鋼鉄の守護神
M4シャーマンと言えばやられ役として定番の戦車である。
しかし、その反面、信頼性が高く量産もされたことから個で勝る枢軸戦車を数で押し切った事でも知られている。
シャーマンがやられ役として定着したのは何も欧州におけるティーガーやパンターを相手にしからと言うばかりではない。
太平洋戦線においても1943年には反攻作戦に本格的に投入され、ニューギニアでは日本戦車を事も無げに蹴散らしていった。
もちろん、すでに75ミリ砲を装備する砲戦車、一般的に駆逐戦車と呼ばれる車両に撃破される事例は多々見られたものの、配備されていた日本戦車の多くは九七式中戦車であったため、米側では欧州ほど悲観視していなかった。
1944年、フィリピンに上陸した米軍は、M4とほぼ同等の性能を有する二式中戦車と遭遇した。
二式戦車には砲戦車と同じ38口径75ミリ砲が装備されており、装甲に関してもM4と大差ないモノだった。
米軍は驚きこそすれ、同等性能であれば十分に数で圧倒できるため、まだまだ楽観的であった。
しかし、硫黄島や沖縄では事態が一変した。
そこにある戦車はティーガーほど頑強ではなかったが、パンターに並ぶ難敵となって立ちはだかった。
まさか、太平洋の島で欧州同様の戦い方が必要になる等、米軍は思いもしなかった。
そこにあったのは四式中戦車であった。
明らかに二式中戦車までとは違い、低いシルエットに長い砲身はソ連戦車を思わせた。
終戦後に日本本土で見る戦車はさらに度肝を抜いた。
ベルリンの戦勝パレードを疾走したIS3の威容を除けば、これほどの衝撃は無いと言えるモノだった。
そこにあった五式重戦車には105ミリ砲が装備され、その貫通力は米国が開発したM26重戦車すら余裕で撃破出来た。
「本土上陸戦をやらなかったことは幸運だった」
米軍にそう言わしめた威容は、本来の敵と想定していたソ連軍に対して牙を剥いた。
それは、ノモンハン事件から7年目にして日本が得たソ連戦車への回答でもあった。
劣勢な満州戦線において、それでも「髭殺し」と言われ、周りの兵士たちを鼓舞した五式重戦車の話は今や伝説となっている。
南樺太に配備された五式重戦車はたった4両でソ連軍を3日間拘束し、住民の避難を助け、援軍到着までの時間を稼ぐことに成功した。
後に小説にもなった「鋼鉄の守護神」である。
南樺太はその後、8月30日の米軍進駐まで守り抜かれ、以後、米ソ間の政治問題として長らく係争が絶えない場所となるが、それは別の話。
日本が開発した戦車は、九七式中戦車まではその時代相応の戦車であった。
戦前の戦車は小口径の対戦車砲から身を守る30ミリ前後の装甲、40~50ミリ程度の短砲身砲の搭載が一般的であり、九七式もその枠から大きくはみ出す戦車では無かった。
次期中戦車である二式中戦車ではいきなり主砲が38口径75ミリ砲と、当時の最先端へと躍り出てくる。
二式中戦車の生産が始まったのは1941年12月であり、未だドイツでは短砲身のⅣ号F型が生産されていた頃だった。
なぜこのような事態になったのか。
日本では57ミリ長砲身砲開発が中止され、その上で、野砲を転用した38口径75ミリ砲へと転換された。
いったいなぜそうなったのか。
そして、それから4年後には51口径105ミリ砲という世界的にもその先頭を走る戦車砲を備えた五式重戦車の量産すらも行っている。
しかし、これは何の謎もない。いたって簡単な話だった。
1939年5月に発生したノモンハン事件では、8月のソ連軍攻勢に、当時試験運用が始まっていた重戦車数種が投入され、SMK重戦車、KV重戦車が日本軍と交戦している。
特に後のKV85ではないかと思われる車両は突出した戦闘を行い履帯切れで日本軍に鹵獲されることになった。
車両回収は成功しなかったが、主砲や足回りの一部を回収する事には成功し、装甲厚などの調査資料も作成されている。
この資料が日本に大きな衝撃をもたらすことになった。
ノモンハン事件後半のソ連軍の攻勢に際し、日本軍の如何なる攻撃をも受け付けずに突進してくる巨体が複数あり、何とか行動不能にした1両を除いて全く成す術がなかった。
僅かな数でしかなかったが、その数両によって戦局が大きく変わり、何とか死守していた拠点を失う事になってしまった。
停戦後すぐは作戦の不備が指摘されていたが、半年にわたる分析と持ち帰った鹵獲品の調査から、ほぼ事実であることが判明した。
その時の資料には、戦車の装甲厚が砲塔100ミリ、車体90ミリ、側面でも90~70ミリとされ、とても日本軍が有する火砲で撃ち破れるものでは無かった。
そして、鹵獲に成功した主砲は約50口径ある85ミリ砲であった。
この様な強力な砲の直撃を防ぐ装甲など、日本軍の装甲車両には存在しなかった。
こうして、1939年暮れ頃にはそれまでの戦車計画がいったんストップし、この「ノモンハンのバケモノ」を参考にした開発計画が荒てて立ち上がる。




