第8話「最初の冒険(その2)」
日は暮れ始める。
同胞団と言っても、元々は草の根団体である。当時はその「事務所」も雑多で、無駄に窓口が増えて整理中だったという。
そんな中で選んだのは、小さな事務所だった。選んだ理由は「ここから近い」というものに過ぎない。ハイジが「管理がゆるい所の方が舌を滑らせてくれそう」と付け加える。
彼女が悪の拠点みたいな言い方をしていたから、マフィアのアジトみたいなものを想像していたが、古い木造の小屋だった。梅雨の霧が運んでくる煤も、窓にべったりついていて、ろくに手入れされていない。
「で、どいつをやっつければいいんだ?」
「フリッツ君、ケンカしちゃだめですからね?」
趣旨が分かっていないフリッツを、ヴィルヘルミナ先輩が窘めていると、ドアに顔を突っ込んだハイジが戻ってきて、にんまり笑った。
「お酒飲んで寝てるみたい」
酒を飲んで寝てる? そんな暢気な悪の組織なんてないと思うが。
「入ってみましょ」
「姉さん、さすがにそれはまずいよ、ねえってば」
さっきの義憤はどこへやら、キャルはびくびくとまわりを見回す。
「起きるまで中で待たせてもらうだけよ」
物は言いようである。ハイジはするすると建物の中に入って行く。私はもうどうでもよくなって、彼女に続いた。
船をこぐ会員の横を通って、私たちは事務所に入り込んだ。今更ながらさっきまでの熱を失ったキャルが、帰りたそうにハイジの袖を引っ張るが、彼女は止まらない。
「ふぅん、中は割と普通ね。ブックスさんの部屋を見た後だからかしら」
「もう、ハイジちゃんったら!」
ヴィルヘルミナ先輩もハイジを扱いかねる様子。私はやりとりを無視して、部屋をぶらついてみる。事務所の中は大きな机が置いてあって、そこで痩せた小男の会員がいびきをかいていた。
ポスターや本棚をのぞいてみるが、専門用語が良く分からない。
「なあ、これなんだ?」
大きいゴミ箱のような金属のボックスを見つけて、指をさした。ハイジが爛々とした目で、箱を調べ出す。
「重いわね。中に本が入ってるみたい。『有害図書回収箱』? つまり、子供から本を取り上げてここに入れてるってことよね!? 証拠よ証拠」
ハイジがノートを取り出して何やらメモを始めるが、私たちは既に飽き始めていた。そもそも、事務所を物色して組織の悪事を暴けるはずもない。冷静に考えたら、悪事自体が存在するのだろうか。
「姉さん。そろそろ帰らないと校門が閉まるよ」
「そうだよなぁ。別になんか面白いもんがあるわけでもないし」
退屈そうにテーブルの上を眺めたフリッツは、のどが渇いたのか、そこにあった水差しとコップを取り上げ……。見事に落とした。がしゃんと大きな音がする。
「しーっ! しーっ!」
ハイジが唇に指を当てるが、いくらしーしー言っても出てしまった音は消えない。フリッツはすまなそうに頭を掻いた。しかし図太いもので、事務所の会員はまだ船をこいでいた。
「じゃ、じゃあ帰ろうか」
「何言ってるの。さすがにこれは謝らないと」
そこはちゃんとするつもりらしい。苦笑したヴィルヘルミナ先輩が破片を拾うものがないか探しに行こうとする。それを止めたのは、さっきまで帰りたがっていたキャルだった。
「待って。この床、何かある」
彼の指の先には、落とした水に切れ目が出来た床だった。どこか溝があって、そこに流れ込んでいるらしい。
「空間とかあって、そこに流れ込んでるんじゃないかな?」
「空間? 地下室!」
今度はハイジばかりではなく、フリッツの目まで輝きだす。本当に地下室かは怪しいものだが、子供とはそういうものである。ヴィルヘルミナ先輩が何か言う前に、二人はさっさと隠された取っ手を探し出し、上にあるものを全てどけていた。
ぎりり、と音がして、地下の湿った空気が上がってくる。どうやら地下室は本当にあるらしい。
「なあ、いやな予感するんだけど?」
一応聞いてみたが、二人の目は冒険モードであった。
「そりゃそうよ。私たちは今、真実の近くにいるんだもの!」
「行こうぜ!」
二人はするすると階段を下りて行く。後に続くキャルも、言うんじゃなかったという顔だ。多少罪悪感を感じたので、ヴィルヘルミナ先輩を振り返る。
「待ってます?」
今日何度目かのため息をつき、彼女は静かに言った。
「……行きます」
地下はそれなりに広い倉庫になっていた。
「酒でも入れとくんかな?」
酒は食い物に入らないと、フリッツがつまらなそうに言う。しかし、うちの工場と比べると入り口が小さい。物を運び込むには不便じゃないかと思った。
変な形の棚を見つけて、先に降りたキャルが首をひねっていた。
「ここ、何を入れるんだろう?」
「さあ、棒みたいなもんかな。杖とか、魔法関係じゃねぇのか」
彼はそれに納得せず、手で棚の大きさを測っている。何がそんなに気になるのか、疑問に思う。
「なんかさぁ。連邦軍のカービン銃が、こんな棚に仕舞われてるのを見たことあって」
「カービン銃? それって、武器の銃?」
エンジニアの卵ならではの発想だったが、流石に無いと思った。
「ハイジに毒されすぎだ。こんなところに鉄砲を持ち込んで何するんだよ」
キャルは抗弁せず、それもそうかと自説を引っ込めた。もともと強い根拠があったわけでもないらしい。
「カルロ君、これテーブルの上にあったんだけど」
ヴィルヘルミナ先輩が、カードのようなものを見せてくる。ハイジに聞けばいいのにと思ったが、彼女はそこらのロッカーを嬉々として漁っている。
ああはなりたくないと思いつつ、カードを手に取る。
『コーレン・ポスト 政治部 フーベルト・ユスト 記者ID:hgzo212657』
聞いたことのない名前だったが、「ポスト」と言うからには、雑誌か新聞なのだろう。そして記者IDがあるなら、何処かの記者の身分証明書と言うことになるが、なぜここにそんなものがある?
今まで考えずにいた不安が、コーレンブルグの霧のように背中にまとわりついてきた。ここにいちゃいけない。本能が告げた。
「おい、もう」
振り返ってハイジに告げようとしたとき、フリッツがでかいロッカーを強引に開けるところだった。二人の興奮は最高潮だったが、楽しい冒険はそこで終わりだった。
ロッカーから飛び出して、フリッツを押し倒したのは、宝物でも秘密の指令書でもなかった。白い、肌色の塊。最初は豚かと思った。でも違う。豚は後ろ手に縛られたり、猿轡をはめられたりしない。髪の毛も無ければ、ズボンをはいたりもしない。
この街で、生と死はとりあえずの境界がある。事故死や凍死はたまに出るが、すぐに官憲が回収する。その日まで私は、人の死に体を見たことはなかった。まして暴力に奪い取られた命を見るなど。




