姫、覚醒する。
私とアスランは尾根を目指した。
道の途中で、おとうさんの秘策を使った。おとうさんから渡されたのは小瓶五つだ。ユイが豚の腸から採取して精製した血液抗凝固薬と、注射器でおとうさんの血を採取して、瓶の中で撹拌した固化しない血液だ。私は小瓶の一つを投げて、杉の幹が血を吸い込んだ。
「ここまで、やる必要あるのかな?」
「やらないより、マシという事だろうね」
フェンリル対策として、おとうさんの臭いをありとあらゆる場所に拡散させた。二つ目の小瓶を崖の下へ投げて、三つ目の小瓶は血を染みこませた枝を小川に流した。四つ目は、おとうさんが仕掛けた罠に掛かった狐に血をかけて逃がした。生きた狐が臭いをばら撒いてくれるだろう。五つ目は念のために残した。
尾根に辿り着き、周囲の確認をしていると遠くで銃声が断続的に聞こえた。カルアたちが魔弾の射手と遭遇したのだろう。案の定、狼たちはカルアの方へ向ったようで姿は確認できなかった。
右手には崖がある。先ほど登ろうとした時に、待ち伏せされていた場所だ。狼と人間の足跡がある。
「おかしい」
「足跡がどうかしたか?」
「カチュア以外の足跡がある……カチュアが言っていた『駆け落ち相手』の足跡かな?」
アスランも足跡の元に膝をついてじっくりと観察した。
「アスランの足跡より浅い……男の体重では無い……」
足跡はカチュアや私の足跡ほどしか沈んでいなかった。
「とりあえず、足跡をつけてみる?」
「そうだね。それしか選択肢は無いか」
沈黙を与える銃声が鳴り響いた。
断続的に遠くで響いていた戦闘音は消えた。
「決着が着いたかな」
「カルアたちが勝ったのかな」
「確認するには会うしかないな」
「止まって。何か音がする」
私の耳に足音が入ってきた。身を屈めて、回転式拳銃を構えた。
足を引き摺り、汗をダラダラと流し、血で服を濡らし、血色の悪いカチュアが山道を登ってきた。
「はあっ……はあっ……」
後ろを振り向き、盾にするように木の陰に隠れて、呼吸を整えていた。
アスランも身を隠して剣を片手に、私を見つめていた。
撃て。と眼が訴えていた。
銃口はカチュアに向けられている。
一撃必殺の距離だ。
手が震えた。
私には引き金を引くことが出来なかった。
アスランは立ち上がり、叢から出てカチュアへと向った。
「久し振りだなぁ。カチュア」
えっ? いま、何て……。
カチュアは顔面蒼白になり、女性の裸体の彫り物がある銃を構えた。
「なぜ……アスランがここに……」
「偶然だ。最悪の同窓会になったな」
カチュアは銃を構えて、アスランの頭部を狙った。アスランはすかさず、木の陰に隠れて屈んだ。
「アスランはカチュアと知り合いなの?」
「ああ、顔を確認するまで信じられなかったが、本当にカチュアだ」
アスランの顔が厳しくなっている。親しみの感情を消そうとする、哀しい殺意に満ちていた。
「どいて。アスランとは戦いたくない」
カチュアは逃げてきた方向をちらりと確認した。
「俺もだ。狼の脅威さえ無くなれば、俺はカチュアには用は無い」
「移動するよ。この山にとどまったのは、狼がたまたま多かったからフェンリルが気に入ったからだ。私たちは逃げなきゃいけない、ここじゃなくてもいいんだ」
「だが、冒険者たちはどうかな?」
カチュアは後ろを見て、辛そうに笑った。
「全員、死んだよ。見てきなよ」
アスランの顔に影が走り、カチュアの銃を睨んだ。
「殺したのか」
「違う。それは、間違いだ。来ているのさ……本物の魔弾の射手が」
アスランは木の陰に隠れていたのがあだになった。
カチュアが銃弾を発射して、樹に打ち込んだ。アスランは脇腹を押えて、根元に倒れた。
「弾によっては木ぐらい貫通できるわ」
「カチュア……痛いだろ」
「ごめんね、アスラン。私はもう……誰も信用できないの」
「カチュア、止めて……」
私がアスランの元へ駆け寄ると、カチュアは銃口を空へ向けた。
「ごめんね、セシル……もう私への、親しみは残っていないでしょ?」
「アスラン、大丈夫」
「駄目だ。意識が……」
アスランの傷口を検めていると、カチュアが私の側にきたのが分かった。アスランは倒れた時に、頭を強打してしまったようで、脇腹と頭から血を流して気を失っていた。
「もう、誰も信用できない」
「やめて」
銃口が私の頭に向けられた。
「セシルは魔弾の射手に私の位置を聞かれて、言わないという保障は無いわ。現に、冒険者たちの道案内をしたでしょ。私が残酷に殺されても良かったんでしょ。ねえ、そうなんでしょ」
「違う……」
私は銃口を睨みつけた。
「この山には抜け道がいくつかあるよ。例えば、尾根の近くに洞窟がある。そこは、しばらく歩くと谷間に出て、隣の山にいくことが出来るの。そこから……逃げればいい」
私は冒険者たちと歩いているうちに、色々と自分の考えをまとめていた。村のために道先案内をしたことはしたけど、カチュアの気持ちも汲んであげたかった。
「それ……本当?」
「うん。間違いないよ」
「……ありがとう、セシル」
「でも、死んで」
火薬の臭いが漂った。
撃たれた。
撃たれたの?
なんで?
なんで?
首飾りが私の胸に、首飾りから伸びた金属が刺さっていた。
私の左手がカチュアの銃身を握り、直角に曲げていた。
銃弾が地面に刺さっている。
「お前が……魔弾の射手?」
「セシル?」
私は銃に力を入れて、カチュアを弾くように突き飛ばした。
「どうした? 何を驚いている?」
「誰だ、お前は!」
私は回転式拳銃を持ち、風車のように回転させて弄んだ。
「まったく……ウィルには困ったもんだ。俺を殺した回転式拳銃を形見として持たせるとは、おかげで力の半分も出やしない。まあ、ガキに穴を開けるのには十分すぎるが」
カチュアは銃身を直そうと木の根の下に銃を突っ込んで、てこの原理で直そうとした。
「俺は、魔王だ。お前は、俺の女を殺そうとした。故に不敬罪、よって死刑、方法は銃殺、過程は酷薄、結果は土くれだ。せめて、楽しませてくれよ」
私は意識が薄れ、眠ってしまった。
※姫は観察力が高い設定。




