記憶
その夜、私は熱を出して倒れてしまった。
春先のまだ寒い日に、外にずっと立っていたのだから当然だろう。
七歳の小さな体で泣いて泣いて泣き尽くして、体力を消耗したせいもあるかもしれない。
メイドが探しに来たときには倒れていたという。
ショックが重なったせいもあってか熱はどんどん上がった。
一時は危ういことにもなったらしい。
意識を失っていた私はただただ苦しいばかりで、その間のことはあまり覚えていないけれど。
「本当にジュリマリの世界だわ……」
目を覚ましたのは三日後のこと。
まだどこか熱っぽい気怠さを抱いたまま天蓋の柔らかなドレープを眺めながら、私はぼんやりと呟いていた。
熱を出していた間、長い長い夢を見ていた。
私がジュリエッタとして生まれる前――前世のことだ。
日本で、大学生として十八年間生きていた生活やその他のあれこれ、そしてこの世界のことも。
「そういえば、以前マリも私と同じ事を言ってたっけ」
今のマリも前世の記憶を持っていて、私より早く記憶を取り戻していたんだと気付く。
うーんと唸って私は寝返りを打つ。
マリも口にしてた『ジュリマリ』とは、前世でブームを起こした少女マンガだ。
正式には『秘密のバラの園で愛する君にキスを捧げる』という題名だったが、妙に長いし語呂も悪い。
双子の姉妹ジュリエッタとマリエッタを中心にした話だったから、ファンの間ではもっぱらジュリマリと呼ばれていた。
子爵家に生まれた双子が学園生活を送り、その過程で王子や侯爵令息と仲を深めていくというストーリーで、今流行りのざまあ展開や王子とのハッピーエンド、精霊や魔物などが登場するファンタジーな所もあって、お話としては別段珍しいものではなかった。
が、描いたのが絵が超絶美麗で切ない話が得意な有名マンガ家だったために、一気に人気作となったのだ。
雑誌が発売される度に高校生を中心にSNSで話題に上り、最終回が載った雑誌は売り切れが続出した事でも有名になった。
その流れを汲んでアニメ化の話も上がっていたはずだが、その前に私は死んでしまったらしい。
「……お父さん、お母さん、皆、ごめんね」
前世ではごく一般的な家庭に育った。
代々造園業を営む家でお弟子さんがたくさんいたのは少し変わっていたけれど、それ以外は至って平凡。
庭師の祖父も父も家では普通のおじいちゃんとおじさんな父だったし、小うるさいけど優しい母と庭師見習いの兄、大学一年生になったばかりの私というどこにでもある家庭だった。
通学中、駅の階段から転げ落ちた事は覚えている。
多分それで死んだんだろう。
恨むらくは、転落の原因となった階段でふざけていた女子高生達だ。
「まあ、もうどうしようもないんだけど……」
自分の口から出る幼くて可愛い声にはまだまだ慣れそうにない。
本当に私がジュリエッタになっちゃったんだなあ……。
マンガの中でジュリエッタはヒロインだ。
純真で優しく明るい。
ちょっと天然な所もあって、周りを巻き込んでどんどんいい方向へと導いていく不思議な魅力があった。
プラチナブロンドとも呼ばれる淡い金髪はふわふわと柔らかくて、雪のように白い肌に人形のような美貌、バランスの取れたスタイルで可愛いドレスを次々と身に纏うジュリエッタに、真似をするコスプレイヤーが続出した。
対して、悪役令嬢と言われたのがマリエッタだ。
引っ込み思案が高じて後ろ向きでひねくれた性格になってしまい、自分と正反対の双子の姉を妬むことになる。
自分と同じような立場の弱い子を見つけるのが抜群に上手くて、権力とお金を盾に言うことを聞かせて陰で暗躍。
姉のジュリエッタを陥れようと画策するのだ。
最後には総てがばれ、ざまあされて修道院行きになる。
造形は悪くないけれど上目遣いの恨み顔ばかりがクローズアップされていたマリエッタは、茶髪にも見えてしまう暗い金髪がコンプレックスだったらしく、ジュリエッタのプラチナブロンドを切り刻もうと執拗に狙うシーンはなかなか来るものがあった。
前世で、大学に合格したあと色々解禁になって最初に読んだのがジュリマリのマンガで、私もあっという間に夢中になった。
周囲の友人達がその方面に詳しかったのもあって、番外編から同人誌までバイトのお金をせっせとつぎ込んで追いかけたのはいい思い出だろう。
大学ではもちろん、お休みの日も友人の家に集まってジュリマリのマンガを読んで大いに盛り上がっていたのだけれど。
「周りの皆が普通にハマっていたからそういう意識はなかったけれど、もしかして私ってオタクだった?」
ああ、黒歴史ってこういうものなんだ……。
ベッドに手をついてうなだれたくなる。
けれど、今はそのおかげでこの世界のことがよくわかって助かってるんだからと思い直す。
ジュリマリのマンガでは主人公たちが七歳の初夏からスタートする。
双子の姉妹だった二人がどうしてヒロインと悪役になったのか描かれていた。
時に陥れられるジュリエッタにハラハラし、時にマリエッタに同情しながら、かっこいいヒーロー王子にきゅんきゅんし、脇役の麗しい侯爵令息に惑わされる日々は至福のときだった。
アニメを見ることは叶わなかったけど、これから生で見られるんだからいいかな。
「いや、まずいでしょ! 今の私ってどう考えてももうヒロインの立場じゃないよね。あの『嫌なマリエッタ』にすでに屋敷内での立場を引っ繰り返されてるし、お父さま達も掌握されている気がする。これってやばいでしょ。絶対まずい」
自分より先にマリが記憶を取り戻したのが痛かった。
別にヒロインになりたかったわけじゃないけれど、こんなにも家族関係をめちゃくちゃにされるとは思わなかったのだ。
これまで生きてきたジュリエッタとしての記憶は不思議とあって、自分の内側には心を折られて泣き伏す小さなジュリエッタの気配がする。
七歳のジュリエッタが今回のマリの仕打ちに耐えられなかったから、大人の私が表に出てきた感じだ。
いや、大人といっても私もまだ十八歳だったけど。
ジュリエッタはよく頑張ったよ。
心の中でそっと呟いてみる。
マリの中にいる前世の記憶がある人物が何歳だったかは知らないが、マンガの購読層や言葉遣いから鑑みるに高校生くらいじゃないかと思う。
そう考えると、七歳のジュリエッタが前世の高校生に勝てるわけがない。
そうでなくてもおしゃべりが達者みたいだし、やけに堂に入った演技っぷりで悪知恵も働くタイプだ。
純真なジュリエッタが一方的に傷ついてしまうのも仕方がなかった。
だからって私が敵討ちなんてしてあげられないんだ。
ごめんね。
そもそも前世の性格はマリの方に近い。
庭に出ても、ジュリのように走り回るより、じっと座り込んで動植物の観察をしたり土いじりをしたりするのが好きという地味っぷり。
それ以外は原作マンガのマリのように読書が趣味という大人しい性格だった。
心の中では色々考えてるくせにしゃべるのは上手ではないし、感受性が強いせいか知らない人や人ごみが苦手という引っ込み思案な所も一緒。
苦境を打開するために動くより、じっと耐えてチャンスを窺うという慎重とも後ろ向きとも呼べる性格である。
「うぅ……分析してみると、我ながら情けない性格してて泣けるう」
前世で人気を博した――乙女ゲームなどの世界に転生する小説の主人公達は、どうしてあんな大胆に動けたんだろうか。
読む分には面白かったけれど、実際その立場になってみると、変化や結果が怖くて余計なことが出来ない。
だって熱を出すと苦しいし、怪我をするとちゃんと痛い。
家族に冷たい目で見られると心が痛くなるし、双子の妹に意地悪されると本当の妹じゃなくてもつらかった。
心も体も傷つくとしっかり痛みを感じるのだ。
ここはお話の中じゃない。私はこの場に存在して、生きているんだから。
「なのに、マリはこんなにも世界をめちゃくちゃに出来るなんて……」
マリが記憶を取り戻したと思われるあの冬の頃、ジュリとマリは本当に仲良しだった。
原作マンガで、マリが双子の姉を憎むようになったのは、決定的な何かがあったわけじゃない。
双子ゆえの葛藤や嫉妬や恨みが少しずつ積み重なっていった感じだったから、七歳の現時点であればマリもジュリのことを好きでいてくれたはずだ。
なのに、そんなマリの心をなかったことにして、ジュリの愛情までも蔑ろにした。それがとても悲しい。
将来を変えるにしても方法はいくらでもあったはずなのに、マリの中に生まれた『嫌なマリエッタ』は自分のことしか考えずに最悪の行動を起こす。
家族を引っかき回してジュリを貶め、自分の優位を作り上げていったのだ。
「とんだマウントだわ。そうそう、ジュリマリをマリジュリにするって言ってたっけ」
確かに、今のジュリとマリの立場はまったくの反対だろう。
ここ最近マリがジュリの真似ばかりする行動の意味もようやくわかった。
ジュリエッタの純真で明るいキャラクターを模倣しようとしていたんだ。
誰からも愛されるジュリに成り代わるために。
ジュリ姉さまのようになりたいと明るく振る舞うマリの姿はどれだけけなげに見えただろう。
一方で、そんなマリの邪魔をするようにかんしゃくを起こすジュリがどんなに自分勝手でわがままに見えたか。
前世の記憶が戻って大人の視点になってようやく気付いた。
七歳という幼さを隠れ蓑にマリがどれほど暗躍していたのか。
そうしていつの間にか立場もキャラクターさえもすり替わられていた。
もしかしたら皆からの愛情だって。
大人が気付くわけがない。
七歳の子がこんな策略をすると誰が思うだろう。
「これからどうすればいいんだろう」
心の中でまた泣き声を上げ始めた気がするジュリエッタに引きずられるように、目頭が熱くなる。
鼻をすんとすすって、柔らかい枕に瞼を押しつけた。
切りがいいところまで、少し長めになりました。
記憶を取り戻したあとはシリアスも少し軽めになるはず…たぶん。
でもラブはまだ遠い…。




