ACT.10 救出
「また会おうぜぇッ……!」
血の混じった唾を撒き散らしながら、神無月煉は狂ったように笑った。
直前に仕込まれていた小型の爆薬が、天井の梁を砕いた。
天井裏の古い配線に偽装していた。
あらかじめ用意されていた逃走経路。神無月は、それすら“演出”に変える男だった。
爆音と共に天井が崩れ、スモーク弾が撒かれる。
彼の姿は黒煙に飲まれ、跡形もなく姿を消した。残されたのは焼けた金属臭と、血に濡れたコンクリの床。
焼けた鉄骨がまだかすかに熱を帯び、冷気と蒸気が交じり合っている。
後藤田美海は、無言のまま煙の奥を睨んでいた。
「逃げられたのね……」
飯泉リリの声が背後から届く。
片膝をつく美海は立ち上がる、肩口から火花が散った。
そのとき――
「鑑識班、進入します!」
無線越しの声とともに、白衣を着た鑑識隊員たちが駆け込んできた。
廃工場の床には黒く焦げた薬品跡、焼け落ちた天井の断熱材が散乱している。
一人の鑑識隊員がしゃがみ込み、鉄板に焼きついた足跡の石膏採取を始めた。
「関節軸の素材……カーボンじゃない。これは……チタンセラミック複合材。しかもナノレベルの多孔構造。民間市場にはまず出回らない」
「軍用等級ってこと?」
「ああ。おまけに精製ナノ素材。下手すりゃ、自衛隊でも使ってねぇ代物だ」
美海は黙って頷いた。
そんな美海に、飯泉リリが歩み寄ってくる。
「――ふぅ、やれやれね」
疲れたように一度息を吐き、リリはガイアスーツのマスクを外すと、額にかかる前髪を指で払った。
「……美海、あなたとは……良いコンビになりそうね」
美海は意表を突かれたように視線を上げる。
「えっ?」
「なによその顔。褒めたのよ、これでも」
少しだけ口元を緩め、リリは背中越しに歩き出す。
「ただし。今度からは――最初の突入は私にやらせなさい。あなた、突っ込みすぎよ」
「……了解、隊長」
夕焼け色の光が、崩れかけた廃工場の割れた天窓から差し込んでいた。
床の上には拘束された真月団の団員たち。手錠の音が静かに響く。
焼け焦げた空気と、冷たい鉄の匂い――
その中に、確かに微かだが“正義”の手応えがあった。
薬品の臭いがまだ立ちこめる廃工場の一角。瓦礫と煙が交じり合い、懐中電灯の光だけが壁を揺らす。
「ここか……!」
重たい鉄扉を蹴破ったのは、後藤田美海である。ガイアスーツの胸部が、点滅する赤い警告灯に照らされて、不穏に輝いている。
中は狭い鉄格子の牢だった。手錠と足枷に繋がれ、三輪巡査がうずくまっている。
「……あっ……後藤田さん……!」
顔を上げた三輪巡査の声は、擦れた、涙まじりの嗚咽だった。青あざと血が滲む頬には、執拗な拷問の痕が生々しい。
美海は無言で手を伸ばし、制御装置にナノブレードを突き刺す。
「もう……大丈夫。あなたはもう、独りじゃない」
電子錠が解除されると同時に、美海は三輪巡査を両腕で抱き上げた。彼の目に涙が溢れる。
「……警察、辞めようかと思ってたんです……」
美海は黙ってうなずいた。だがその瞳は、かつての自分を映すように、どこか揺れていた。
「ボクも昔、誰かに助けられた……顔も、名前ももう覚えてないけど、手の温もりだけは覚えてる。守られた痛みを、守る力に変える。それが、ボクの“正義”なんだ」
美海のガイアスーツが微かに軋む。背後からエンジン音が再び響いた。
「隊長!」
「こっちは片付いたわ。あんたこそ……イイところ持ってくじゃないの!」
飯泉リリのガイアオルカが、戻ってくる。後ろには、縛られた他の団員たちが列をなしている。
三輪巡査の手が、美海のスーツ越しに震える。
光が差し込んだ瞬間に三輪の泣き顔。
「……また、現場に戻れますか……?」
「戻れる。あなたが“守られた”事実を忘れなければ」
煙の向こうで、神無月煉の不敵な笑みだけが脳裏に焼きつく。
「また会おうぜ、“正義”の諸君……」
がらんどうのアジトに風が吹き込み、折れた梁がきしみ、廃墟の静けさが再び支配し始めた。
翌朝、徳島県警本部。空は厚い雲に覆われ、庁舎の屋上に打ちつける雨が、昨夜の戦いの痕を洗い流す。
後藤田美海は静かに屋上の手すりに身を預けていた。目を閉じれば、まだ三輪巡査の涙のぬくもりがスーツ越しに残っている気がした。
「美海」
背後から、飯泉リリが声をかけてきた。缶コーヒーを2本、無造作に差し出す。
美海は受け取った缶コーヒーを強く握りしめ、小さく首を振った。
「……ありがとうございます……でも、まだ胸のざわめきが消えなくて」
指先が、かすかに震えていた。
「当然よ。あいつ……神無月煉。逃げたままよ。次に現れるときは、もっと大きな何かを背負ってくる」
「ええ。あの目、完全に“覚悟”していた」
雨の音が二人の沈黙を埋めた。
「でも私は――もう、立ち止まらない。あの子たち(仙石兄弟)も、いつか口を開く。真月団の闇の中で見たものを」
リリは黙ってうなずくと、振り返りざまに言った。
「あいつ、また来る。今度は“正義”の皮を被って、こっちを試すつもりよ」
場面は変わり、ある廃駅跡。朝日が昇りかけたホームに、鉄粉と油の混じった空気が立ち込めている。
誰もいないはずの暗がりから、コツン、と靴音が鳴った。
薄暗い改札前。傘もささず、神無月煉が立っていた。黒いフードに隠れた目は、雨粒を受けながらも、確かに笑っていた。
「やっぱりさ……警察って、いい面してやがる」
脇には、研究者風の女が立っていた。白衣のポケットに、徳島県警のIDカード。
「“Z因子”の抽出は完了。ナノ触媒も有効量確保済み。次は……選別ね」
神無月は顎を上げる。
「じゃあ、“正義”を晒すゲームの始まりだ」
背後の壁には、スプレーで赤く書かれた言葉。
それは「Justice=Joke」と描かれていた。
神無月が懐から一枚の写真を取り出す。それは、若き仙石兄弟の一枚だった。
「この子らに選ばせてやろう……“守られる幸福”か、“壊す自由”か」
朝の徳島駅前。曇天の下、人々が行き交う中、一台のタクシーが滑り込む。
トランクには東京警視庁のタグ。ドアが開き、オレンジのポニーテールがふわりと揺れた。
「ついに来ちゃった……徳島。ていうか、警部補がこんな地方の特殊部隊って…………マジかよ、これが“キャリアの現場”? 聞いてないってば……」
圓藤アニー。警察庁キャリア組、階級は警部補。
彼女はまだ知らない。――この地方都市で、自分が何と向き合うことになるのかを。
The Next Misson




