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特殊警察ガイアスワット  作者: まとら 魔術
第3章「警部補 圓藤アニー」

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ACT.12 アニーの実力

 徳島県警・武道場。


 畳の匂い。擦れた木枠。壁際には竹刀と防具、訓練具が整然と並んでいる。 夜の静けさの中、打ち込みの乾いた音だけが響いていた。


 バシッ――


「遅い」


 飯泉リリの声だった。


 踏み込み、腕を払う。 崩れたところをそのまま制圧する。動きに無駄がない。


 対するアニーは、一拍遅れる。


「っ……!」


 受けが遅れ、体勢を崩す。 次の瞬間にはもう、畳が背中に来ていた。


「……今の、見えなかった?」


「い、いえ……見えてはいたんです。でも、体が……」


「動かない?」


「はい……」


 リリが一歩下がる。


「もう一回」


 二人が構える。 アニーの呼吸は浅い。


(分からない……どこを見れば……)


 リリが踏み込む。 ――速い。


 反応しようとした瞬間、視界が揺れた。 背中が畳に打ちつけられる。


「……っ!」


「話にならないわね」


 壁際で、美海は腕を組んで見ていた。


(……典型的だね)


 頭では理解している。 でも、体がまだ何も覚えていない。


「アニー」


「はい……!」


「“勝とう”としてる?」


 一瞬、アニーの言葉が詰まる。


「……はい」


「それ、やめた方がいい」


 美海は畳の縁まで歩み寄った。


「今の君、全部“結果”を見て動いてる」


「結果……?」


「崩される。倒される。負ける」


 アニーの手が小さく震える。


「だから遅い」


「じゃあ……どうすれば……」


 美海は少しだけ考えてから言った。


「考えなくても動けるものを、一つだけ決めて」


「一つ……」


「例えば、来たらとにかく前に出る」


 リリが眉を上げる。


「……雑ね」


「いいでしょ、最初は」


 リリがもう一度構える。 アニーも立ち上がった。


(前に出る……それだけ……)


 深呼吸。 来る。 ――速い。


(前に――!)


 踏み込む。 ぶつかる。 崩れる。


 それでも、さっきよりほんの少しだけ近い距離にいた。


 リリの目がわずかに変わる。


「……今のはマシ」


 アニーが息を切らしながら顔を上げた、その時だった。


 ガラッ。


 武道場の引き戸が開く。 県警共済の案内でよく顔を出す槇村トメだった。夜勤組がまとまっている時間を狙って現れるのが、この女のやり方だった。


「ちょっといいかしら~?」


 間延びした声に、全員の視線が向く。


 花柄のエプロン。大きめのバッグ。場違いなほど柔らかい笑顔。 その全部が、この場の空気を遠慮なく壊しに来ていた。


「保険のご案内なんだけどぉ」


「……また来たの」


 リリが顔をしかめる。


「だってぇ、命かける仕事してるんだから、ちゃんと備えないと~」


 トメは遠慮なく畳へ上がってくる。


「そこの新しい子ぉ」


 視線がまっすぐアニーに向いた。


「あなた、入ってる? 医療保険と死亡保障」


「えっ、あの、えっ……!?」


「若い子はねぇ、“まだ大丈夫”って思うのよ~」


 トメが一歩ずつ距離を詰める。


「でもねぇ、事故も病気も突然来るの。ほら、さっきだって危なそうなことしてたじゃあない?」


「い、いえ、これは訓練で……!」


「訓練でもケガはするのよぉ~?」


 トメがバッグからパンフレットを取り出す。


「今ならねぇ、お得なプランが――」


「ちょっと待ってください」


 美海が間に入った。


「ここ、武道場なんですけど」


「だからいいのよぉ~。“万が一”が一番分かる場所でしょ?」


 笑顔のまま、一歩も引かない。


 アニーは完全にペースを乱されていた。


(え、何この人……強い……)


 リリが小さく呟く。


「……格闘より厄介ね」


「分かる」


 トメがさらに距離を詰める。


「で、どうする? 入る?」


 アニーは完全に追い詰められる。


「えっと……その……!」


 沈黙。


「……け、検討します……!」


 逃げた。


 トメは満足そうに頷く。


「いい子ねぇ~。また来るからねぇ」


 トメが去っていく。 戸が閉まる。 しばらく無音。


「……あんた、戦闘よりそっちの方が弱いわね」


「す、すみません……!」


 美海が少しだけ笑った。


「今のは、まあ仕方ないです」


 それから、少し間を置いてアニーを見る。


「でも、押し切られるのも弱さだよ」


 畳の上に、汗とパンフレットが残る。 アニーはそれを見つめた。


(……何も決められてない)


 戦い方も。 断り方も。 自分の立ち方も。


 武道場の空気は、さっきまでと何も変わらない。 けれどアニーの中には、小さな引っかかりだけが残った。 まだ名前はついていない。


 徳島市内。午前一時過ぎ。


 街は眠りかけていた。 コンビニの光だけが、ぽつぽつと浮かんでいる。


 初回の単独巡回とはいっても、完全な一人ではない。 後方では支援車両が無線を開いたまま追っている。緊急時にはすぐ介入できる距離だ。 それでも運転席に一人きりで座ると、街は妙に広く見えた。


 オレンジの車体――ガイアツナが、静かに走る。


 エンジンは軽く、鋭い。 アクセルに触れれば、すぐに反応する。


 ――なのに。


「……踏めない」


 アニーが小さく呟く。 右足がアクセルの上で迷っていた。


(速い……この車……)


 少し踏むだけで、景色が流れる。 ハンドルは軽い。 車体が、意思を持っているみたいに動く。


(怖い……)


 昼間、林が言っていた言葉がよぎる。


 ――“嘘はつかないエンジンだ”


 ミスも、誤魔化せない。


 リリに倒された瞬間。「話にならないわね」


 美海の言葉。「結果を見て動いてる」


 その二つが、まだ胸の奥に引っかかっていた。


(……どうすればいいの)


 信号が青に変わる。 アクセルを踏む。 ほんの少しだけ。


 車は、それ以上を求めてくる。


「……無理」


 足が緩む。


 ミラーに光が映る。 後ろから一台の黒いクラウンセダン。


 距離が近い。


「……?」


 相手は少し速い。 アニーが車線を変える。 それに合わせて、向こうも距離を詰めてくる。


(追われてる……?)


 心拍数が上がる。 無線に手を伸ばす。 止まる。


(……どうするのが正しい?)


 教本。手順。上司の判断。 いろんな“正解”が頭に浮かぶ。


 ――でも。


(今、どうするべき……?)


 分からない。


 クラウンセダンがさらに寄る。 クラクション。 短く、強い。


「っ……!」


 アニーは思わずハンドルを切る。 ガイアツナは鋭く、素直に応えた。


(……すごい……)


 だが、その感覚に浸る余裕はない。


(逃げる? 止まる? 確認する?)


 全部、中途半端に浮かぶ。 どれも決めきれない。


 その一瞬。 クラウンセダンが横に並ぶ。 窓が開く。 男の顔。


「チンタラ走ってんじゃねぇぞ!」


 怒鳴り声。


 ――煽り運転だった。


「……え」


 一瞬、思考が止まる。


 クラウンセダンは加速し、そのまま去っていく。 あっけないほど一瞬だった。 残ったのは静けさだけだった。


「……はぁ……」


 ハンドルを握る手が震えている。


(何も……できなかった)


 通報も。 追跡も。 判断も。


 ただ――反応しただけ。


 アニーはコンビニの駐車場に入った。 エンジンは止めない。 そのまま、ハンドルに額をつける。


「……ダメだ」


(怖いのは……車じゃあない。判断するのが怖いんだ)


 間違えること。 責任を持つこと。 そこから逃げている。


 だから、踏めない。


 《ガイアスワット各車両へ――状況報告を》


 無線が入る。 アニーは顔を上げる。 マイクを握る。


「……」


 言葉が出ない。


 沈黙のあと、アニーは小さく息を吸った。


「……こちら、ガイアツナ」


 声が震えている。


「異常……なしです」


 嘘ではない。 でも、何かが足りない。


 アニーはゆっくりとアクセルを踏んだ。 さっきより、ほんの少しだけ強く。


 ガイアツナは、踏んだぶんだけ素直に前へ出る。


(……怖い)


 それでも。 さっきより、ほんの少しだけ。 踏めていた。


 夜の街を、オレンジが走る。 まだ未熟なドライバー。 まだ決めきれない警察官。


 それでも、さっきよりは少しだけ前に出ていた。


 徳島県警・第二庁舎。 ガイアスワット控室。


 壁の時計は午前二時を回っていた。 蛍光灯の白い光の中、美海は椅子に深く座り、無線と車載ログを眺めていた。


 《こちら、ガイアツナ。異常なしです》


 その一文。 短い。綺麗すぎる。


「……」


 美海が指先で机を軽く叩く。


(異常なし、ね)


 ガチャ。


 ドアが開き、アニーが入ってくる。


「ただいま戻りました……!」


 声は整っている。 姿勢も乱れていない。


 ――でも。


「おかえり」


 美海は顔を上げない。


「はい……」


 一瞬、間が空く。


「何もなかった?」


「はい。特に異常は――」


「嘘だね」


 美海は間を置かなかった。 空気が止まり、アニーの呼吸が詰まる。


「……え」


 美海がゆっくり顔を上げる。 視線がまっすぐ刺さる。


「君、何もしなかったよね」


「……っ」


 アニーの肩がわずかに揺れる。


「ちゃんと……パトロールは……」


「そういう話じゃあない」


 美海が言葉を切る。


「“何もなかった”んじゃあない」


 一歩近づく。


「何もしなかっただけだよ」


 アニーの喉が鳴る。


「後ろ、つかれたでしょ」


「……!」


「交差点のあとで一回減速。そのあと車線変更。コンビニで停車」


 アニーの目が見開かれる。


「……なんで……」


「ログ見た。それに、戻ってきた時の顔」


 美海の声は静かだった。


「何かあったでしょ。煽られた?」


 心臓が強く打つ。


「無線、入れなかったよね」


「……」


「追わなかったよね」


「……」


「止めようともしなかった」


 沈黙だけが残る。


「なんで?」


 声は静かだった。 その静けさの方が、逃げ場をなくした。


「……分からなかったんです」


 やっとそれだけを絞り出す。


「何が正しいか……どうすればいいか……」


「うん」


「間違えたらどうしようって……」


 声が震える。


「だから……何もできなくて……」


「それでいいよ」


 一瞬、空気が止まる。


 アニーが顔を上げた。


「……え」


「最初はそれでいい」


 美海は椅子に腰を戻す。


「分からないのは普通」


 少し間を置く。 指先で机を一度叩く。


「でも、分からないから何もしないのは違う」


 アニーは動けない。


「警察って、いつも正解だけ選べるわけじゃあない」


 美海は一度だけ視線を外し、またアニーを見る。


「でも、選んだ以上は引き受けなきゃいけない」


(責任……)


 その言葉だけが頭に残る。


「ガイアツナ、どうだった?」


「……速かったです」


「でしょ」


「でも……怖くて……踏めなくて……」


 美海が少し笑う。


「同じだよ」


「え……?」


「車も判断も」


 一歩近づく。


「踏まなきゃ、前に進まない」


 アニーは黙って聞いている。


「次、同じ状況になったら」


 美海は真っ直ぐ言った。


「どれか一個でいいから選んで」


「……一個」


「追うでも、止めるでも、無線入れるでもいい」


 少し間を置く。


「自分で決めて」


 アニーの手が、ゆっくり握られる。


(自分で……)


 怖い。 でも。 さっきより、少しだけ分かる。


「……できる?」


 アニーは息を吸った。


「……やります」


 声はまだ弱い。 けれど、さっきまでよりは、自分のものに聞こえた。


 美海は頷く。


「じゃあ次、見せて」


 それだけ言って、椅子に戻る。


 部屋は静かなままだった。 それでも、アニーの返事だけは、さっきまでと少し違って聞こえた。


 The Next Mission

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