鋼鉄の守護神2
1940年のうちにまず、九〇式野砲を九七式中戦車の車体に乗せた試作砲戦車が完成した。
これは当時、すでに研究が行われていた砲戦車の流れをくむものではあったが、悠長に研究開発などしては居られないという事で、既存の陸軍砲の中で初速があり、対戦車砲になり得るものとして九〇式野砲を取り急ぎ車載化したものであった。
これは急造であり、正式な戦車とは別に開発が行われ、一式砲戦車として採用されている。
九〇式野砲自体は1000mの距離で垂直の装甲板であれば約70ミリ、500mでは約80ミリ貫通可能で、良好な射点につけば「ノモンハンのバケモノ」を破壊しうるとされた。
それと並行して九〇式野砲を本格的な旋回式砲塔に載せる戦車の開発が行われ、鹵獲した85ミリ砲の砲架が参考にされ、二式七糎半戦車砲の開発に成功する。
車体も75ミリ砲の装備に合わせて九七式よりも大型のモノが開発され、正面装甲50ミリを有する重量21tの戦車として完成した。
鹵獲した砲架は非常に優秀で、後座長330ミリとコンパクトに収まったことから余裕のある砲塔空間を確保する事が出来ていた。急造に過ぎない一式砲戦車では野砲をそのまま搭載する状態であり、操作性にも難があった。
こうして完成した二式中戦車は1型では新規開発された統制型ディーゼルV型12気筒240馬力であった。
しかし、このエンジンでは非力で最高時速35キロしか発揮できず、統制型をスケールアップしたV型12気筒300馬力を搭載した2型が開発されている。2型では装甲の増厚も行われ、正面装甲を75ミリに強化された。しかし、その結果重量も増えた事から期待されたほどの性能向上とはならず、時速40キロを何とか達成できたに過ぎない。
開発開始時点からこうなる事は半ば理解されており、更なる大出力エンジンの開発も同時に開始されていた。
その開発は陸軍だけではなく、三菱を介して海軍にまで及び、軽量小型大出力を目指して2サイクル方式を採用した陸用機関として、魚雷艇用エンジンと技術を共有しての開発が始まった。
さらに、二式中戦車までは日本式シーソーサスペンションであったが、「ノモンハンのバケモノ」と対等に渡り合うには40t以上の重戦車となる事から、足回り開発も鹵獲したトーションバーを元に、日本での研究成果と合わせて、その実用化が急がれていた。
各分野で開発が進行する中で、主砲も既存砲の流用ではなく、新世代砲開発が行われる。
まずは鹵獲した50口径85ミリ砲の模造から始められ、1942年には陸軍が運用する口径に合わせた54口径75ミリ砲が完成した。
この砲は八八式七糎半野戦高射砲の後継として三式七糎半高射砲としても制式化され、戦車砲架に装備した三式七糎半戦車砲としても砲身を共通化して制式化されている。
戦車砲が先に完成した事から一部は二式中戦車3型として先行して運用されることとなった。
しかし、二式中戦車には大きすぎる砲であったためにフロントヘビーとなり、60両で生産中止となってしまう。
新型戦車の開発は油圧サーボの信頼性や2サイクルエンジンの完成遅延によってなかなか日の目を見ず、1944年初頭になんとか量産化に扱ぎつけ、四式中戦車として、一式砲戦車や二式中戦車を生産していたラインを一斉に転換して生産が開始された。
この三式七糎半戦車砲であれば、1000mの距離で垂直な120ミリの装甲を貫通できた。
四式中戦車は傾斜装甲を採用しているが、装甲厚は重量増加を抑えるために最大でも75ミリと二式中戦車と変わらなかった。
被弾経始を取り入れたため、実際の数値よりは防御能力は高くなるとは言え、85ミリ砲に対する防御を考えながら、「ノモンハンのバケモノ」級を相手にした場合、安心できる数値では無い。
この為、バケモノ狩りの本命とされたのは、1940年計画では85ミリ砲をコピーして搭載する重戦車とされたが、翌年には自重が45tに達する計画となり、機動性の観点からより遠距離から撃破可能な砲が必要とされ、より大口径化した51口径105ミリ砲の開発が決定した。
この105ミリ砲であれば、2000mからでも撃破できるとされた。それに合わせて自重軽減策が検討され、1941年には38tまで減量されるが、そこにT34やKV1重戦車に関する情報が飛び込むと再び原案に近い装甲厚へと逆戻りした。
こうして何とか1943年には車体が試作されたが、肝心のエンジンがまだ完成していない。
105ミリ砲は砲弾重量が薬莢も含めると30kgにも達し、狭い車内で装填できるか危惧され、自動装填装置の搭載まで検討されるのだが、完成した砲塔へ搭載してみるとあまりに狭く信頼性も低い事から先送りとなった。
そして、1944年3月になんとか完成した試作車は46tに達し、防盾装甲は150ミリ、砲塔側面装甲90ミリ、車体正面装甲120ミリ、側面装甲75ミリという「ノモンハンのバケモノ」を超える規模に至っていた。
その足回りを支えるのは四式中戦車から採用されたトーションバーサスペンションであり、機動力は2サイクルV型10気筒過給620馬力エンジンだった。この重量を時速45キロで走らせることが出来るのだから、成功と言って良いだろう。




