蝶の温室
蝶が出てきます。
少し触れ合いもありますのでご注意ください。
「夢の世界みたい。きれい……」
「ジュリエッタ、手を出してごらん。指先を伸ばして、鳥を乗せるみたいに前へ、そう――」
ルカーシュさまの言葉通りに右手を宙に挙げる。
その指先に、ことさら美しい瑠璃色の蝶がゆっくり降りてきた。
「あ、あ、あ」
人差し指の爪の先に蝶がとまる。
美しい羽を見せつけるみたいに、開いたり閉じたりを繰り返す。
まるでルカーシュさまが魔法をかけたみたいだった。
驚いてルカーシュさまを見ると、私の視線にくすぐったそうに肩をすくめる。
「ふふ、ジュリエッタは精霊さまに好かれているね」
ルカーシュさまじゃなくて精霊さまの魔法なの!?
「――本当はバークレー博士の方が詳しいんだけど」
お祖父ちゃまをちらりと見てルカーシュさまは教えてくれる。
「精霊の庭で育つせいか、ここの蝶たちは原初の力を持つんだ。言わば先祖返りの蝶ということ。羽の色が美しかったりちょっと長生きだったりといろいろあるんだけど、もっと特別なのは精霊さまと同じように人を見極める能力があるんだ」
「人を見極める能力?」
「そう、純粋な心が発する波動――オーラのようなものを感じ取れるらしい。蝶はね、精霊さまのみ使いと呼ばれるほど精霊さまに近しい存在なんだ」
「蝶が精霊さまのみ使い……」
こんなことを私が聞いていいんだろうか。
何だか今日一日ですごい体験を何度もしてしまった。
ううん、今も絶賛体験中だ。
「……やっぱりジュリエッタにはまたここに来て欲しいな」
声変わり前の少し高い声でゆっくり話しかけてくるルカーシュさま。
「ねえ、ジュリエッタ。時々王都に来て、僕を手伝ってくれないかな。ここの見回りをするお手伝いだ。紫菫の木が元気か確認したり蝶の様子を観察したり、精霊の庭でピクニックなんかもいいね。君のような人間が遊びに来てくれると、精霊さまが喜んでくれるんだ。楽しい気持ちが生まれると、精霊さまのお力も強くなる」
「でも、お父さまとお母さまが何て言うか……」
できるならルカーシュさまにはこれ以上近寄りたくない。
将来はどうあれ、今のルカーシュさまはとってもいい人だからもっと仲良くなりたいとつい思ってしまうからだ。
でもマリがいる。
ジュリマリの二大ヒーローの一人であるルカーシュさまと親しくなるなんてマリから何と言われるか。
どんな目に遭わされるか考えただけでも恐ろしい。
それでもこの精霊の庭はとても心惹かれる場所だった。
何度でも訪れてみたいのは確かだ。
温室にある植物たちにも興味がある。
そんな相反する気持ちに困ってしんなり眉が下がる。
「マリエッタと二人ならどうかな? ルカーシュくん、ジュリエッタには仲のいい双子の妹がいるんだよ。今日も一緒にお茶会に来ているはずだ。ああ、彼女にも会いたいねえ」
お祖父ちゃまの提案に体がビクンとした。
その拍子に指先から蝶が飛び立っていく。
「ああ……」
「驚かせたかな。悪かったねえ。どれ、今度は別のを呼べるかね」
お祖父ちゃまが宙を飛ぶ蝶を探し始める。
「あのね、マリはね……」
一緒なら、マリから文句を言われないかしら。
でもマリとここを訪れると思うと何となく嫌な気分になる。
せっかく素敵な場所なのにって。
意地悪だと後ろめたい気持ちになるけれど、もともと『いい子』ではないのは自覚している。
それでもマリの悪行をお祖父ちゃま達に告げ口するのは卑怯な気がした。
ルカーシュさまに悪口を言ったなんて知られたらどんな折檻をされるかわからない。
この前みたいに髪を引っ張られるどころじゃないだろう。
それを考えるとぶるりと寒気がした。
「……いや、ジュリエッタだけ。ジュリエッタとアントン、二人で来て。もし機会があったら双子の妹さんのことも考えるけれど、この庭には入れないだろうね」
「ふむ。ルカーシュくんが言うのならそうなんだろうねえ。仕方ない。ロッサーナ――ジュリエッタのお母さんには私が言おう。私の屋敷に滞在して一緒に登城すると言うのなら、納得してくれるだろう」
ダメだと言ってくれたルカーシュさまにホッとした。
すぐにマリになんて言えばいいのかと困惑する。
王宮でルカーシュさまと会うことがわかればマリが黙っているはずがない。
でもどうしてマリはダメなのかしら。
精霊の愛し子さまとして何か不穏な気配を感じ取ったとか?
たとえば『嫌なマリエッタ』の存在とか。
まさかと思いながらも精霊さまは存在からして不思議のかたまりだから何があってもおかしくない。
「さて、そろそろ時間切れだな。蝶好きのアントンくんはどこまで行ったか」
お祖父ちゃまはそう言ってアントンを探しに温室の奥へと歩いていく。
それをぼんやり見送っていると、視界に腕がすっと前に伸びた。
真っ直ぐに伸ばされたルカーシュさまの腕に、ゆっくりと蝶が降りてくる。
さっきの再現だ――ううん、一頭だけじゃない。
ふわりひらりと、たくさんの蝶が次々と降りてくる。
「わ、わあっ。すごい!」
ルカーシュさまの白いシャツとそこから伸びる手首、手の甲、優雅な指先にまで色とりどりの蝶が競うようにとまったのだ。
「ルカーシュさま、すごいっ。本当に魔法みたいだわ! ルカーシュさまも精霊さまにとても愛されているのね。こんなにたくさんの蝶が来てくれるなんて!」
「ジュリエッタは、そうやって笑った顔が一番可愛いよ」
ぴっと笑顔のまま固まってしまった。
すぐに爆発したように顔が熱くなる。
深呼吸、深呼吸うっ、深呼吸よ!
「あはは、顔が真っ赤だよ。ジュリエッタは可愛いって言われ慣れてないのかな。こんなに可愛いレディーなのにね」
「もう……やめてえぇ……」
顔を両手で覆ってしゃがみ込んだ。
顔が熱くなりすぎて、そんな自分が恥ずかしい。
男の子に可愛いなんて言われ慣れてるわけないでしょう!
しかも絶世の美少年に真顔で『笑った顔が一番可愛い』なんてっ。
今のルカーシュさまって自分の美貌をまだ自覚してないの!?
それは反則でしょ、いいやもう罪だと心の中でひとり身悶えていると、私のすぐ傍にルカーシュさまも座り込む気配がする。
「また精霊の庭においで。約束だよ、ジュリエッタ」
またからかわれるのかと思ったけれど、ルカーシュさまは再会の約束を取り付けただけだった。
その穏やかな声に私もゆっくり落ち着いていく。
会いたいと次を願ってくれるなんてとても嬉しい。
たいしたおしゃべりも出来なかったのに、再会を望んでくれるのだ。
そうっと顔を上げると思ったより近くにルカーシュさまがいた。
額と額がもう少しでぶつかりそうな距離で――じっとこちらを見る紫色のきれいな瞳にガラスの屋根から差し込む陽光がキラキラ光っている。
「……うん。また来たい」
精霊さまもこんなきれいな目をしているのかしら。
またこの目を見たいな……。
ふっとそんなことを思ってしまって、我に返ってまた頬が熱くなる。
「あ、アントン! 戻ってきたのね。そろそろ帰らなきゃ本当に怒られちゃうわ」
恥ずかしさを隠したくてわざと勢いをつけて立ち上がった。
温室を出たところでルカーシュさまとはお別れだ。
彼はまだ見回りのお仕事があるそうだ。
私とアントンのために時間を使ってしまったのだろう。
ルカーシュに言うと、そんなことないよと笑ってくれたけれど。
「アントンは王都に住んでいるんだから、ちょくちょく呼び出してもいいよね。ジュリエッタはバークリー博士と一緒にまたおいで、きっとだよ」
「ああ、言われなくても押しかけたいくらいだよ」
「行けたら絶対に行くわ」
お茶会の会場まではお祖父ちゃまが送ってくれるという。
大人がいてくれると、怒られる量も少しは減るかもしれないとホッとした。
歩き出してしばらくしてふと振り返ると、紫菫の木の下にルカーシュさまを見つけた。
屈んで何かを拾うそぶりをするルカーシュさま。
手にしたそれを大事そうに胸に抱える姿にあっと思う。
もしかして白い菫をもうひとつ見つけたのかしら。
そうだったらいいのに。
ポケットの膨らみを意識しながら大きな紫菫の木を願うように見上げた。




