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おさんぽ部ダイアリー 浅川円の内緒事  作者: 黒十二色


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第四十二話 きらりの部屋

本編は前回で終わっています。このさき丘野下きらりを中心に書いています。

 ――楽しみなんかなくていい。喜んでくれるなら、なんだってする。やりたいことがあるなら、なんだって叶える。たとえそれが、とびきり悪い内緒ごとでも。


 そう決意した日のことを思い出しながら、長い黒髪を束ねていたた少女は病室の前に立った。


 個室のプレートには『丘野下燈』と書かれている。


 ノックをしたら返事があったので、引き戸を開けると、ベッドに座るショートカットの女の子がいた。


 おなかに置いた手には、スマホが握られていて、男女がはしゃぐような声が再生されていた。


「きらり。またその動画見てたの?」


「うん。送ってくれてありがとうね、めぐるちゃん」


 池を掃除している光景が延々と流れるだけの動画が、最近のお気に入りのようだった。


 髪に手を伸ばし、豊かな黒い長髪をほどいて広げた浅川めぐるは、やさしい口調で語り掛ける。


「さやか、うまくやってるでしょ?」


 動画を停止させて、ショートカットの丘野下きらりは答える。


「うん。さやかちゃん。がんばってくれてる。本当にうれしい」


「はやく戻ってあげなよ。さやかも無理してるし」


 丘野下きらりは大きく頷いた。


「うん。このままだと、さやかちゃんにとられちゃうから。カノジョとして、ゆるされることじゃないもんね!」


 その言葉をきいたとき、浅川めぐるは片手で頭を抱えた。


「やっぱりかぁ」


「どうしたの?」


 のぞき込むようにたずねた丘野下きらりから目をそらした浅川めぐるは、近くにあった椅子を引っ張って座った。


「ねえ、何なの?」ときらり。


 浅川めぐるは、一つ息を吐いてから語り掛ける。


「落ち着いてきいてね。あいつ、付き合ってるつもり無かったっぽいよ」


 丘野下きらりは、口を半開きにして呆然とした。現実を受け入れられないでいた。目の前の優しい幼馴染が程度の低い冗談を言うとは思えなかった。


 しばらく静かな時間が続いて、きらりは顔に怒りを浮かべた。眉をつりあげて言うのだ。


「だって、あたし告白して、『明日から放課後毎日会おう』って、それって、『君に興味があるよ、付き合おうよ』って意味じゃないの?」


「言いにくいんだけど、保留って感じだったわね」


 きらりは涙目になった。


「うそでしょ! ひどい!」


 浅川めぐるは立ち上がり、彼女の小さな頭を胸に抱いた。


「ほんとひどいやつ。最低。でも大丈夫。応援するからね。まかせて。きらりが戻ってくるまで、さやかで埋めるから。きらりのふりをしたさやかを、あいつから告白させるくらい好きにさせてみせるから。そしたら、何事もなかったように入れ替わって、元気になったきらりから、もう一回、告白、リベンジしよ?」


「うん。でも、さやかちゃんが大道先輩のこと好きになっちゃったらどうしよう……」


 浅川めぐるは鼻で笑った。


「大丈夫。あんな弱っちい男、さやかが好きになるわけないわよ」


「それはちがうよ、めぐるちゃん。弱いんじゃなくて、やさしいんだよ」


「どうかしら。男の趣味悪いなとしか思えないんだけど」


「ひどいよぉ」


 そう言いながら力の弱い両腕で浅川めぐるの胸を押して突き放した丘野下きらりは、ちょうど一年ほど前のことを思い出していた。


「猫をね、助けていたの」


「猫? って、あの猫? キャット?」


「うん。スマホを握りながら走ってた自転車の前に、猫が飛び出してね、あぶないって、あたしが言う前にはもう、自転車のハンドルを握って、ブレーキをかけて無理矢理止めて、バランスを崩しそうになった若い男の人のことも支えてあげてたの」


「そんなに俊敏なやつかね。判断が遅くて、鈍くさいイメージしかないけど」


 きらりは苦笑いした。


「普段はね。たしかにね。でも、スイッチ入ったときはすごいんだよ」


「恋は盲目とかじゃなく?」


「ふつうにかっこよくない? しかも運動神経いいんだよ。大道先輩は」


「その割に、運動部に入ってないでしょ。おさんぽ部とかいう謎の部にいる時点で、ろくでもない男にしか思えない」


「でもあの頃は、運動部だったんだよ」


「何部?」


「うーんとね、サッカー部? 卓球部? 野球部? バスケ部? テニス部?」


「なんで疑問形なのよ」


「そのとき、あたしまだ小学生だもん。通学路ですれちがうだけの人で、学校で何やってたかなんて、わかんないよ。ただね、実はね、毎週ちがう道具持ってたの。そのときは、あたしも変な人かもって思ってた」


「あんたまさか、隣町の私立に行かなかった理由って……」


「めぐるちゃん。それ以上はきかないで。誰にも言わないで。家族にも、さやかちゃんにも言ってないことだから」


「普通にショックなんだけど。私と一緒だから来てくれたのかなと思ってたのに」


「もちろん! めぐるちゃんがいなかったら、決めてなかったよ。でも、ごめん」


「そうまでして追いかけるほどのヤツかね」


「でも好きになっちゃったんだもん」


「私には一生わかんないな。我を忘れるほど人を好きになるとか、その人のために進む道を変えるとか、想像つかない」


 浅川めぐるが髪をはらいながら言うと、丘野下きらりは優しく笑った。


「あたしも、そう思ってたんだよ」


「でもさぁ、要するに猫を助けたのが切っ掛けってことなんでしょ? 不良が猫を助けたってんならまだしも、大道くんてフツーじゃない? クラスで見てても何のとりえもないわよ。覇気を感じないっていうか」


「ちゃんと見てないからでしょ」


「思い切り直視してやったわよ。あいつが目をそらしたから、私の勝ちだったわね」


「めぐるちゃん、野生動物みたいだね」


「なっ」


 いら立ちに任せて立ち上がりかけた浅川めぐるだったが、丘野下きらりが見つめてきたので、そのまま座って話を聴く態勢に戻った。


「中学に入る少し前に、あたしが病気だってことは、わかってた。もしかしたら、その、会えなくなるかもしれないようなものだってことも。やり残したこと無いかなって思ったとき、先輩の顔が思い浮かんだんだ。だから、あたしは、ごめんだけど、めぐるちゃんよりも、親よりも、さやかちゃんよりも、先輩のことが好きなんだなって思ったんだ」


 浅川めぐるは深くうなずいた。


「じゃあ、さっさと治して、せいぜいバカップルにでもなればいいのよ」


「うん。そのつもり。先輩がね、『いつも元気だね』って言ってくれたから、あたしは、先輩の前では、元気じゃないといけないから……」


 浅川めぐるは、丘野下きらりの手を握った。


「きらりのこと、不幸にさせないからね」


「うん、ありがとう、めぐるちゃん」


 屈託なく笑いながら、丘野下きらりは両手を伸ばした。


 浅川めぐるは彼女を抱きしめた。


  ★


 制服を着たショートカットの少女が病室の個室扉を開けると、そこには同じ顔をした人がいた。ベッドに座って、手を振っていた。


「きらりちゃん。ちょっと痩せた?」


「まあね。さやかちゃんは、ちょっと太ったね」


「もう、言わないでよ」


「ごめんごめん。それで、今日はどうだった?」


 丘野下さやかが姉の病室に来たのは、入れ替わりの精度を上げるための情報を得たかったからだ。


 きらりが座るベッドの足元に腰かけた丘野下さやかは、溜息を吐いてから、


「あゆむ先輩と、どういう出会いだったの?」


 きらりは、自分でもやらない呼び方をしている妹に戸惑い、しばらく黙り込み、やがて、


「もしかして、好きになっちゃった?」


 不安そうにつぶやいた。


「ちがうちがう。安心して。ないから。絶対にありえない。きらりちゃんのものをとったりしないよ。怪しまれないために、出会いがどうだったかっていう記憶をすりあわせておかないとでしょ?」


「それは、たしかに」


 きらりは頷き、優しい笑顔を浮かべながら語りだす。


「出会いはね、猫を助けてたんだよ」


 さやかは、不快そうに顔をゆがませた。


「その話は、もうきいたよ。それ、きらりちゃんが、あゆむ先輩を遠くから見てた頃の話でしょ。おさんぽ部とかいう変なとこに入って、接近したんでしょ。どういう感じだったの?」


「単純な話だよ。先輩を追いかけてたら、ギャル先生に見つかって、『好きなの? じゃあ、同じ部に入るといいよ~』とか言われたんだよね」


「それが、おさんぽ部だったと」


「うん。運動部のマネージャーとかできるかなぁとか想像して覚悟してたんだけど、まさかのね、おさんぽサークルだったんだよ。『何で!』って思いっきり首を傾げたくなったよね」


「一緒に活動できたんでしょ。二人きりとかで」


 きらりは首を横に振った。


「驚いたことにね、仮入部の人とかが多くて、五人か六人くらいいたかな。二人きりになったことは一度もなかったの。でも、活動が写真撮って眺めるだけっていう、すごく地味だし、大道先輩もそんなに遠出しないから、すぐに誰も来なくなった。チャンスだと思ったんだけど、その矢先に、あたしは入院が決まって、しばらく学校に行けなくなって、告白だけは、しとかないとなって……。あとは、さやかちゃんのほうが、先輩と一緒にいるから……」


 さやかは、なるほどと頷いた。


「それ、あゆむ先輩の立場だったら、急に告られてビックリするやつかも」


 きらりは笑い声を漏らして、


「してた。挙動不審で、目線が全然合わなかったもん」


「それなら、もう一回、告白のやり直し、しないとね」


「うん。はやく治さないと。うまくいく気がするんだ。検査は、いまいちだったけど」


  ★


 病室をたずねた浅川めぐるは、怒りの言葉を吐き捨てた。


「あいつ、ほんと最悪なんだけど」


「なにかあったの、めぐるちゃん」


 やさしく返した丘野下きらりを見て、すこしだけ毒気が抜けた。


 それでも、やっぱり一人で抱えていられない。「きいてくれる?」と愚痴をぶつけることにした。


「我慢の限界。あいつ、思い通りにならない」


「また大道先輩と喧嘩したの?」


「そうじゃない。喧嘩なんてしたことない」


「えぇ? さやかちゃんからは、いつも喧嘩してるってきいてるよ?」


「ないない。喧嘩なんて、同レベルでしか起きないでしょ? 大道くんと私じゃ比べものにならないんだから、喧嘩になんてなるわけない」


 丘野下きらりは、すこしだけ表情をくもらせたものの、すぐに心を立て直して、目の前に座った浅川めぐるに語りかける。


「そうなんだ。じゃあ誰のこと? あいつって」


「ギャル先生」


「あたしたちに協力してくれてるはずだよね。思い通りにならないって、どうして」


「最悪なことに、大道くんに差出人不明のラブレター出して。差出人さがしをさせようとした」


「なんのために?」


「知らないよ。でも、差出人さがしで、真実に近づく可能性があるでしょ。ギャル先生が疑われたら、ギャル先生がやってる隠蔽に気付かれて、大道くんの目の前にいるきらりが、偽物だって気付くきっかけになるかもしれない」


「気にしすぎじゃないの? ギャル先生のこと気になり出して調べたところで、大道先輩じゃあ何にも気付けないと思うよ」


「そうかもだけど、でも、もう一つ危険なことがあるでしょ、きらり」


「なあに? めぐるちゃん」


「ラブレターの差出人がギャル先生だとわかったときに、大道くんのことだから、ギャル先生のことを好きになっちゃうかもしれない!」


「あっ、それは盲点……。たしかに」


「だから、私が出したことにしといたから」


「え」


 丘野下きらりは、いつもより低い声を出した。


「だめ?」


「どうなのかな。さっきの話の流れからすると、めぐるちゃんが出したことになったら、大道くん、めぐるちゃんのこと好きになっちゃうんじゃ」


「それはむしろ好都合。私がこっぴどく振った後で、きらりがなぐさめればいい」


「なんかやだな、そういうの。もうしないでね」


「あ……」浅川めぐるは視線を泳がせ、俯いて、「わかった。ごめん。もうしないから」


「ギャル先生はさ、ギャルだからさ、あたしたちをからかって遊んでるのかもね。あんまり過剰に反応してると、思うつぼかも」


「遊んでるなんて、そんなわけないでしょう。あの感じは、私たちに意地悪してる女の言動だよ」


「決めつけないほうがいいよ。ギャル先生、やさしい人だよ」


「どこが!」


「めぐるちゃん。病院だよ。しずかに」


  ★


 丘野下さやかは、丘野下きらりになりすましている。


 病室の中に入った丘野下さやかは、きらりでいるときには前髪を横に流し、おでこを見せるような髪型をしている。その前髪をおろしてから、きらりのベッドに座った。


 丘野下きらりは、眠っていた。


 眠ろうとして眠っていたわけではない。その証拠に、きらりの握っていたスマホには、教室での大道あゆむを盗撮した短い動画が、何度も表示されている。


 しかし、さやかが、その動画を閉じようとしたとき、ベッドが揺れ、きらりが目を開いた。


「さやかちゃん」


「起こしちゃった。ごめん、きらりちゃん」


「ほんと、いい夢だったのにな」


「あゆむ先輩の夢でも見てたの?」


「うん。大道先輩だけじゃないよ。さやかちゃんも、めぐるちゃんも出てきた。みんなで電車に乗って、制服でお出かけしてた。ガタンって急に揺れたとき、あたしが転びそうになったところを抱きしめてくれた。力強かった」


「まあ、意外と運動神経いいし、思ってたより身体は強いよね」


「しかもさ、めぐるちゃんから送られてくる動画みたら、また一段と男らしくなってて、かっこいいなって」


「まあね。女の子ひとり抱えても、ぜんぜん重そうにしてなかったし」


「え」


「あ」


「どういうこと? 抱えたって、なあに?」


「あ、あたしじゃなくて、えっと、めぐる先輩が怪我したとき、お姫様だっこされてたんだよ」


 嘘ではない。その出来事は確かにあった。しかし、それ以外にも、さやか自身が暗闇の中で抱えられていたこともあった。うしろめたさに俯きながら、きらりの言葉を待った。


 きらりは明らかに怒っていた。


「めぐるちゃんから、きいてない。そんなの」


「言わないよ。きらりちゃんを傷つけまいとしてるんだよ。ほんとにさ、はやく治したほうがいいよ。めぐる先輩に邪魔されないうちに」


「まさか。邪魔なんてしないよぉ。めぐるちゃんは、あたしと先輩がうまくいくように、考えたうえで行動してるはずだもん」


「どうだか。ギャル先生のこと目の敵にしてるのも、単純に、ギャル先生に嫉妬してるだけかも」


 そこで、きらりは思い出した。浅川めぐるが、ギャル先生について愚痴を吐いていたことを。


「そうだ。さやかちゃん、ギャル先生のことどう思う?」


「どういうこと?」


 さやかは質問の意図がわからずに聞き返した。


「めぐるちゃんがね、ギャル先生が意地悪してくるって言うから」


「ああ、それね。めぐる先輩が腹を立てるのも、わかるよ」


「どうして?」


「だって、ギャル先生、ことあるごとに、きらりちゃんの存在を匂わせてるんだもん」


「えぇ? 味方のはずじゃあ」


「うん。お父さんのほうから学校にも話ついてるはずだし、あたしたちの作戦を遂行するための協力者の一人のはずなんだけど、変なことしてくるんだよね」


「変なこと?」


「ラブレターを下駄箱に仕込んだり、画像を合成してもう一人誰かいるとか言いながらパソコンの画面を指さしたり。それとなく、あたしが偽物だって気付かせようとしてるみたい」


「そうなんだ」


「あたしは嫌いじゃないけどね、ギャル先生。かわいいから」


  ★


 数日後、浅川めぐるがにこやかに病室をたずねたとき、丘野下きらりは挨拶もせずに、開口一番、こう言った。


「お姫様だっこ、してもらったんだって?」


 浅川めぐるは、目を見開いたまま固まった。しばらくして動き出して、


「さやかが言ったの?」


「うん」


「そっか。言い訳はしないよ」


「ひどいよ。何がって、あたしに黙ったり、嘘ついたりして、こっそりそういうことしてるのが、本当にひどい」


「どこまできいたの?」


「どこまでって、足を怪我したときに、運んでもらったっていう話だけだよ。他にも何かあるの?」


「いや、ないけど」


「ほんとに?」


 のぞき込むような姿勢で視線を送ってきて、浅川めぐるは思わず目をそらした。


「ないってば。あいつは、だんだん、きらりのこと好きになってると思うよ。だから安心して」


「でも、目をそらしたよね。何か後ろめたいことあるんじゃないの?」


「あるといえばある。でも、それも策略のうちだから。私を信じて、きらり。さやかにも言ってない作戦とかも、あるんだから」


「わかった。信じる。でも、勝手に抱っこされたのは、本当にずるい。許せないから、一つお願いをきいてもらうからね」


「お願い?」


 丘野下きらりは頷いて、右手を胸に当てて、言うのだ。


「クリスマスイブに、外出してもいいことになったの。大道先輩とデートするから、見守っていてほしい」


「だ、大丈夫なの?」


 心配そうに身を乗り出した浅川めぐるに、丘野下きらりは微笑みを返した。


「大丈夫じゃないかもしれないから、お願いしてるんだよ」


  ★


 二月某日。


 浅川めぐるがいつものように病室に足を踏み入れると、部屋の中は、いつもと違っていた。


 内装やベッド、置いてあるものに違いはない。茶色い髪の女の子が座って手を振っているということにも違いはない。


 ただ、その女の子を一目みて、すぐにそれが、丘野下きらりでないことに気付いた。


「どういうつもり?」


 その一言で、丘野下さやかが自分の成りすましが見破られたのだと分かった。


 大道あゆむ先輩であれば、きっと気付かないことだろう。クリスマスの日に入れ替わりが起きていても気付かなかったくらいだ。しかし、幼馴染ともなれば、二人の見分けは簡単につくらしい。


 丘野下さやかは、浅川めぐるの瞳をじっと見つめながら問いを投げつけた。


「正直に言ってください。あゆむ先輩のこと、どう思ってるんですか?」


 バレンタインチョコレートの一件もあり、二人の仲は気まずくなりかけていた。


 てっきり仲直りするつもりなのかと思っていたのに、罠にかけられているようで、浅川めぐるは警戒心を強め、黙ってみせた。


 さやかは、追いつめるように、もう一度言う。


「いま、きらりちゃんはいませんよ。本当のことを言ってください」


 浅川めぐるはピンときた。これは罠だ。きらりに自分の気持ちを聞かせるための策略だ。


 彼女は布団を勢いよくはぎ取った。そこにはスマホがあり、通話中の画面が表示されていた。


 やはり罠だった、


 浅川めぐるはため息を吐き、腕組をして、ベッドに座る幼馴染を見下ろした。


 さやかは、それでも視線をそらさず、にらみつけるように直視して、答えを待った。


 浅川めぐるは答える。


「いいところもあるのは分かったけど、考え方がまだ子供っぽいし、優柔不断だし、気が利かないし、意気地がないし、デリカシーに欠けるし、頭の回転はおそいし、思い通りに動いてくれないからね。今はフツーにむかついてるし、あいつが仲直りしようとしなかったら、私、一生あいつと口をきかないから」


「そんなふうに思うのは、めぐる先輩が、あゆむ先輩のこと――」


「ない!」


 病院の個室に、よく通る声が響いた。


「本当に?」


「本当。私がきらりのために、できる限りのことをしたいっていう気持ちは一切変わってない。信じてほしい」


 丘野下さやかは、わずかな沈黙の後、頷いた。


「わかった。きらりちゃんのこと、裏切ったらダメだからね」


 わかってもらえたところで、浅川めぐるも反撃に出る。


「さやかこそ、近づきすぎないようにしなさいよね」


 めぐるは、さやかが否定するかと思ったのだが、意外なことに、さやかは居直った。


「演技なんだから、しかたないじゃん」


「時々目に余るわよ。いずれあいつは、きらりのものになるんだから。そのとき、つらいのは自分なんだからね」


  ★


 三月某日。


 病室に入って来た浅川めぐるを見るなり、丘野下きらりは微笑みかけた。


「何かいいことあったの? 機嫌がいいみたいだけど」


「べつに~」


 そう言いながら、浅川めぐるの視線は、ベッドに座る丘野下きらりの手元に向いていた。


 そこには、ヤギのような生き物をかたどった、ぬいぐるみがあった。


 視線に気付いた丘野下きらりは、ぬいぐるみを撫でながら、


「これ? めぐるちゃんが忘れずに運んできてくれたやつだよ。かわいいでしょ?」


「ああ、あのときの」


「うん、クリスマスデートの時のおみやげ。あのときはありがとね。何度も言うけど、夢が叶ったよ」


「夢が叶った……か。あいつも、全く同じこと言ってたわね」


「そうなの? うれしいな」


「そのキャラ、あいつも携帯の待ち受けにしてたわよ」


「わぁ、そうなんだ」


「……たまたま見えただけだから」


 言い訳のようにして放った言葉にも、丘野下きらりは笑顔を崩さなかった。


「いいよ。内緒にしなくても。わかってる」


「わかってるって、何をよ」


「でもね、めぐるちゃん。あたしが戻った後からだからね。フライングはだめだよ?」


「何の話をしているのか、わからないわね」


「嘘だね」


 少し悲しそうに、寂しそうに、丘野下きらりは笑ってみせた。


 浅川めぐるは苦笑いで返した。


 やや静かな時間があって、きらりが口を開く。


「あたしね、手術の日が決まったの」


 めぐるは、口を開いたまま固まって、しばらく動けなかった。


 やがて絞り出すように、


「大丈夫なのよね」


「どうなのかな。成功率とか、教えてくれなかった」


「大丈夫だよね。絶対、大丈夫だよね」


「絶対なんてないよ、めぐるちゃん。成功すれば100パーセント。失敗したら0パーセント。みんな頑張ってくれてるし、あたしも頑張るし」


「なんできらりばっかり、こんな苦しい目にあわなきゃいけないの?」


 その問いに、きらりは答えられなかった。かわりに、願いを口にした。


「あたし、お花見がしたい。本当はだめなんだけど、一日だけ、どうしてもって、外出できる日をね、つくってもらったんだ」


 浅川めぐるは目に涙を溜めながら、決意を込めた表情を見せた。


「わかった。必ず実現する。絶対ぜったい、楽しい時間にするからね!」


 楽しい時間にできれば、きっと、きらりの未来もうまくいく。浅川めぐるは、そんな風に思っていた。


  ★


 造花の花見は散々な結果になった。


 浅川めぐるが急に怒りをあらわにし、暴力寸前までいって、泣いて逃げた。大道あゆむにとっては全くわけがわからないまま、突然の中止となった。


 病室では、謝罪が行われていた。


 浅川めぐるは、病室の床に正座で座り込み、ベッドに座る丘野下きらりを見上げて、許しを乞うていた。


「ごめんなさい」


 丘野下きらりは、浅川めぐるを許さなかった。


「いいじゃん。大道先輩が、別の日の桜の話をしても、本物の桜の話をしても」


「でも、でもさぁ、きらりにはそんな時間がないかもしれないって思ったらさ」


「ひどいよ。気にしすぎて暴走して、台無しにされて、最悪だよ」


「ほんとにごめん。頭に血がのぼっちゃって」


「ていうか、めぐるちゃん、あたしが治らないって決めつけてない? 治って本物の桜を皆で見に行きたいなって、あたしは本気で思ってるのに!」


 それをきいて、浅川めぐるはまた涙がこぼれてきた。


「絶対に治るなんて言えないじゃん。もしかしたら、もう会えないかもって思ったら――」


 そこまで言ったとき、きらりは浅川めぐるの言葉をさえぎるように、


「でもね、大失敗でよかったのかも」


「え?」


 浅川めぐるは声を裏返した。


 丘野下きらりは、落ち着いた声で言う。


「こんな嫌な思い出のまま、終わりたくないからさ、何としても生き残って、本当のお花見をするんだ。はっきりした目標になった。もう死ねない。だから、絶対に大丈夫。めぐるちゃんのために、あたしは生き残る」


「きらり!」


 勢いよく立ち上がり、浅川めぐるは泣きながら幼馴染を抱きしめた。


 きらりは、豊かな黒髪が揺れる頭を抱きながら、涙をこぼした。


  ★


 四月はじめ。


 春のやわらかな日差しが廊下の窓から差し込んできていた。


 場所は病室ではなく、学校だ。部室棟に二人は居た。


 丘野下姉妹は、二人で静かに同好会の部屋を出た。


 姉のきらりは、茶色い髪を整えながら、吹っ切れてすっきりしたような表情を浮かべていた。


 妹のさやかの髪は、茶色い部分が多く、一部が黒かった。数日前、美容室で黒く染めて、きらりの演技をやめようとしたところ、涙が流れてしまった。美容師は慌てふためき、染髪は中断され、中途半端な髪色のまま、泣きながら帰ったのだった。


 涙を袖で拭いながら歩く丘野下さやかにとっては、敗北感よりも罪悪感のほうが強かった。


 入れ替わり。その自分たちの犯罪的な選択のツケがまわってきたのだと考えて、姉も自分もうまくいかなかった原因を、そこに見出そうとしていた。


 一方、きらりのほうは諦めがついていた。


「めぐるちゃんのことだよね。大道先輩の好きな人って」


 きらりが言うと、さやかが深く頷いた。


「あゆむ先輩のこと見てればわかるよ。めぐる先輩、ずるい。『きらりのこと好きにさせる』とか言い張ってたくせに」


「さやかちゃんも、ひとのこと言えないじゃん。あたしの告白の邪魔するなんて、だめだよ」


「ごめん。でも、外できいてて、あゆむ先輩がきらりちゃんの告白を受け入れちゃったらどうしようって、身体が勝手に動いちゃって……」


「わかってるよ。悪気がないのも。ずっと、大道先輩のこと好きだったのも、あたしはお見通しだったよ。でもあのタイミングはさあ、本当にだめだよ。二人まとめてお断りされて、二倍の苦しみは覚悟してなかったよ。病気が再発しそうだった」


「きらりちゃん……こわい冗談やめてよぉ」


 さやかは廊下を歩きながら、泣き続けている。きらりは肩を抱いて、前を向いて進んでいた。


「あたしだって泣きたいのに、さやかちゃんがボロ泣きしてたら、泣くに泣けないじゃん」


 さやかは涙をぬぐいながら、何度もごめんと繰り返していた。


 きらりはどうしたものかと考えて、少しでも励ましになればと思い、優しい声で語り掛ける。


「さやかちゃん。まだわかんないよ。大道先輩がめぐるちゃんのこと好きでも、めぐるちゃんがその気になるとは限らないんだから」


「どう見たって、付き合う二人じゃん」


「そうとは限らない。あたしに気を遣って、付き合わないとか言い出すかも」


「それのほうが、いちばん最悪じゃん」


 さやかの言葉に、きらりは、はっとした。


「本当にそうね。何の慰めにもなってなかったわ。うん。さやかちゃん。あきらめよう」


「やだぁ」


「でもね、さやかちゃん。めぐるちゃんはね、すごく我慢して、あたしのために自分を犠牲にし続けてくれたんだよ。あたしも、めぐるちゃんだったら、先輩とくっついても文句はないなって思ってたんだ」


「でも、あたしはそう思えない。あたしだって、きらりのためにいろいろ頑張ったもん。それに、めぐる先輩は、きらりに内緒で、あゆむ先輩と二人で出かけたりもしてて。めぐる先輩は、きたな――」


 言いかけた口を、きらりが指先でつまんで、ふさいだ。


「ぜんぶ知ってるから、いいよ、さやかちゃん。あたしの身代わりなんて、ひどいことさせちゃって、ごめんね」


 それでしばらく黙り込んだあと、さやかは首を横に振った。


「ううん。きらりとして生きた時間、すごく幸せで、楽しかった」


「そっか」


「むかしより明るくなれたから、友達とも、もっと仲良くなれた。あたし、変われた」


 丘野下きらりは、妹の言葉をきいて、ほっとしたと同時に、妹や幼馴染だけでなく、多方面に迷惑をかけたことも思い出した。


「協力してくれた先生たちとか、親とかにも、申し訳ないな」


「でも、きらりちゃんのためだもん」


「みんなの人生をめちゃくちゃにしたかもしれないって思うと……」


 そこで、いつの間にか泣きやんでいた丘野下さやかは、左手を胸に当てて、言うのだ。


「それでも、どんなに悪いことだったとしても、あたしはね、この入れ替わりがあったから、きらりちゃんが生きられたと思う。だから、きらりちゃんが生きていてくれて、本当によかった」


 今度は、きらりが大粒の涙を流した。



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