第16夜:剥離
ええ、どうも。怪談師の『忌部 骸』です。
……ふふ、あまりそんなに身構えないでください。
私のこの「忌部 骸」なんて物惣な名前は、単なる仕事用の仮面に過ぎません。
本当の名前は『佐藤 留吉』。……ね、どうです?
近所の詰め所で茶柱が立った立たないで一喜一憂していそうな、実に無害な隠居名でしょう?
もっとも、私の周りから女性たちが消えていくのは、名前のせいだけではないのかもしれませんがねぇ……。
さて、今日は「ハンドクリーム」にによって変容していく過程を覗き見てみることにしましょうか。
都内の広告代理店で働く佐々木さん(仮名)は、ひどい手荒れに悩んでいました。
冬の乾燥は容赦なく彼女の指先を削り、ひび割れ、ささくれ、血が滲む。
そんな彼女がある夜、ネットの隅っこで見つけたのが、真っ白な瓶に入った「特製エモリエント・クリーム」でした。
佐々木さんは縋るような気持ちで躊躇うことなく注文していました。
使用を始めてから最初の三日間。
彼女がそのクリームを塗り込むと、まず訪れたのは「猛烈な痒み」でした。
皮膚の奥底で、何かが蠢き、古い皮を押し上げているような感覚。
夜中に無意識に手を擦り合わせ、じりじりと熱を持つ指先を見つめていたそうです。
一週間が経つ頃。
痒みは消え、代わりに驚くべき変化が現れました。
指先のひび割れが魔法のように消え、肌はまるで磨き上げられた象牙のような光沢を帯び始めたのです。
しかし、彼女は気づいていました。
……自分の手が、異様なまでに「冷たい」ことに。
お湯に浸けても、カイロを握っても、その手だけが氷に覆われた湖のように冷え切っているのです。
しかし、佐々木さんは美しくなっていく自らの手から目が離せなくなっていったのでした。
二週間後。
職場の同僚から「手が綺麗ね」と褒められるたび、彼女は引き攣った笑みを返していました。
その頃には、指先から漂う香りが変化していたからです。
最初は清楚なジャスミンのようだった香りが、次第に、むせ返るような「甘ったるい、熟しすぎた果実」の匂いに変わっていました。
ええ、私が復元納棺師をしていた頃に嗅いだ、あの匂いです。
死臭を隠すために、遺体に塗り込む特殊な香料の匂いに、そっくりでしてねぇ。
そして、ある朝オフィスへ行き、ハンドクリームを塗ろうとしたときのことです。
彼女は自分の手が「動かしにくい」ことに気づきました。
関節を曲げようとすると、皮膚が骨の上を滑るような、ヌルリとした不快な感覚。
まるで、自分の皮膚が「自分という中身」に愛想を尽かし、独立しようとしているかのように。
彼女は震える手で、いつものようにクリームを塗り込みました。
すると、どうでしょう。
指先から手首にかけて順番にゆっくりと、そして少し、ほんの少し手首に強めに塗っただけなのに……。
ペロリ。
ええ、薄皮などではありません。
「手の形をした、厚みのある白い皮膚」が、手術用の手袋を脱ぐように、つるりと手首から剥がれ落ちたんです。
陶器のように美しく、完璧な造形の「佐々木さんの手の皮」が、そこにはありました。
剥がれ落ちた後の彼女の本当の手は……。
血の気はなく、筋肉は萎縮し、どす黒い死斑が浮き上がっていたそうです。
彼女が塗り続けていたのは、生きた人間の肌を潤すものではなく、
「死者の形を維持し、美しく見せるための保存薬」だったのですから。
今でも、彼女が務めていたオフィスのデスクには、
持ち主を失った「美しい手の抜け殻」が、指を曲げたまま、ポツンと置かれているそうですよ。
……ふふ。
さて、あなたのその手。
指先を強くつまんでみてください。
……戻りが、少し遅くありませんか?
もし、指の関節を動かすたびにかすかに音が聞こえてきたら。
それは、あなたの皮が、新しい「主人」を探し始めた合図かもしれませんよ。
それでは、今夜はこの辺で……。次の金曜日の20時にお会いしましょう....。良い夢を……。




