯が生えた。
俺は食われて、死んだ。
次はウィルの話し。




