蝦夷と日本 9
適当に思い付いて書きなぐっていたら100話ですよ。
これがキリ番になるとは・・・
元々の構想段階では5話も行けば良いなとおもっていたらこんなことに・・・
2002年から始まった中華大乱は日本にとって対岸の火事では済まなくなった。
この騒乱の中で中華民国や上海民主国は平和的な民主主義国家というわけではなく、特に上海民主国は民族主義的な側面を隠そうともしなかった。
上海民主国は2004年に中華民国と和平を結ぶと山東半島や武漢など長江流域の平定へと乗り出し、香港の保証占領にやって来た英国と足並みをそろえて華南の平定に力を入れる中華民国とは向かう方向が逆になっていた。
しかし、それは上海民主国による大韓民国支援にもつながり、青島にあった海軍艦艇も接収して一定の海軍力を有して東シナ海へと漕ぎ出し、1993年に日本返還が成った先島諸島の無人島群である尖閣へと中華民国の隙をついて上陸し、その領有権を主張するに至った。もちろん、彼らは冊封国であった琉球も自国の領域であると主張し、日本に対し軍国主義による不当占領からの解放を要求するに至った。
しかし、米国によって極東拠点と定められて10年を迎える日本は好景気に沸いており、そんな上海民主国の恫喝など微塵も痛痒を感じるモノではなくなっていた。
上海民主国の恫喝への返答として、尖閣諸島周辺へとO・H・ペリー級を母体とする天霧型海防艦3隻を派遣し、上海民主国はすごすご撤退するほかなくなっている。
日本では事件に触れた総理大臣が「もはや戦後ではない」と自信あふれる答弁を行い、1990年代に蝦夷の援助によるPKO派遣を主とした傭兵外交から脱し、自立した独自外交へと踏み出していくこととなった。
それがより鮮明になるのは2006年頃からである。
その頃になると米国は上海民主国という外見上は民主国家なソレに対してロスト・フロンティアの回復を再度夢見るようになった。
当然だが、上海民主国が支援する大韓民国の「民主的自立」にも関わっていく、にもかかわらず、高句麗へ投資した資産もあきらめることなく、米ロの雪解けを利用して接近している。
米国の態度はとてもではないが、日本の理解の範疇を越えていた。敵対的な国同士へと支援を行い、それがもとで双方が力を持つので、一向に紛争の終りが見えない状況を作り出していく。
正直、日本には米国が何をやりたいのかまるで分らなかった。
さて、再度の確認になるが、高句麗国というのは制度上は議院内閣制である。そして、議会における政党政治も形の上では存続されていた。
そこには常に過半数の労働者党議員が居り、絶対与党の立場にあったが、野党も常に2~3割ほどは存在している。曲りなりにも国家主席の御前における討議は存在していた。
これが米国には民主的と映っており、常識的には独裁政治でしかない金正日政権の在り様に対して、米国は肯定的であった。
しかし、極東から目を転じると、必ずしもその姿勢が最善とも言い難くなっていた。
まず弾けたのはイラクだった。特別国連軍による査察や指導が繰り返されたイラクでは、南部のシーア派、政権を握るスンニ派、北部に居を構えるクルドが英仏の「指導」によって対立状態となっており、とうとう2008年3月には反フセインデモがバスラやキルクークで起こり、次第に全土へと広がっていた。まさに、中華の再現である。幸いだったのは三大勢力が一定の力を持っていたのでそれ以上細かく分裂して中華の様な大混乱に至っていない事だった。
だが、それはそのままアラブ革命などと呼ばれる各地での政権打倒運動へと発展し、中東を混乱へと叩き落す事となった。
ここに、クウェート侵攻時には蚊帳の外に置かれていた米国が乗り込んで行き、高句麗や中華の情勢を再現するような支援を繰り返していく。時にはイスラム教の戒律を無視したような支援も行われているので反米感情が中東で高まることにすらなっていった。
だが、それはなにも米国に限った話ではない。
大国としての力を示したいロシアもまた、米国の後を追うように、友好関係にあるイランを介して中東問題へ、イランを主体としたことからシーア派を中心にした支援が盛んにおこなわれる。だが、10年来の問題を抱える事からロシアは蝦夷製兵器や民需品を格安でばら撒けたソ連時代の様な支持は取り付けられず、結局は米国と並んで警戒心を煽る結果へと向かっていく。
そして、意外なところからとんでもない事件が米国を襲った。いわゆるハンターゲート事件である。オハマ政権副大統領ヤン・ヴァラハン氏の子息、ハンター・ヴァラハンがウクライナ企業との贈収賄で逮捕されたことをきっかけに、トンデモナイほどの余罪が暴き出され、そこには上海民主国や大韓民国の名前まで含まれていた。この事件によってウクライナではそれまでの欧州接近が一気に冷却していき、微妙になりかけていたロシアとの関係が修復へと向かった。ただ、それはロシアによる米国への警戒を高める事にも繋がり、極東においても米ロ蜜月時代が終了し、中華内陸部で勢力を拡大していた旧共産党系勢力へとロシアが接近し、高句麗では金正日の健康悪化から後継の座を巡る権力闘争が激化し、兄弟が互いに勢力を形成して結果的にもとの高句麗領域には三つの政府が乱立し、互いに高句麗政府を主張する異常な状態が出来上がってしまった。もちろん、そこへ大韓民国も介入したのだから収拾がつくはずも無かった。
そんな戦国時代を迎えた極東にあって平和を謳歌する日本と蝦夷は、2012年には天皇を共通元首とする事実上の統一へ向けた話し合いが開始されることとなった。
そして2014年、日本で初となる長野五輪が開催され、ようやく戦後を脱した喜びに浸る頃、蝦夷の最北、北樺太へとロシア軍が侵攻してきた。
彼らの主張は簡単である。ロシアの主導する国家機構への加盟を拒否し続け、ソ連時代の合意を破棄した蝦夷から「北樺太を回収」する事だった。これは侵攻ではなく、貸したものを回収するだけの行為だというのである。




