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おさんぽ部ダイアリー 浅川円の内緒事  作者: 黒十二色


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第一話 涙の理由は

 緑の匂いが町中に漂う、よく晴れた五月の日。


 この一日の活動日誌は、最も書くべきことが多かったはずなのに、ほとんど何も書けなかった。


  ★


 その日、僕はいつもより早く家を出て、通ったことのない道を歩いていた。


 刺激を求めて、初めての道で登校しようというのだ。いつもと違う風景を画像に収めながら、校内に足を踏み入れた。


 裏門を抜けると、裏庭がある。裏庭には小さな池があり、しだれ桜が裏庭の隅っこにあった。すっかり新緑に包まれていた。そこに、同じクラスの浅川めぐるがいた。


 泣いていた。


 気が強い人だと思っていたから、とても意外だ。


 誰にも見つからないような場所で、ただ一人で、声を押しころして泣いていた。十四歳には見えないくらいに大人っぽくて、落ち着いていて、他のクラスメイトたちとは違う雰囲気をまとっている。男子からも女子からも距離があって、近づきがたい存在だと噂されることも多い。


 そんな浅川が、涙。大人っぽくても十四歳だった。


 気付けば僕は手を伸ばしていた。泣いている女性がいたら助けたくなるのが男だ。


 僕は後ろから、彼女の肩に触れ、彼女の名前を呼ぼうとした。


 けれども、長い黒髪をなびかせる強風が襲い、僕が彼女に触れるまえに、彼女のほうが僕に気付いた。


 彼女は涙を引っ込めて、震えるのを抑えた冷たい声で、こう言った。


「何も見てない」


「え?」


 意図がわからなかった僕は、首をかしげることしかできなかった。


 後になって考えて、やっとわかった。何も見てないことにしなさい、という意味だった。


 強そうにしか見えていなかった彼女に感じた、初めての意外性だ。泣いている姿を見られたのが、よほど恥ずかしかったのだろうか。


 その時から、僕は、彼女のことが気になっている。


 朝のホームルームが終わった後に、僕は彼女に話しかけていた。


「浅川。今朝のことなんだけど」


 誰にも言わないからと言おうとした。


 それを口にする前に、彼女は険しい目で僕を射抜いた。


 黙ったまま距離をとられた。彼女を目で追っていると、教室の外に出て行った。浅川は廊下に出てすぐ、一瞬だけ僕と目を合わせて、トイレとは反対に歩いて行った。


 それは、さっきの裏庭。しだれ桜の木がある方向だった。


 そういえば、朝に僕が来てすぐにその場を去っていたよな。何か忘れ物でもしたのだろうか。そう思いながら、自分の席に戻ると、浅川が戻って来た。


「来て」


 彼女は細く長い指を広げて僕の手首を掴み、廊下へと連れだした。


「おい、浅川、どこへ」


 彼女は無言のまま、僕の手を引いていく。


 そして僕らは上履きのまま、しだれ桜の下に戻ったのだった。


 もしや、土の下、根っこの間に、何か重大な彼女の秘密が埋まってたりするんだろうか。僕が足元を見ていると、浅川は言うのだ。


「小道くん、だっけ?」


「大道だよ。大道独行(あゆむ)


「いかにも鈍感そうな名前ね」


 突然、とんでもない悪口を言われた。僕が何をしたっていうんだ。


 不快感を隠せない僕だったが、浅川は構わず続けて言う。


「伝わってなかったみたいだからもう一度言うけれど、さっきのこと、大道くんは見てない」


「泣いてたこと?」


「見てない。見てないってことは、話題に出さないってことでしょ。さっき、よりによって教室で、何を言おうとしてた?」


「いや、何で泣いてたのかなって」


「それを聞いてきたら、見なかったことにならないじゃないの」


「そうかもしれない。でも気になったから」


 浅川は大きなため息を吐いた。


「話にならないわね」


「浅川がさ、教室で誰かと話したりしてるとこ、見たことないんだよな」


「まさか、そんなことで泣いてたとでも?」


「それは違うんだ。じゃあ、家のこととか――」


「そうやって! 詮索するなって言ってんの! 泣いた理由? そんなのあるわけない。あったとしても、大道くんには知られたくない!」


 たしかに、今の質問攻めは良くなかった。僕は反省して、


「ごめん」


 そう言って、彼女に背を向け、一時間目が始まる教室へと歩き出した。


 背中の方から、「何なの」と吐き捨てる声がきこえた。


 僕は知らず知らずのうちに、強くこぶしを握っていた。


 知りたい。とてもミステリアスな浅川(めぐる)を、もっと知りたいと思った。


 忘れろと言われるほど、忘れられないものになっていく。僕は、魔法にかかってしまったのかもしれなかった。


 教室に戻った後、僕は浅川の整った横顔を何度も見てしまった。彼女は午後の最初の授業で、一度だけ僕に厳しい視線をぶつけて、そのあとはずっと無視を続けた。



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